神門善久のレビュー一覧
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江戸・明治から今日に至るまでのニッポンの農政のあり方から、実際は破綻しつつあるニッポンの農業の現状に警鐘を鳴らしている本。
明治・大正時代は地主と、小作農という関係のビジネスモデルで農業は成立し、土地と切り離せないその性格から地域の協業が不可欠ゆえ、地縁が重視され、自然と相互監視・土地毎の習慣が成立した。
重工業の勃興が始まると地域と都市部の収入格差が拡大したことにより、地縁の弱体化が始まる。一方で戦争が始まると統制経済に都合のよい「農業会(≒JA)」が利用され、戦後も食料配給が必要であったことからさらに政治色の強い組織として「JA」ができあがっていく。
その後、農業の本格的な国際競争が始まる -
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[ 内容 ]
農地の10%に及ぶ耕作放棄地、蔓延する無計画な転用…農地の荒廃が進む中、台帳の不備で実態把握すらままならない。
昨今の農業ブームに隠れて、これまでマスコミが触れてこなかった農地行政の真相を明かすとともに、歴史的な視点や市場効率の考察を踏まえ、崩壊前夜の日本農業を救うための方途をも示す。
[ 目次 ]
第1章 消えていく農地―農業ブームの陰で起きていること(いつわりの農業ブーム;農業版「消えた年金」問題;農地の無秩序化;よくある誤認)
第2章 なぜ農地は無秩序化したのか―日本農業の足取り(明治大正期―「手作り地主」による秩序維持;両大戦間期―重工業化と農村の変質;高度経済成長期― -
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日本の農業が「絶望的」と言われるのは、単なる生産性の問題ではなく、構造的な限界と制度的な歪みが複合的に絡んでいる。
日本の農業人口は激減し、平均年齢は70歳前後。農地の所有が複雑で新規参入が難しく、初期投資の大きさに対し、気候などで収益が安定しない。結果、農業は「地縁に縛られた高齢者の副業」的なままで産業として拡大再生産されていかない。
本書では特に、技能低下による堆肥づくりの劣化を指摘する。農業名人といわれる人たちは「土作り」の重要視する。現在の農業者の多くは、堆肥と肥料の区別もできていないと著者はいう。
他にも、日本は兼業農家が多く、耕作放棄地も増加してきていて、農地の細分化されてし -
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ネタバレ農地管理の無秩序により日本農業は崩壊するという意見を述べた本。有益だが,処方せん部分の最終章があまりに急進的で,実現性に首を傾げてしまった。
【特に印象的だった点】
明治の地租改正を経て,優秀な農業者は近隣の土地を買い集めて地主となり,村のリーダーとなって農村秩序を維持した。
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重工業化により,地主は都市へ出て不在地主化。村の秩序が乱れて小作争議頻発等
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満州事変以降の戦時体制のもと,地主・小作人含めて「農業会」が組織化され,相互扶助・協働化が進められた。
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農業会体制は,事実上JA体制に。農業会的秩序維持機能が引き継がれたのが,戦後の集落機能
票田として農業者を考えると -
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農業経済学者神門善久氏の2012年9月発行の新刊。
日本農業の本来の強みは、技能集約型農業にあるが、農地利用の乱れという「川上問題」、消費者の舌の愚鈍化という「川下問題」そして放射能汚染問題の三つが原因となって、農業者が耕作技能の習熟に専念できず、肝心の耕作技能は消失の危機にある、というのが本書の骨格となる主張。
学校の先生に例えながら、よい農家になるためには、長年の独自の勉強・師事・経験が必要であること、農地総体のメッセージを聞き、分析を行いながら、臨機応変に対応しながら農業生産を行っている熟練農家の存在の重要性を説く。斉藤修氏の論考に依拠しながら、「技能集約型農業」「マニュアル依存型農業」 -
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以前に、日本の農業生産高が世界でも有数で素晴らしいという論調の本を読んだことがあります。その時は日本には少数の農業従事者で、高品質な農作物を生産していて素晴らしいという思いでしたが、この本では、それとほぼ反対の意見を述べています。
この本の著者である神門氏によれば、日本の農業では、農作物を作る技能が低下していているとのことです。それには美味しいものを見分けられなくなった消費者にも責任があるとしています。
改革方法も述べていますが、一番印象に残ったのは「平成検地」の重要性でした、日本では、地租改正(明治検地)、戦後の農地改革以降は行われていないようで、農地がどのように使われているか、税金もど -
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ネタバレタイトルにそぐわぬネガティブな観点で
日本農業の現状を分析しています。
若干タイトルに反したポジティブな内容を期待したのですが。
ネガティブな内容だったので
レビューもなんとなくネガティブで。
日本農業の技能を残すことが鍵だと
この本では主張されていると同時に、
日本人の舌が退化しているから
高い技能により育てられた高品質の農作物が
競い負けてしまうことについて嘆かれています。
味覚オンチの自分としては
「舌の能力の回復」の方法もわからず、
食べ物の味の正当な(定量的な)順位付けができないので、
本書におけるおいしい野菜を作る人々についての説明に対して
単なる筆者の「宣伝や演出」なのか否