金井久美子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
例えば大岡昇平との鼎談の回で、久美子さんが大岡昇平に〈(マックス・)エルンストなんかいかがですか?〉と聞くくだり、〈エルンストは好きですよ。〉と言われて〈ああ、良かった(笑)〉と喜ぶ所を読むと、なんだか久美子さんがとてもかわいらしく思えるし、姉妹が本当に〈気に入ったお客さましか〉呼んでいないことがわかる。読むことにせよ書くことにせよ見ることにせよ、そこから決して快楽を締め出さないやり方をすると言うか、そこにある快楽や欲望や楽しさと言うものに対して常に敏感で繊細な人たちばかりである気がする。そして今、絶えざる今と言うものに対しても。語り下ろし対談にて姉妹はこれらの鼎談を、「古びてる」と言う。きっちり古びてしまうタイプの、常に今である鼎談。いずれにせよ紋切り型でないことは確かである。紋切り型でないと言うことは、瞬間的であると言うか、その時々やその瞬間瞬間のことであって、普遍的なことを語ろうとしないと言うか、そう言ったことにはそもそも興味がないと言うか、非常に刺激的なことでもあるのだ。それは大変楽しいことでもあるのだ。
けれどもまあ、なんと言っても武田百合子が最高である。圧倒的に魅力的である。〈日記なんて、ウソですよねえ。〉と言う言葉の強さ。目が覚めるような素晴らしさである。武田百合子のこういった言葉を読むと、嬉しくなってしまう。姉妹の武田百合子評、特に〈百合子さんの紀行文というのは、自分が生きているという感覚そのものが、ブリ・コラージュだという面白さがある〉と言う言葉によって、かの文章や本がまた輝き出す。
姉妹がゲストの印象を語る毎回のまえがきとあとがきも面白い。西江雅之評の〈たまたま人間に生まれたから自分も人間として人間と付きあっているだけ〉や、大岡昇平評の〈いわゆる完成を喰い破って、常に生成して行く非個体的な個体が、大岡昇平であり、その作品〉など。山田宏一に対しての〈必死の快楽主義者といったふうの凄味〉があるとか〈度のすぎた幸せのため〉に〈禁欲的ですらある〉とか。ここに呼ばれている人たちは、姉妹にとって本当に〈気に入ったお客さま〉であるのだなあと。
そしてそして語り下ろし対談である。〈だから、あの鼎談は、大江健三郎しか読んでなかったっていうことね(笑)〉に笑う。山尾悠子の話題や阿佐ヶ谷姉妹の名前があがったりすると、一気に今!この現在!という感じがして嬉しい、楽しい。タイガー立石の回の日曜美術館など、極めて個人的でささやかで陳腐なことではあるのだけれども、読むことで金井姉妹と同じ今を共有できることを、祝福したくなる。 -
Posted by ブクログ
すごーく綺麗な本で、手にとるとシアワセな気持ちになる。ビジュアル本のようなしっかりした紙に、金井久美子さんの絵がたくさんのっている。エッセイと同じページにも挿入されているのが新鮮。いつもはがさつな速読派の私だが、ゆっくりじっくり至福の時間をすごしたのだった。
あらためて、金井美恵子さんの文章が好きだなあとしみじみ思った。私も本当はこんな風に書きたいんだよなあなどと、恐れ多くも考えてしまう。思考の流れに乗って、ゆらゆらと続く、それでいてシャープな書き方。金井美恵子さん唯一無二の文体だ。この「天然生活」連載のエッセイは、切れ味鋭いところと、そこはかとなくオカシイところが混在していて、そこがとても良いと思う。
・かつて身の回りにごくありふれたものとしてあったのだが、今では失われてしまった細々としたものの描写が大好きだ。「手芸用品と洋裁用品を売っている店」にあった「髪飾り用のリボンや、木製やセルロイド、それに新製品の透明プラスチックのパッチンどめ」「リリヤーン、下着の裾やブラウスの胸のピンタックの端に縫い付ける、いろいろな柄のテープ状のレース」「家庭科の時間に使うセルロイド製の裁縫箱、小さな象牙(か、どこの物とも知れない馬の骨)やセルロイドの和裁用のヘラ」「いくらでも品々を思い出してしまう」とあり、自分も一緒に記憶の引き出しを開けて陶然となる。
・「天然生活」での連載だというのに、こんなこと言ってて、笑ってしまう。
