夏。耳元でぷ~んと飛ぶ、うるさいヤツらの季節だ。
うるさいだけではない。ちくっとヤツらに刺された跡は、ぷくっとふくれあがり、「ああー、痒い痒い痒い痒いっ!!」 痒さや羽音で安眠を妨害される人も少なくない。
そう、6本足のヤツら=蚊である。
近年、この蚊が多くの病気の運び屋になることが注目されてきて
...続きを読むいる。一昨年、日本国内で流行したデング熱により、発生源と思われる公園で蚊が大規模に駆除されたニュースは記憶に新しい。デング熱だけではない。マラリア、フィラリア症、日本脳炎、西ナイル熱、そして最近話題のジカ熱など、蚊が媒介する病気はかなりの数に上る。
痒いし、うるさいし、病気の元だなんて、蚊なんていなくなればいいのに、と思っても、ことはそう簡単ではない。蚊を完全に駆除することは極めて難しい。さまざまな手法が試されてきているが、成功にはほど遠い。
生態系の中で、本当に蚊を除いてもよいのかという別の問題もある。
そもそも病原体に関しては、蚊の方だって好きこのんで運んでいるわけではない。彼らもまた、病原体に勝手に乗り込まれた被害者という見方も出来るのだ。
そんな彼らについて少しディープに知ってみようというのが、今回の1冊である。
本書は、「蚊をどう駆除するか」「蚊に刺されないためにはどうすればよいか」の対策本ではない。蚊がどのように獲物を見つけ、血を吸うか、その特異な生き方に関する、最先端の研究の話題が主である。身近な生きものながら、意外に知られていない蚊の生態。軽く読めるが、中身は濃い。
著者は、病原体媒介節足動物の生物学が専門である。蚊やダニ、ハエなど、病原菌を運ぶ生きものを研究している。研究生活がどのようなものかも紹介されているが、こちらも相当ディープである。
よく知られていることだろうが、蚊は常に吸血で栄養を得ているわけではない。産卵期の雌のみが吸血する。吸血のための蚊の口吻は非常に精緻で、針に差し込む刺針部は5つのパーツから出来ている。皮膚を切り裂くパーツが2つ、ストローに当たるパーツが1つ、血が固まらないようにする成分を含む唾液を送り込むパーツが2つである。
花蜜などを吸う雄の口吻はもっと単純な作りになっている。
獲物を見つけるセンサーもなかなか精巧で、二酸化炭素・匂い・熱を感知する。これら3つのうち、2つが存在すると、蚊は「獲物」と認識するようである。匂いは汗や足のにおいだが、蚊の研究者が集まる学会では
「成人男性に靴下を履かせ、24時間脱がないよう指示しました。そのような靴下を26足集め・・・」
といった発表が真面目になされているのだという。こうした匂いはヒトだけで作り上げているわけではなく、常在細菌が作る代謝産物も混ざった結果のものである。蚊はこうした手がかりを巧妙にキャッチする。
蚊は、ヒトだけでなく、広く温血動物を(時には変温動物も)吸血対象とする。とはいえ、一般に、「好み」があり、通常はヒトを吸うもの、ウシを吸うもの、鳥類を吸うものとそれぞれである。だが、何らかの理由でそれまでの獲物が見つからなくなると、数世代掛けて、別の動物を吸血対象にする柔軟性を持つ。このあたりの柔軟性が感染症の担い手として役立ってしまうこともある。
蚊に刺されると痒いのはなぜかといえば、花粉症同様、アレルギー反応のせいであるという。最初に蚊に刺されたときは反応は起きない。何度か刺されているうちに腫れて痒みを伴うようになる。これがさらに回数が増えるとどうなるかというと、驚くことにまったく反応しなくなるのだという。マラリアが流行する地域に住む人々は、大量の蚊に何度も何度も繰り返し刺されるうちに、蚊に反応しなくなっている。そうした地域で、戸や窓を閉め、暑苦しい蚊帳を吊り、こまめに虫除けを塗れ、と言っても、なかなか受け入れられないのはこうした理由もあるわけだ。
さまざまな病原体を持つことがある蚊だが、自身は病気にならないのかという疑問がわく。
蚊は単純な免疫機構しか持たないが、物理的に「城壁」のようなバリアがあり、体表や口から入った病原体が身体の奥深くに入り込むのを防いでいるようである。その他、病原体を呑み込む細胞が働いたり、病原体の遺伝子を攻撃する機構も持つが、完全に体内から病原体を排除しているようではない。
防御反応にエネルギーを使わないようにしているのか、あるいは獲物を認識する際に、病原体が何らかの手助けをしているのか、2つの説があるが、詳しい解明はこれからのようである。
蚊が媒介する病気を撲滅するためにはどうすればよいのだろう?
DDTなどの殺虫剤で蚊自体を殺すもの、蚊帳や忌避剤を使って蚊に刺されないようにする策など、昔ながらの対策もあれば、蚊の遺伝子を改変して病原体を運ばないようにするという新たな対策もある。
なかなかゴールは見えないが、蚊の性質をより深く知ることで、蚊自体でなく、病原体と戦う術が見えてくるかもしれない。
そんな可能性も感じさせる1冊である。