たとえば英語の先生が、ネイティブティーチャーの意図を噛み砕いて生徒に説明している場面を見たときに。
先生の仕事って何なんだろう?これはコーディネイターなのではないかと思ったことがあった。
そんな自分にとって、UDL学びのユニバーサルデザインを読む際にも同じような不安があった。
昨今、発達特性を持つ子どもたちが多く可視化されるようになった。
そんな時に、たとえば議論をさせることや、オンラインツールを使って一斉授業することは、難しいのではないか?と考えていたのだった。
そこで、授業も子どもたちそれぞれが理解しやすい方法や環境があって良いのだという本書を読んでみたいと思った。
UDLの三つの柱としては、
「取り組みのための多様な方法を提供する」
ーなぜ学ぶのか、感情
「提示(理解)のための多様な方法を提供する」
ー何を学ぶのか、認知
「行動と表出のための多様な方法を提供する」
ーどのように学ぶのか、方略
が挙げられている。
これからの学びには、主体性・対話性・本質が欠かせない。
その際に子ども達一人一人にとって、何を用いて考えたり、表現することがやりやすいかはきっと違うし、そこにある程度幅を持たせることが主体性にも繋がるのではないかと思う。
答えそのものだけでなく、プロセスをどこまで意図的に授業に組み入れることができるか。
これはコーディネイターでもあるけれど、教科の本質や何が出来れば達成できるかを段階的に設定するという、かなり専門的な仕事でもある。
この柔軟性と、それにかかる負担のバランスをどこまで保っていくかは、恐らくオンライン化にかかっているようにも思う。(オンラインでなくとも、UDLは可能だという章もちゃんと用意されている、笑)
こうした設計の中で、大切なのは本当に子どもたちが「積み上げる」意欲を持つかどうかだろう。
そのために他者の関わり、横文字を使うとフィードバックやアセスメントをどう組み込んでいくか。
なるほど、知識を与えるという、ただそれだけに特化するのであれば、もはやインターネットは代替になる域にまできた。
知識を持った先生が、どうアプローチし、それ以外の部分で道筋を作っていくのかが問われているのかもしれない。