「薬膳というのは、もちろん自然派的なものに決まっていて、体を温める食べものとか冷やす食べものとか言われると、チッ!うるさいね、体を動かせばすぐ、あったまって汗をかくだろ?と野蛮に鼻を鳴らすタイプなのだが」
・四十年前の思い出として、原宿の駅から乗り込んできた「見るからにブランド品のバーゲン目当てに溜めたお金をフトコロに、地方から上京して来たという様子の二人連れの女の子で、お目当ての服を買うことが出来た幸運と幸福に頬をバラ色に上気させ微笑みあう」のを見ていたら、「私は熱いものがこみあげるのを抑えるのに苦労した」とある。そう、金井さんにはこういうところもあるのだった。
「ブランド品のセールに、若い娘たちが物欲を丸出しにし、血相を変えて我武者羅に押し寄せるということが、さも愚かなことであるかのように滑稽視されてテレビで伝えられていた時代だったのだが、幸福そうなバラ色に上気した顔を見ていると、マスコミ関係のアホ男たちがアレコレ言うことはないだろ?と、つくづく思ったのだった」
まことにごもっとも。
・NHKのおかしな番組名への言及も、ほんとそうだよねと思った。「グレーテルのかまど」って魔女を焼いたヤツだし、「ダーウィンが来た!」は意味不明。
・定番の猫話もいつも通り楽しい。愛猫トラーが死んじゃって何年になるのだろうか。久美子さんの絵にも登場するが、実に威風堂々としているのだ。 -
Posted by ブクログ
タイトルの「たのしい」は、てっきり金井美恵子一流の皮肉な言い回しだと思って読み出したら、意外や、これがほんとに結構ほのぼのした、生活のあれこれをマイルドに綴ったものだった。今度は何をバッサリ斬ってるかなと期待していたものだから、最初は、チェッつまんないの、なーんて思ってしまったが、さすがに金井美恵子、どんどんひきこまれて読み進めることになった。
鋭い美意識の持ち主である金井姉妹だが、生活ぶりは意外に庶民的。もちろん、日常の生活用品は、その厳しいお眼鏡にかなったものとなるわけだけど、とにかく高級なものが良いというわけではなく、むしろ、バカ高いものには批判的で、そこがいい。また、雑なやり方は好まないが、いつ頃からかよく聞くようになった「丁寧な暮らし」などという、したり顔のこざかしさとも無縁だ。
金井さんは昔ながらの酸っぱい夏みかんが好きだそうだが、それを「ムッキーちゃん」でむくと書いてあって、なんだか笑ってしまった。ムッキーちゃん!私も使うし、前に伊藤理佐さんが漫画で描いていたが、金井美恵子とムッキーちゃんとは、なんともすごい取り合わせみたいな気がする。
「あそびの記憶」と題された章で書かれた、かつての子どもたちの遊びがとても懐かしかった。金井さんの小説でよくある、記憶の具体的な細部を鮮やかに描き出す書き方で、ああそうだった、こんな風に遊んでいたなあと、子どもの頃がよみがえってくるようだ。古いアズキを入れたお手玉、小さな豆板のようなおはじき、シロツメクサの花かんむり、七夕飾りには「折りたたむとぴたりと平べったくなる」蜂の巣細工の薬玉やら小さな中華風のランタンやら、「なかでも、紙のクサリ飾りこそは、子どもの参加する行事の華やかな万能グッズだった!」。ああ、本当にそうだったよなあ。
金井姉妹の愛猫だったトラーの絵がいくつものっていて嬉しい。見開きになっている、花の中で寝そべるトラーの絵にみとれてしまった。トラーがいなくなって七年だそうだが(もうそんなになるのか!)、何かにつけて思い出すのは、その手触りだそうだ。「柔らかくてしなやかで生あたたかい弾力のある敏捷な、鼻の頭が冷たく濡れている生き物を、人間は触りたいと思う存在なのだ」とある。これに続けて、「だからといって、『猫カフェ』という場所に行ってみたいという気になれない」「つい、キャバクラとか、もしくは『おさわりバー』などという昔の風俗営業を連想してしまう」と書くのが、金井美恵子であるなあと思う。
このトラーの絵のほかにも、金井久美子さんの作品がたくさんのっている。装幀も金井久美子さんで、ちょっと昔風のとても素敵なつくりだ。しっかりした紙に、ゆったりと活字が組まれていて、贅沢な気持ちになった。