八尋舜右のレビュー一覧

  • 竹中半兵衛 秀吉を天下人にした軍師

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    誰もが天下を夢見て覇権を争った戦国時代。
    そんな中、野心を抱くことなく自らの生きる意味を探した知将・半兵衛。
    僅か36年で幕を閉じた彼の生涯は、自らは天下を望むことは無くとも、天下統一の為に明け暮れたものでした。

    戦乱の世を憂いていた半兵衛は、若き日の秀吉に懇願されて軍師を務めます。
    当時は不治の病だった肺病を患いながらも、その知略を秀吉のために使い、天下への足掛かりを築き上げました。

    自らの頭脳を驕ることなく、欲望に走ることなく、自らの生存意義を探し続けた半兵衛。
    そんな彼の生き方に憧れます。



    どうでもいい余談ですが、私の筆箱には半兵衛の家紋のストラップが付いています。
    学業成就祈願です(笑)

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    2010年02月06日
  • 竹中半兵衛 秀吉を天下人にした軍師

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    前野将右衛門がとても癒し系!この小説の中での半兵衛と前将の関わり方が大変好きです。小説としても好きです。

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    2009年10月04日
  • 立花宗茂 秀吉が天下無双と讃えた戦国武将

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    soutenkoroです。

    ☆4!!!!

    道雪、紹雪を父に持ちます。
    岩屋城の行は、楠木氏のそれを思い起こさせます。

    人柄は義に厚く、純粋武将です。

    良本だと思います。

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    2010年03月22日
  • 立花宗茂 秀吉が天下無双と讃えた戦国武将

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    秀吉から「天下無双の勇士」と讃えられた筑後柳河十三万石の領主・立花宗茂。武勇人にして清廉な為政者であった武将の生涯を綴る力作。
    筑後柳河十三万石の領主立花宗茂を描く長編小説。秀吉をして「鎮西一の忠勇、天下無双の勇士なり」といわしめた宗茂の生涯は、戦っては義戦多く、常に寡兵をもって大軍を破り、その生きざまは信義一筋、まことに誠実・清廉なものであった。これは実父高橋紹運、養父立花道雪という両父の高潔な生き方を範としており、ゆえに本編は、この三人の父子像が中心のテーマとなっている。
     ともに大友家の加判衆であった両父は、当主宗麟を守り立てる立場にある。たとえ非道な仕打ちにあったとしても、決して当主を見放さず、己の運命として受けとめ、恥じることのない生涯を終えるのである。この愚直なまでの廉潔な生き方を、著者は現今の知的ノウハウ重視の風潮に対するアンチテーゼとして提示、また自立する女性として描かれる妻ぎん千代と宗茂との葛藤も、今日的なテーマとして見事に描出している。
     現代人の心を癒し、人間の温もりをほのぼのとつたえる力作である。

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    2011年11月29日
  • 竹中半兵衛 秀吉を天下人にした軍師

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    ネタバレ

    目の前で剽軽な笑顔を見せる木下藤吉郎に、半兵衛は次題に心ひかれていく自分を感じていた。「この男と、もう一度戦場に立ってみるのも悪くはない。あるいは戦火の絶えた世の中が実現できるやもしれぬ」。―名利を求めず、ただ天賦の軍略の才を縦横に駆使して秀吉を勝利に導いた男、竹中半兵衛。名誉よりも人生に美学を求め、三十半ばで夭折した名軍師の生涯を描く長編歴史小説。

     1996年5月30日初読

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    2011年11月29日
  • 竹中半兵衛 秀吉を天下人にした軍師

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    希代の軍師「竹中半兵衛」の生涯。
    いろいろな小説に登場しているが、「竹中半兵衛」ものとしては初めて読みました。
    今までの彼とは描かれ方が違っていて、とても新鮮な感じがした。

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    2009年10月14日
  • 竹中半兵衛 秀吉を天下人にした軍師

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    美濃の斉藤龍興の家臣でありながら、龍興を諌めるため、たった16人で当時難攻不落と言われた稲葉山城を乗っ取った天才軍師・竹中半兵衛。城を龍興に返した後、隠居をしていた彼の目の前に、木下籐吉郎というひょうきんな男が現れ・・・。
    己の立身出世は望まず、籐吉郎を陰で支え、軍略の、そして人生の美学を追い求めたその一生を描いた大作。

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    2009年10月04日
  • 竹中半兵衛 秀吉を天下人にした軍師

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    竹中半兵衛重治の生涯を描いた本。PHP文庫にしてはしっかり書かれた小説となっている。自らの美学を大切にする半兵衛の心。そして前将と半兵衛のつながりなどが書かれているところが新鮮な感じがした。

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    2009年10月04日
  • 竹中半兵衛 秀吉を天下人にした軍師

