松岡亮二のレビュー一覧
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教育格差、生まれによる格差はある。その上でどういう社会を望むか。
■初期条件(「生まれ」)である、出身家庭の社会経済的地位(Socioeconomic status, 「SES」)と出身地域
■意図的教養と放任的教養
意図的教養:中流階級 習い事の参加、大人との議論・交渉の奨励→結果、子供は相手が社会的立場のある大人であっても臆さず交渉し 自分の要求を叶えようとする意識を持つようになる
放任的教養:貧困層 子供の日常生活は大人によって組織化されてない。「自由」な時間が多い(テレビ無制限とか)。親は命令口調が多く、言語的な伝達は最小限にとどまる。→結果、子供は大人に対して自分の要求を伝えることを躊躇し、権威に対して従う成約感覚を持つようになる。
■文化資本:3つの形態がある。本や美術品など「客体化された文化資本」、学歴 資格など制度に承認された「制度化された文化資本 」、言語力 知識 教養など簡単に相続されない「身体化された文化資本」。
■国際的に見た日本の特殊性は、高校階層構造(偏差値ランキング)。制度的に教育困難校を作り、そこに勤める教師たちも教育を諦めるのが「普通」。(国際比較すると異常な仕組み) -
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学生の感想パートを通読すると、何とはなく、いかにも東大生だったらこう答えるよな、という臭みが目立つような気がする。といっても、きれいに視点や論点を敷きならべているので、標準的な教材としての価値はあるのだろう。
中学校、高校の部活動は、教科学習以外の軸で生徒の自己実現のチャンスを用意するとか、生きていれば避けて通ることができない社会の「決まり事」を体得するための複線教育という意味合いは、たぶんあるかもしれない。しかし、パワハラ、いじめを、根っこのところで大なり小なり肯定するような、体育会系の気質を再生産し続けている元凶でないか、そしてその毒素を現実のオトナ世界に投射し続けているのではないのか、というのは腑に落ちるお話。 -
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教育は正解がないからこそ最善の道を模索し続けなければならない。また、どれだけ手を尽くしても格差が0になることはあり得ないため、その事実を心に留めておくことも必要であろう。
✏学校教育には教育機会の平等化装置として格差を縮小する機能があるといえる。
✏教育は誰もが何らかの実体験を持っているので自説を持ちやすい。どんな見解であったとしても白黒つけることは難しく、大半の教育論はその性質から完全な肯定も否定もできない。
✏個別化制作の「効率」性の高さという「正しさ」に酔うだけではなく、その政策の「差異化」機能が格差を拡大する可能性を意識することで、「個別化を推進しながら、なんとか格差にも対処できる方策を同時に打てないか」と議論を進めることができる。
✏学校現場では個人間の差異が表面化しないよう「平等」を重視する傾向がある。ここでの「平等」は「同じ扱い」を意味し、処遇を変えるのは差別の温床とされてきた。この帰結は明快だ。学力格差は縮小せず、学習努力など行動格差は拡大している。
✏学校をコミュニティに開くといった議論もされ始めて久しいが、社会経済的にどんな地域かによって学校が使える資源量に格差があるため、それに伴って生徒が得られる便益に学校間格差が生まれる。
✏「同じ扱い」の義務教育があるからこそ「機会の平等」という舷窓が流布していると解釈することもできる。「平等な機会」が付与されているのであれば、最終学歴・職業・収入・健康などあらゆる社会的に構成される「結果」は個人の責任となり、社会福祉政策は「能力」の低い「弱者」に対する「お情け」となる。
✏望ましいとされる椅子の数が限られている以上ら目の前の子供を笑顔にすることはできても、それは目に見えないどこかの誰かの涙と落胆を引き起こす行為である。教育政策・制度を議論する際、労働市場との繋がりも含めて、この選抜機能という現実に向き合う必要があるのだ。
✏学校を構成する最大の要素は生徒が「誰」であるかだ。カリキュラム、教育手法、伝統などの特色と進学実績を関連付けて議論する有名進学校の校長インタビュー記事が散見されるが、「どんな生徒がその高校に通っているか」を考慮すると、学校の効果はとても小さい。
✏低SESの子どもたちの可能性に投資しないことで、私達は潜在的な損失を受けているかもしれない。 -
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子供が受け取れる機会は、親が与える環境による格差がある。これが公共教育で埋められない学力差を産んでいることをデータを基に示された本。
また、その格差を意識せず、あの子は頭が良いから良い大学に行っていい職に着く、と済ましてしまうことは、公平平等であるべき公共教育の瑕疵であると整理された本。
第1〜5章までは社会調査データにより、上記の内容が複数の側面から検証されている。しかし同じ結論の主張が繰り返し説明されるため、正直退屈で読みづらい。
第6章は、前章までの経緯を総括したうえで筆者の意見を述べられている。面白くて読みやすい。教育は、全員に良い機会を与えるべきである。一方で教育後に就く仕事は、席の数が決まっている。そのため、教育が平等にレベルアップするほど、社会に出た後の競争は過酷になる、という指摘がが印象に残りました。 -
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この国の教育行政は大丈夫なのか? 教育分野の研究者と教育行政官22名による共著である。20のキーワードについて書かれているが、大変面白かった。
本の帯に「データに基づいたまっとうな議論のために」と書かれているにもかかわらず、データに基づかない理念的、観念的な著者もいて、玉石混交の感が否めない。
この本を読んで特に驚いた点を2点述べると、
?EdTechを使った個別最適な学びは、経済産業省が産業界と強力に進めてきたもので、この動きは教育の「市場化」であるということ。
?日本の教育行政は、エビデンスをもとに行なっているのではなく、理念、経験、個人の感覚をもとに計画立案されている。また、結果の検証もしない。
教育は誰でも経験したことがあり、議論しやすい分野である。ネット空間も持論を展開する人で溢れている。しかし、エビデンスを語る人は皆無ではなかろうか?そしてその個人の理念、経験、感覚が大きな世論の渦という形で、教育行政を引き摺り回すという一面ももっているのではないか。
この国の教育行政は大丈夫なのか?
