嫌韓とか嫌中とか、あらゆるものを十把一絡げに嫌い・反対と感情的に判断してしまう人がいます。子ども達にはよくよく、ああなってはいけない、物事は大抵多面的なもので、「全ての~」「あらゆる~」という言い方は大体間違いだから、と言い含めていました。
しかしながら、本作を読んで、自分がこれまでいかに自分
...続きを読むが避けようと思っていた偏見に陥っていたのかを本作で思い知りました。それは私のユダヤ観です。
一般的なユダヤのイメージとはどんなものでしょうか。金持ち、流浪の民、陰謀、一神教、閉鎖的。私はこのようなイメージでした。
しかし、本書が描くユダヤ世界ははるかに色彩豊かなものでした。つまり、ユダヤと一言で纏めることができないくらい、宗派も出自もひいては考えも異なるようなのです。ナポレオン後に市民権を得たフランスのユダヤ人は、フランス国民としてのアイデンティティを持ち始めたとか(P39)、シオニズム運動は各国で同化して生きるユダヤ人にとっては「決して承服できる主張ではない。西欧の社会で生きる道を自ら閉ざす恐れを感じたからである」(P.90)とか。
これらはほんの一例ですが、ヨルダン近郊で始まり、アフリカ北部からスペイン・オランダ、ポーランド、アメリカと世界に広がったユダヤの民は、国民国家が主流の現在、実に多様な生き方、考えをしていることを改めて気づかされました。
もう一つ驚いたのはイエシヴァ(塾?)とタルムード(解釈書?)というシステムです。
タルムードで出色なのは、過去の時代の異なる高名なラビたちがあたかも時空を超えて対話をしているかのように編纂され、宗教書の教えに現実的具体性を持たせているところです。作中では子供の教育の件や「一日を三分割」して勤めを果たすという教えについて現実な対話・解釈の例が出ていました。
またこのタルムードが、ラビとの実際の対話によってより深く信者の心身に沁みわたっていったことは想像に難くありません。
おそらくこうした解釈が非常に現実的なのは、ユダヤの民が常に不安定な地位・身分であったため、可能な限り現実世界との折り合いを見出す必要があったからだと想像しています。私は引用されたいくつかの実例しか知りませんが、それだけでもこの宗教(民族?)の聖書に対する態度は真摯であると感じました。
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そもそも、私はユダヤとか陰謀論とかが結構好きで、幾つか読んでいました。ただ、表現が余りに激烈で胡散臭いと感じることもしばしばでした。そうして発生した次の疑問は「そもそもユダヤってなんなのよ」という事でした。本書は私のそうした疑問におおむね答えてくれたと思います。今の理解をもとにまた陰謀論の本を再読してみようと思います。また、名前だけは知っていたレヴィナスのことも、なるほどそういう人なのか、と出自を知ることができました。古本屋で安く売っていたら是非レヴィナスにも挑戦してみたいです。