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    竹中半兵衛の生涯を描いた一冊です。
    民百姓の生活を考え、彼らが平和に過ごせるように、信長の軍師として活躍します。
    人柄や行動がわかりやすく描かれていて、この一冊を読んで半兵衛ファンも増えるのではと思いました。
    賢くて寡黙な男はどんな時代でも恐ろしいです。

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    2026年05月28日
  • 竹中半兵衛 秀吉を天下人にした軍師

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    一巻で完結というのは珍しいなという印象。
    半兵衛の生涯について描かれている。大体このような本は何巻かであるものだが、一巻に纏まっているため気軽に手を伸ばせるのではないか。

    内容自体も一巻だから薄いというわけではなく、半兵衛の人物像について著者からのイメージを受け取ることができる。主だった出来事についてしっかりと描かれているため薄く感じない。
    しかしどうしても細部にまでとなると若干物足りなく感じるか。

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    2023年11月03日
  • 竹中半兵衛 秀吉を天下人にした軍師

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    無欲を貫いた竹中半兵衛が一体本当は何を求めていたのか。

    自ら学んだ軍略の発揮、天下の平穏、友情、そして愛。

    知的でありながら周りの人に好かれる竹中半兵衛の人物像を描くことが試みられている。

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    2013年11月03日
  • 立花宗茂 秀吉が天下無双と讃えた戦国武将

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    ネタバレ

    戦国時代末期、信長が無念の最期をとげ、秀吉が天下を取る頃の九州での話。

    九州では、大内氏が毛利に敗れ、薩摩の島津と豊後の大友が覇権を争っていた。その大友側の当主 宗麟の幕下を勤めるのが、戸次氏、立花氏、吉弘氏、高橋氏だ。高橋紹運の子、高橋統虎が立花道雪の娘婿に行き、立花統虎となる。この物語の主人公、後の立花宗茂だ。

    宗茂の義父道雪は、武士無骨を絵に描いたような人であり、絵に描くだけでなく、しっかりと実践した人であった。主従の紐帯は信義である、というのが道雪の信条だった。信義は武士が己の生き方をまっとうするためのものだ。ただ、おのれ一人が生き延び、肥え太るために右顧左眄し、利のある方へなびく行為は、武士として最も恥ずべき所為だ、と道雪は信じている。戦国武将のほとんどは、信義とはかかわりなく、ひたすら利害で動いた。その結果が下克上だ。しかし、全てがそうではなかった。紹運、道雪、宗茂などの生き方がそれだ。たった一度限りの短い人生である。算盤勘定で動いたのでは、潔い死に方は出来ない。信義や名誉を武門の本分としながら、それを守り通した武将が少なかったため、宗茂らがことのほか称賛をあびるのであった。

    建前と本音の使い分けは、戦国人にとっても乱世を生き抜くための、極めて常識的な技術の一つだった。その技術を拒否して死んだところに道雪や紹運の特異性がある。権謀術数家からすれば、両者のような生き方は、まさに愚の骨頂というべきであった。それでいて、道雪や紹運を一笑にふすことができないのは、両者が戦術、戦略の王道を歩きながら、あまたの詐術家を相手に一歩もひかず、堂々たる戦を展開出来たからであろう。

    そんな愚直な宗茂らが支える大友氏も、島津の攻撃にさらされ、衰退の一途を辿っていたが、近畿では、信長の後に秀吉が台頭し、九州までその手を広げてきた。あえなく、大友は秀吉に乞い、幕下に入り、島津撃退を頼んだ。宗茂は、秀吉に、その愚直さを愛され、島津攻めの先陣で華々しい軍功を立てた宗茂に、筑後の十三万石を与え、大名として取り立てた。そして官位も旧主家大友家を追い越し、従四位下を賜ったのである。秀吉はもともと純粋なる心性をもった男である。秀吉はもう少し早く宗茂に会っていたら、自分の養子にしたいとまで思ったほどである。

