今日は暑い一日でしたね。私も病院で氷入りお茶を15杯くらい飲みました。
さて今日のブログは「勇気ある人々」ジョン・F・ケネディ。有名なケネディ大統領の著書です。
ケネディ大統領(当時上院議員)が、背中に疾病を患って療養していたとき、「時間を有意義に使いたい」とうことで、アメリカの著名な上院議員8
...続きを読む名について研究・調査し伝記を書きました。
これが本著です。私は一人チョイスすることにしたのですが、どの方も一癖も二癖もあってなかなか決められませんでした。
そこで、ダニエル・ウェブスター上院議員を取り上げることにします。
ウェブスターはニューハンプシャー州出身。1805年ダートマス大学卒業後、弁護士業を開業。1812年に下院議員に当選。1827年からは上院議員となり、連邦政府の権限強化を主張し、ジョン・カルフーンらと激しく対立。
第9代大統領ウィリアム・ハリソン、第10代ジョン・タイラー、第12代ミラード。フィルモアのもとで国務長官を務める。しかし大統領にはなれずしまい。
彼の親友はウェブスターのことを「弱さと強さ、そして不道徳と気高さが同居している人物」と書いた。
ウェブスターの初めての連邦議会での演説となった1812年の米英戦争への反対演説以来、下院で注目を集める存在となっていた。
それまで、新人議員としてそんな例はまったくなかった。当時はもちろん、歴史的に見ても卓越した雄弁家だった。
連邦議会だけでなく、マサチューセッツ州の人たちもその弁舌に聞きほれた。また弁護士として最高裁判所でも雄弁を振るっている。
彼の演説を聞いたハーバード大学の若い学生は次のように書いている。
「私は演説を聞いてこれほどまでの興奮をおぼえたことはない。3、4度、私の頭が破裂しそうな気がした...あまりの感激に茫然自失、そして今もその状態が続いている」
ウェブスターは非常にゆっくりとした口調で話す。一分間に100語という平均的な速さにはとうてい及ばない。
しかし、オルガンのように豊かに響く声、鮮烈な想像力、相手を論破するさま、自信にあふれしかも巧みな話術、そして強烈な印象の容姿があいまって、その演説は聴衆を引きつけた。
だが、めったにそれを予稿として書きとめたりはしなかった。伝えられるところでは、次々に文章を考え、ペンを使わず頭の中で推敲し、そして作文したとおり正確に口にしていたという。
当時の著名な政治家、ヘンリー・クレイは南北の妥協案のために、ウェヴスターの並外れた才能の力を借りなければいけないと考えていた。
神のような風貌のウェブスターが沈思黙考して聴いていると、病気がちなクレイは、連邦の結束のため最後の大勝負に出るつもりだと打ち明けた。
その主な内容は次の5点にまとめられていた。
①カリフォルニア州は自由州(奴隷制のない州)であることを認める
②ニューメキシコとユタは奴隷制賛成・反対どちらでもない州とする。
③テキサスはニューメキシコに譲渡される領土についての補償を受ける。
④ワシントンDCでは奴隷制は廃止される。
⑤従来よりも厳しい逃亡奴隷法を成立させ、逃亡した奴隷が北部で捕らえられたとき、所有者の下に返還させる。
この妥協案は南部の人々から宥和政策だと非難を受ける。とくに①と④が問題視された。そして北部の奴隷制度廃止論者からは、90パーセントは南部への譲歩であるといった。
人々は、ヘンリー・クレイがなぜこのような難しい案の承認を、奴隷制を絶えず反対している、ウェブスターに取り付けたのかと疑わざるを得なかった。
しかしウェブスターは、南北の対立の激化が「結局、奴隷をつなぐ鎖が強化されること」を恐れていた。
ウェブスターにとっては、連邦を維持することのほうが、奴隷制を反対することよりもはるかに大切だった。
したがって、ウェブスターはクレイに対して、条件付きの支持を約束した。そして南部のリーダーと意見交換をし、国の状況を観察して「交渉が決裂すれば、南北間で戦争が起こることが避けられない」と結論付けた。
そして「正直に事実をありのままに伝える演説をし、連邦を支持する演説をする。そして誰にも恥じることのない良心を守り抜く」と友人に語った。
3時間と11分にわたり、その間長い原稿に数回目をやっただけで、ダニエル・ウェブスターは熱弁をふるい、連邦の大義を呼びかけた。
この上院にとっての主要な懸案事項は、奴隷制を推進することでも、廃止することでもない。それはアメリカ合衆国を維持することだ、と強調した。そして南部の「平和的な連邦離脱」という考え方を激しく攻撃した。
実際にはウェブスターの演説は大成功だった。北部の人々からは否定されたけれども、非常に好戦的なウェブスターのような人物が、統一と愛国主義の名のもとに理解を訴えたという厳然たる事実が、ワシントンと南部一帯で、南部に対する誠実な保障であると認められたのだ。
この演説により、南北の軍事衝突は10年遅れ、双方の間のさまざまな問題が矮小化され、それが連邦の維持につながった。
軍事的に見ても、戦争を10年間先送りにすることにより、北部の州は、人口、生産活動、鉄道などで圧倒的な差をつけることに成功した。
この演説は全国津々浦々にまで、書面化され配布され、ウェブスターの名誉をますます高めた。
ウェブスターは、最後まで、連邦に対して、そして勇気ある主義主張に基づく偉大な行動に対して、忠実な姿勢を貫いた。ウェブスターはそのような人物だった。