多くの人に読んでほしい本だ。 -
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様々な観点、研究から今の日本の教育の政策、状況について論じられていて読み応え抜群でした。
これだけの方々が教育に携わって世の中の教育を良いものにしていこうと考えられているのだなと思うと頼もしいなと感じました。
反面、小室牧子さんも仰っているように、データに基づく議論があまりにされていないことに不安を感じました。
また、個人的な感想ですが高度な教育を受けてこられた方々は世の中には”正しい”、”確かな”教育環境があり、子供たちは等しく良い環境で勉強ができるはずと幻想を抱いているのではないだろうかと感じました。
家庭的な問題で全く勉強できない子もおりますし、学校と家以外に居場所が無い地域では学ぶ場所も限られています。そういった子たちの生活環境とかを無視して一人一台タブレットなどを推し進めてもうまくいかないのではないだろうかと思いました。
あくまでこれは私の感情論なので客観的なデータが無いところがもどかしい点ではありますが。。 -
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<目次>
まえがき まっとうな教育論のために
第1章 教育格差
第2章 「学力」と大学入試改革
第3章 教育政策は「凡庸な思いつき」でできている
第4章 少しでも明るい未来にするために
<内容>
『教育格差』で2020年新書大賞を受賞した、松岡亮二氏を編集責任として、日本の教育政策のいい加減さを丁寧に解説した本。その解決の糸口は、見えているものの実行が難しい(政治家や実業界が自分たちの体験から口出しをしやすいから。それに文部官僚が引きづられる。さらに自分たちの出した改革に対し、実証を怠ったうえで、新しい改革をする…)。また教師たちも、同じ年代の人の中で見ると、大卒であるという家庭の経済力も学力も、偏りのある人々の集団であるので、「教育格差」ひとつとっても理解しにくいことが問題を難化させる。ただ、著者たちは真剣に分析をし、対応策を提示し、一部は実践していることを、あとがきの中で述べている。まずはエピデンスを示し、改革の失敗を証明するとともに、エピデンスに基づく改革を提案して、10~20年のスパーンの中で証明していくことだろう。教育は、日本の将来の数少ないシンボルになることは間違いない。この本をきっかけに、より良い議論がされ、良い施策が現れることを期待したい。 -
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本書は、近現代日本には昔から変わらず緩やかな階級社会がである、ということを詳細なデータで示した教育社会学の1冊。
親の学歴や家庭環境によって、就学前から子供の教育や進学状況に統計的な格差が生じているので、それが受け継がれて階級ができてるし、親の収入や学歴によって住む地域も偏りがあるので、公立の小学校でも地域差、ひいては階級差が存在するということが述べられてます。まあ、普通の人は指摘されなくてもそんなの分かっているとは思うことが、データで示されてます。もちろん制度として這い上がることはできるが、それは少数派で、一部の例外がいることを示してもあくまで例外にすぎない。
それでも日本は、他の国に比べれば全体として国民の間の格差が小さかったり、全体として教育による学力の底上げにも成功しているが、存在する格差が固定化されて、子供たちの可能性が抑えられていることを著者は問題視してるのだと思う。
このような事実を知らしめると、子供のいる家庭は住む地域を厳選するだろうし、それによってさらに階級差が固定されそうな気がするのは著者も懸念しているが、それでも問題の存在を知らしめることを選んでいるようです。
決して一般向けに書かれた本ではなく、前半四分の三ぐらいは研究論文のような内容で、どのようにデータを解析しているのかとか、専門的な内容が続いて長いが、普通の人には、知ってる、当たり前、というような結果が示されてるだけなので、飛ばして最終部分だけ読んでも良いでしょう。 -
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データが多く読みにくさがあるけど、内容はとても興味深かった。
教育格差は高校や大学など、分かりやすい学歴として可視化されるよりずっと前から存在する。生まれた時からそれぞれが生きる環境によって「ふつう」が異なり、行き着く先も異なる傾向が高い。
振り返ってみると、学生時代の私にとっての"社会"なんてせいぜい学校やら習い事やらの関わりにとどまるもので、もっと大きな"社会"の中で自分がどこにいるかなんて分かってなかった。
自分自身で選択できない子どもにとって、自分が見えてるものが「ふつう」でないことを認識するのは難しい。"親ガチャ"という言葉はあまり好きじゃないけど、親の収入や考え、教育方針で子供の将来が変わるのは残酷だけど否めない事実だなとデータからもよく分かった。
本著を読み、いろいろ思いを巡らせている自分は、新書を興味深く読めるくらいには教育面では恵まれた環境で育ったし、他の読者もそういった方が多いんじゃないかなと予想する。本当に苦しんでる人や届いてほしい人には届きにくくなってしまっているのも何だか皮肉のように感じる。
教員でもない、誰かの親でもない自分がこの教育格差問題に対してできることと言っても正直思いつかないけど、こういった現状があることを認識することは大切にしたい。
個人的には、「総括」の
「子供の頃に制度やルールに従うことを余儀なくされる度に、大人がしっかりと考えた相当な理由があるのだろうと違和感を飲み込んできた私が期待していたほど、頑健な合理性のあるものなどなく、恣意的に決まっていることばかりであると…」
という箇所が、自分と同じだ、、!と嬉しくなった。