この少年(当時)は結局、懲役15年の刑で服役しているのだという。
確かに殺人という行為は許されるものではないし、それに見合った刑罰を受けて罪を償わなければならないことに異論はない。だがしかし、それでこの事件は一件落着として済まされていいのだろうか。
遺族(ある意味、この少年自身も遺族でもあるのだけれど)の心情も無理はない。二人もの親族の命を奪われたとあれば、処罰感情が強くあって当然だと思う。それでも、その責任をこの少年一人に負わせることが正しいとは、私には到底思えない。おそらくパーソナリティに何らかの障害を抱えている母親の責任が、かなりを占めている。この母親自身が、実は最も支援を必要とする人物であったのだろう。
子供の人格形成の段階で、その成育にふさわしい環境が保障されていない状態が日常であった場合、社会で生きていく人として辿るべき発達過程に問題が生じてしまう。環境が提供されなかったことは、果たして本人の責任なのだろうか。
その周囲の大人、社会システムの問題であると言っていいのではないか。
納得できないことに、母親の責任はかなり限定されたものとしてしか認定されなかったようだ。親として不適任な母親のもとで育たざるを得なかった彼も、ある意味被害者である。罪に対する罰、量刑判断云々もいいが、そこに至ってしまった背景を捉え、なぜ起きてしまったのか、起こさないためにはどうすればよかったのか、同じような悲劇を起こさないためにも、その部分の分析と対応を踏まえた社会の体制づくりをを考えていかなければならないのではないかと思う。
こんな不遇な環境の中でも人間としての温かさを保ち続け、きちんと学ぶ環境があればおそらく人並み以上の成果を示したであろう知性を持った彼が、心のケアをしっかり受け、ふさわしい発達段階を踏んで、刑期を終えて社会に戻って彼なりの人生を歩んでくれたら、と願わずにいられない。
蛇足。とても示唆に富む内容で読みごたえはあったのだが、一つのルポルタージュとしては、その構成や話の展開の仕方に少々難を感じた。途中でテーマが若干ずれた話題が挿入されたりして、少しまとまりに欠ける印象ではあった。