1960年代アメリカの「マンソンファミリー」連続殺人事件がモデルになっているとのこと。
カルト集団の「ランチ」での暮らしぶりや、住宅への侵入、最終的に起こる事件の描写はショッキングで、ゴシップ的興味を惹かれて、怯えながらもどんどんと読み進めてしまった。
何年か前に見て訳わからないと感じた映画「ワンスアポンアタイムインハリウッド」は、同じ集団によって起きた事件を前提に作られていたんだな。それくらい、アメリカでは誰もが知っている事件なんだ。
遠い昔の、外国で起きた事件なのにこんなにもハラハラと没入しながら読み進めていたのは、語り手のイーヴィーの思春期特有の自意識にあまりにも身に覚えがあったから。
イーヴィーは事件の日も途中まで車に同乗していて、意思に反して車から降ろされる。
ランチのコミュニティや事件に半分身を浸している半端な存在。
いつも自分がどう見られているのか気にして、恋に憧れて、誰かに気づいてもらえるのをいつも待っていて、少しの接点で全速力で恋に落ちてしまうこと。人を値踏みして、庇護された立場であることが鬱陶しくてそんな自分がダサくて、なんでもないことのように必死に振る舞ったり、少しでも認められたら喜んで自分を差し出したり。
イーヴィーの感情を、知っていると思った。
・とにかく準備ばかりして過ごした。雑誌の記事に教わったのは、人生は誰かに気づいてもらうまでの待合室に過ぎないということだった。
・友情そのものが目的になりうるなんて信じていなかったし、男の子に愛されるかどうかというドラマの背景音くらいにしか考えていなかった
・夏至のパーティーから1週間しか経っていないのに、わたしはすでにランチを再訪し、スザンヌのために少しずつお金を盗むようになっていた。ほんとうはもっと時間をかけてそうなったんだと思いたい。何ヶ月もかけて説得され、ゆっくりと壊れていった、バレンタインみたいに用意周到に口説かれたんだと。だけどわたしはやる気満々のいいカモで、自分を差し出したくてうずうずしていた。
・わたしが知っているのは傍から見た中途半端な物語で、しかもわたしは罪を犯してもいない逃亡者だった。誰も捜しにこないことを心の半分では願い、もう半分では恐れていた。