食べる•味わう、話す•聞く、触れる、知る、分ける、待つ•耐える、うたう、書く•隠れる……。
概念の再マッピングとして、「概念を名詞から解放し、動詞的なプロセスにあるものとして解釈し直す」本書の試み、面白い。
冒頭、「食べる•味わう」は、日本や東アジアの歴史において、どのように論じられてきたかを見ていき、最後に、こうした行為への倫理性が問われなくなった現代へと戻ってくる。
後に「待つ•耐える」では、資本主義の合理化、時間を稼ぐという価値観から、抜け出そうとしたスローフード、スローライフさえ、資本主義の「新たな」価値に組み込まれていってしまうという流れにも繋がって面白い。
分からないものについても、いつか分かるかもしれない時を「待つ」必要性。
本当にそうだ。変化の流れが速いからこそ、人はその時間の流れに巻き込まれていては、いけない気がする。
「分ける」の問題提起も面白かった。
ジェンダー、障害、年齢、能力、プロアマ……スポーツにおける分け方と、その乗り越え方。
そして、分かれていることで、注目度や賞金までもが違っていくという事実も。
確かにパラリンピックを観ていて、公平ってすごく難しいように思ったし、また、公平を推しすぎると歪なことにもなるのが、分かるような気がした。
と同時に「分ける」が「分かる」に繋がるというのをつい先日読んで、何が違うかを明らかにする、分けることによって私たちは分かろうともしている。
んー。難しい。
最後に。
大学におけるインターンシップといった体験的な学習が、体験して、経験して終わりになること。
いや、その体験や経験だけが本物だと思って終わりになることを残念と言っていたのが印象的だった。
その体験の意味を、普遍的な所にもう一度返してきた上で、問い直すことが、大学の価値なんだと。
それってまさに、哲学だと思うし、そこを侮ってはいけないと思わされた。