大根仁のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
伝説のドラマのアニメ化の小説版(ややこしい・・・)
原作は二つの結末が存在するドラマだったが、
今作ではアニメではお馴染みのループものになり、
小学生だったノリミチ達は中学生になっている。
また、ストーリーも全体的に分かりやすくなっており、
辛い料理をマイルドにし、手に入りやすい食材で作られた
陳健民さんの四川料理のようなリメイクという印象。
このようなリメイクの仕方は正しいと思う。
替えの利かない何かがある原作を再現するのは難しい。
大根仁監督は、美味いだろ?俺の作った担々麺は。
でもな、本場四川の担々麺も食ってみてくれ。
美味いなんて言葉じゃ言い表せないぜ・・・
と、言いたいんじゃないだろうか。
ちょっと残念だったのは、是非とも稔と和弘には、
「広瀬すずーっ!」「まどかマギカーっ!」
と叫んで欲しかった(鹿目まどかではないのが重要) -
Posted by ブクログ
原作映画、アニメ未鑑賞。
同じ一日を繰り返すという意味でいうと、活発時をかける少女」に近い部分もあるかもしれないが、原作が岩井俊二さんということもあって、文章も映像寄りな書き方になっているように感じた。
中学一年という設定での心理描写も上手く表現されているし、読んでいるこちらがそれぐらいの頃の自分になったような気持ちで読めた。
典道となずなの恋心は、読んでて懐かしいような甘酸っぱいようなドキドキ感を感じた。
なずなを強く想う典道の熱い気持ちが「もしもの世界」という奇跡を起こし、花火大会での「二人だけの世界」を作った。
最後の方の花火大会の二人のシーンは胸キュンでした。
岩井監督の綺麗な映像も観たいので、映画版とアニメ版も観てみたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「私が勝ったら、何でも言うことを聞いて」
夏休みの花火大会の日。島田典道は小学校の時から気になっていた及川なずなに、親友の安曇祐介も想いを寄せていることを知る。真夏のプールサイド、いつものように祐介とふざけていると、二人はなずなから突然、50メートルの競泳で"賭け"を申し込まれる。
賭けに負けた典道は、その日の夕方、親友の祐介がなずなから花火大会に誘われたことを知る。しかし典道は、何故かなずなと花火大会へ行くことになってしまう。事情が飲み込めない典道は、家出をして来たと言うなずなと共に花火大会へ足を向けるが、なずなは彼女の母親に連れ戻されてしまった。彼女を取り戻すため典道は、花火大会の同じ一日を繰り返す。繰り返された世界が間違った世界だとしても、何度も何度も、ただ、彼女を取り戻すためにーー。
親の庇護がなければ生きていけず、自分の進む道の選択を強いられる子どもたち。まだ大人になれないが故に変えることのできない現実だけが残って、リアルな切なさが胸に迫る。
典道となずなが何度もすれ違い、何度も繰り返しやり直して最後にたどり着いた世界は、二人が望まず、世界が望んだ世界。あるべき現実のカタチにようやく気付いた二人は、別々の道を歩き出す。そして静かに夏が終わる。
この物語の面白いところは、本当の世界と、もしもの世界1〜3の時系列がずれているところ。典道の物語の裏に、祐介となずな、それぞれが主人公の物語があり、それぞれの"本当の世界"が存在すること。誰かの"本当の世界"は、他の誰かの、あったかもしれない"もしもの世界"。
そのことに、どれだけの人が気づいて読んだだろう? -
Posted by ブクログ
ネタバレ映像作品を文章にしたということと、筆者である監督自身があとがきで記されていますように、この作品を初めて小説で読んだ人には、伝わりづらいところが多々あります。
とはいえ、私は、こうした、若さや青春特有———と思わせて、最早近頃は大人にとっても珍しくない、「くどくど」な周り道が、大好きだぁぁぁ!という思いを再確認致しました。笑
小説から生きるヒントを学ぼうという人ももちろんいるとは思いますが、多分、ヒントに、直接的で実利的なものを求める人は、そもそも小説ではなく、HowTo・ノウハウの本を読むのではなかろうかと私は考えます。
であれば、実利的でないのなら、小説は何を読むものなのか?
その問いの答えこそ、「くどくど」なのです。笑
多分、言い訳や嘘を一度も体験したことがない人はいないはず。そしてそういう、羞恥心や自尊心のための、いわば「くだらない」価値観や態度を、人はある程度の年齢や体験を繰り返すことで、やがて克服していくのです。
そしてその告白が早い人もいれば、開き直って生涯その不器用な性格と付き合うことを決める人も、はたまたなんとなく不器用なまま生きている人もいるでしょう。
思うに私にとって小説とは、そうした、生きる志を持つまでの、さまざまな、年齢、男女、それぞれの条件の人々が出会い、心を通わせる、まさしく本作に登場する「もしも」のような、不思議な寄り処なのです。
器用に生きられる人にとっても、小説は、不器用であった頃の自分を懐かしむものであり、今一生懸命に生きる人へ「なんでそんなに不器用なのか!」と責めるのではなく、自分にも不器用な頃はあったと、肌身に馴染む感覚で思い出し、やさしくなれるきっかけとなることでしょう。
そして今現在不器用な人にとっては、まさにこうした小説の「くどくど」の先にある、勇気ある行動、姿にこそ、影響され、少しずつ、ゆっくりと変わっていけるきっかけとなることでしょう。
皆さんにとって、なずなちゃんと典道くんの「くどくど」な寄り処が……幸せの道標となりますように。