世界的に高い評価を得ている「グレース」ワインを作っている三澤親子の取組について書かれた自伝。評価の低かった日本ワインを、それも日本独自品種である「甲州」を世界一にまで育て上げた手腕は、見事である。家族経営の小さなワイナリーでありながら、世界的な視野に立ったワイン作りに対する熱意がすごい。フランスの本
...続きを読む場で学び、南半球での修行を通じて得られた人間関係が成せる技だと思う。妥協を許さず、質と想いを徹底して追求していく姿勢に感銘を受けた。
「「甲州」は、長い間、ワイン用のブドウには適さないと見られてきました。低評価に甘んじてきた要因のひとつは、その糖度の低さにあります」p4
「ワインの出来を決めるのは、8割がブドウ、2割が醸造技術といわれます」p5
「ワインはブドウ作りからはじまる。そのためにも、ワイナリーは自立しなければいけないと指摘された(日本ではブドウ作りは農家の仕事、醸造がワイナリーの仕事)」p51
「それまで低迷していた日本のワインの評価がその後上がっていくうえで、1983年のメルシャンによる「シュール・リー製法(フランスで始められた、発酵後、澱を取り除かない製法で、しっかりとした味わいとなる)」の試験醸造が、間違いなく大きな転換点でした(メルシャンはこの製法を、地元のすべての会社に公開した)」p76
「醸造は、何かを加えたり、掛け合わせたりというようなテクニックによるものではなく、最初に目標を据え、その目標に向かって達成するものです」p86
「ワインが国際商品である限り、海外への輸出は必須です」p106
「(ボルドー大学醸造学部デギュスタシオン(利き酒)コース(DUAD))これまでに50人以上の日本人卒業生を輩出していますが、留学当時、資格を取る日本人はせいぜい年間1人いるかどうかと聞いていました。(長女 三澤彩奈は、)そのような厳しい環境の中で、さらにブルゴーニュに出向き、上級ブドウ栽培・ワイン醸造士の資格を取得したのです」p112
「ワインのテイスティングはとても繊細なものです。アミノ酸や酵母エキスと表記される合成調味料の味を覚えてしまうと、舌が麻痺してしまいます。自宅での調味料などは「良い食品を作る会」という団体で取り扱われているものを使っています。今でも新幹線で出来合いのお弁当を食べたことがないし、飛行機の機内食なども控えます。チョコレートやコーヒー、カレーやキムチなどの刺激物も避けています」p120
「山梨では当時、ほとんどのワイナリーが多かれ少なかれ農協からブドウを買っており、収穫は農家さんの都合に合わせなくてはいけないので、醸造家がブドウを食べて収穫期を決めることは不可能でした。本来、醸造家というのは届いたブドウを仕込むだけが仕事ではないのです」p133
「日本では褒め言葉として「飲みやすい」という言葉がよく使われます。樽があまりかかっていないとか、スムーズとか、酸があまりないという状態です。でも、海外では、正統派のスタイルであれ、個性的なスタイルであれ、もう少し特徴のあるワインが好まれるのです。あまり知られていない産地や品種のワインに、日本よりもオープンな印象があります。専門家でも職業が違えば、ワインの見方は異なりますし、消費する方々にとっては嗜好品でもあるので、国籍や、食文化の違いなどによって、同じワインでも捉え方が違います。その一方で、数値化が難しい味覚の世界にもかかわらず、絶対的な良いワインも存在するような気がしています。それらは、果実の熟度、余韻の長さ、熟成のポテンシャルなど、醸造家が造りこむことのできない領域を備えているワインです。ただ、絶対的に良いワインが、魅力があるワインに一致するかというと、それもまた違う気がするのです。ワインには、飲み飽きない心地よさや、ブドウ品種や土地の個性が魅力として現れていることも大切なのだと思います」p135
「私が見てきたボルドーのワイン造り、ワイン産業とは「常に市場を意識した厳しさがある」ということです。ボルドーでは研究者とワイナリーの距離が近く、そこで得られる情報は、有用であり、信用できるものでした。醸造に携わる人たちも、さらに良いものを作ろうとする向上心が強くあるように思います。ボルドーには、そのような風化しない厳しさが存在するように感じられるのです」p140
「甲州のようなワイン用のブドウは、世界に1万以上もの品種が存在します」p146
「以前、イギリスで流通する5ポンド以上のワインのうち、8本に1本はニュージーランド産と聞いたことがありました。世界のワイン生産量において、ニュージーランドワインが占める割合は、0.3%にすぎないことを考えると、驚異的な数字です。当時、イギリス市場で売られるニュージーランドワインの85%が5ポンド以上で取引されていることから「世界一健全なワイン産業」といわれていました」p161
「多くの新興国ワイナリーは、フランスのワインを絶対的な存在と捉えているものだと思っていました。しかも、チリは、カベルネ・ソーヴィニヨンで名を馳せており、カベルネ・ソーヴェニヨンといえば、ボルドーに憧憬の念を抱く醸造家が多いと信じて疑わなかったのです。しかし、実際、チリの醸造家たちは、独自の道をいく革新者でした。「十分の一の価格で、同じ品質のものが造れる」。そう続けるワインメーカーの横顔を見ながら、チリワインの強さに触れた気がしました」p176
「チリの凝縮度の高い健全なブドウは、太陽と乾燥した気候によってもたらされていたことを実感しました」p177
「(30歳台で体力の限界)醸造家は醸造期になると、寝る時間も、お風呂に入る時間も、ご飯を食べる時間も惜しんで、ワインを作ります。日本と南半球を行き来しながら1年中ワインを作り続けるなかで、自分の生活がどこにあるのかもわからなくなっていました」p191
「南半球に渡りながらワインを作り続けた期間は、6年にのぼりました。この苦しかった6年があったからこそ、今の私があるのだと心から思います。そして、この経験は、わたしの財産となっています」p192
「具体的に私が心に誓ったことは「三澤農場では、糖度が20度以下の甲州は摘まない」ということです」p193
「どれがベストというのではなく、どの国のワイン造りも、その土地ならではのノウハウが存在するし、そのノウハウには、必ず理由や背景があるので、リスペクトするように心がけていました」p194
「(2014年6月「デキャンタ・ワールド・ワイン・アワード(DWWA)」で日本初の金賞受賞)父が垣根栽培に挑戦してから実に20年以上を経て、甲州に人生を懸けた父の魂が、わたしやチームの心を動かし、甲州の歴史を変える1本を造りあげたのだと私は思います。それまでの甲州の概念を覆した新しい甲州が、ようやく世界中のワインに肩を並べられた瞬間でした」p199
「(CO-OPETITION)Cooperation(協力)とCompetition(競合)の混成語です。利害の一致しない者同士が、より高い目標に向かって手を組むこと」p211
「世界で最も厳しいといわれるロンドンの市場では、ワインの香りに変化を与えやすい天然コルクや合成コルクよりも、香りの問題がなく開けやすいステルヴァン(スクリューキャップ)が信頼されています」p213
「家族経営で投資力の乏しいワイナリーにとっては、結局、実力主義しかないように思いました。それが、DWWAだったのです」p219