    しかし、秀吉は朝鮮の役で家臣たちに亀裂を与え、秀吉没後に、三成派 対 家康派が出来、それがそのまま関が原の戦いにまで進んでしまう。宗茂はどちらについたか。やはり信義の人である。どちらに付けば有利かといったことは関係ない。自分が今あるのは、秀吉の格別な引き立てがあったからである。理由はどうであれ、いまその大恩ある豊臣家が危機に瀕している。それを座視することは、武士として、人間として、到底出来ることではない。今の身代は、おのれの働きに対して応分の報酬を受けたまでだ、といった考え方は宗茂には無縁だった。そのような自己正当化は、宗茂の好むところではなかった。三成がどうかは関係ない。自分が豊臣に恩義を感じ、豊臣方に付くまでだ、ということである。関が原の戦いには直接参戦せず、別の戦場で、京極高次を攻めていた。立花勢はこれを破ったが、同じ頃、関が原では西軍が破れていた。宗茂は柳河城に帰るが、朝鮮の役で気心知れた、加藤清正の説得により、城を明け渡し、清正預かりの身となった。清正や前田家から仕官の声がかかるが、これを拒否し、家臣が乞食をして宗茂を養わなければならぬほど困窮した。江戸まで出てきた宗茂は、これも、気心知れた家康の家臣、本多平八郎から声をかけられ、将軍秀忠に引見した。秀忠は宗茂を5千石で抱え、翌年は、奥州棚倉1万石の大名に復帰した。宗茂は猟官運動などいっさいしなかった。ただ、家来の稼ぎに頼り、雑炊を食らっていただけだ。清正や平八郎が親身になって赦免を願い、仕官の世話をしたのである。いや、せずにはおれなかったと言うことだろう。一度会えば、誰もが好感を持たずにはおられなかった廉潔の人、誠実無比な生き方、戦国時代に誰もが憧れたが、自分では出来なかったことを宗茂が貫き通したのだ。それが、一時は敵対したものの、人たらし、狸おやじと言われた、秀吉、家康のような怪物の心をも魅了したのだ。

    夏の陣の後、関が原の戦いで柳河藩を失った1600年から20年後、1620年に柳河藩に復帰。その22年後に、76歳で没した。

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    2013年11月01日
  • 竹中半兵衛 秀吉を天下人にした軍師

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    さほどの厚さではないのに 進めるのには存外時間を要した。
    理由の第一は 半兵衛の内向性の強さ そこから生ずる内省が 死の間際まで執拗に繰り返される処にある。大軍師たる者 無論己を律することには他者に対するより厳しいに違いない そして筆者は そんな半兵衛の孤高というものを著したかったのかも知れなくても 剰りに幾度も目に見えるかたちで綴られるが為 私にはかえって 優柔不断な・線の細い・似非完璧主義者のような――まるで自身のような――半兵衛重治像しか結ばれなかった。安寧なる天下を志して居る筈だのに 実の処は 暴虐を極めたとも映る信長の天下布武を 其れを未だ畏れることしか知らぬ秀吉を 助けて己もまた暴虐を尽くしただけである。「わが一身の非力 わが生の矛盾」――半兵衛はこの自己反駁に呵まれ続けて逝く。作中引用された 死を前に宛てたとされる前野将右衛門への書状に見られる「一人雲にのって遊ぶような気分」の行とは裏腹に まるで失意の内に逝ったような印象を受ける。
    第二は 比叡山焼討ちの辺りから 半兵衛が信長への対抗心をハッキリ自覚し 且つそれを実施に移して居る点にある(以前何処かで記したように 私は二人へ「ぬるい関係」を求めて居る / 笑)。増してや信長でなく秀吉に天下を取らせるべく目論むようであれば それは半兵衛讃歌の主題である「無私無欲」どころではない。家中の誰より密かに想いもよらぬ大望を温めて居るのであり 「無私無欲」というのは特大の隠れ蓑である。そう書いてみれば これはこれで半兵衛らしい謀り事ではある。現代に於いて比叡山焼討ちに際し最も強固に反対を唱えた者として挙げられる明智光秀でさえ 未だその叛意を明確に自覚するには至ってなかったのではないか。
    「あとがき」の中で 半兵衛への思慕並ならぬことを筆者は明かしている。そうした熟しきった個人の理想が このような半兵衛を産んだのかも知れない。日頃 何を考えて居るのか肚の内の全く知れない人物として語られることの多い半兵衛は この作品に於いては読者の前へ胸の内を吐露して憚らない。そういう意味では異色であり 人間味を備えた半兵衛である。型で押したような像にそろそろ飽きた向きには佳いかも知れない。
    又 これまで採ったうちではどれより前野将右衛門について詳しく触れられてある。その人物像の純朴で温かなことが 半兵衛と共に反駁する私の途上に唯一の慰めだった。軍師という立場に張り詰める半兵衛が好意を寄せるのも道理と想われた。表情豊かに描かれた「前将」は 物語の幕引く役をさえ担っている。

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    2012年06月25日
  • 立花宗茂 秀吉が天下無双と讃えた戦国武将

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    ギン千代とのギクシャクした関係がラストでやや氷解してる辺りはホント切なかったです。二人の不器用さがもどかしくも可愛らしくありました。

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    2009年10月25日
  • 竹中半兵衛 秀吉を天下人にした軍師

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    冷静なだけかと思いきや戦場の只中に駆け込んで行ったり病弱ゆえフラフラしてたり人間らしさを感じる半兵衛さんでした。秀吉を天下人にしたかはわかりませんが、足がかりは確実に作ってましたよね。

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    2009年10月25日