青野太潮のレビュー一覧

  • どう読むか、聖書の「難解な箇所」「聖書の真実」 を探究する

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    筆者の1994年の『どう読むか聖書』を読み、救いと贖罪の関係において、悔い改めがあるから救われるのではなく、救われているから悔い改めることができると言う、前提と結果の矢印の向きの関係に注意するようになりました。

    本書でも同じポイントが繰り返し述べられていましたが、それに加えて一方通行の矢印で説明できない、円環のような考え方にも触れることができました。
    具体的には、
    >身体に機能の異なるそれぞれの部分があるように、人は一人一人違うものだが、身体を形作ると言う点においてはどれも同じく重要である。
    >ある人がその内側に疑問を持つが故に、その人の内側と外側から答えが与えられる。
    >神は不完全な現実すら許すが、その不完全さが克服されるが故に許されている。
    などです。

    どの考えも原因と結果と言う簡単な論理で理解できるものではありませんし、言い方を変えれば『不平等ゆえの平等』や『答えが分からないのに答えが出る』など、そもそも矛盾したことを言ってすらいるようです。

    しかし、毎週の日曜日に教会に行き、聖書を読み、牧師の説教を聴くと言う行為は、こうした矛盾に対して自分なりに納得できるように考える事を諦めないことであり、それすらもキリスト教の信仰の一つの形なのではないかなと思いました。

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    2026年09月08日
  • パウロ 十字架の使徒

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    パウロの考え方を誤解していた。
    「パウロが命を賭けて伝えようとしたのは、人間の自己絶対化を厳しく否定し、神の前に謙虚に自らを見つめ直して、人間の『弱さ』に深く思いを向けるように、というメッセージである。」
    とのことです。

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    2023年04月21日
  • パウロ 十字架の使徒

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    「聖書学」とはこういうものなのか、というのが素朴な感想。聖書のなかのそれぞれのテキストを書いた人物の特定であるとか、それが書かれた状況であるとか、その人物がどのようにものごとを捉える人であるかとか。それらを踏まえた上で、使徒たちの間に見られる、イエスの死に関する、ユダヤ教的(ヘブライ的)・「悔い改め」的・行為義認的(贖罪論的)な見方と、パウロに代表されるヘレニズム的・「弱さの自覚」的・信仰義認的な見方の対立が描かれ、その是非が論じられている。パウロの行動の軌跡を丹念にたどりながら論が展開されているので、パウロがどんな問題に取り組んでいたのかについて、具体的な像を伴って理解できたような気がする。

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    2019年06月03日
  • パウロ 十字架の使徒

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    キリスト教はパウロ教と名乗るべきだ、と言う主張を聞いたことがあった。
    ユダヤ教のカルトであった「キリスト教」を、ユダヤ人以外にも布教し、受け入れられるように変え、世界的な宗教にした、と。

    結局、自分の知っている「キリスト教」はパウロ教なので、
    それがどう本来のキリスト教徒と異なっているのかがわからず、難しかった。
    ナザレのイエスがキリストだと告白はするものの、律法を遵守し宣教の対象をもっぱらユダヤ人とする「ヘブライスト」から、
    律法からの自由を説きエルサレムにおける神殿礼拝を厳しく批判した「ヘレニスト」に主流が代わっていったのは、
    70年のエルサレム神殿の破壊をきっかけだったのはわかった。

    一番の驚きだったのは、
    聖書の中ではおまけ的な存在だと勝手に思っていた「パウロの手紙」が、福音書より早い時期に書かれていたこと。
    福音書はイエスの死後しばらくたってから、書かれたのは知っていたが、
    パウロの活動は思っていたより、イエスの死に近かった。

    それと、興味深いと思ったのは、
    十字架刑が残酷な処刑であり、屈辱的な処刑であったため、初期のキリスト教では十字架を首からさげるということは、考えられなかった、ということ。

    しかも、パウロの旅は献金集めの活動でもあったこと。
    結局、金なのか。

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    2018年03月21日
  • パウロ 十字架の使徒

    Posted by ブクログ

    パウロがキリスト教を世界宗教にしたことは漠然と知ってはいたが,具体的なことを認識できた.ユダヤ教の律法第一主義の世界の中で,パウロが葛藤した経緯が明確に示されている.読解が難しいパウロの数々の手紙を,原文などを参照しながら的確な訳文を随所に引用していて,理解しやすい.”「不信心で神なき者を義とする神」を信じることによって人は義とされる.”がパウロの信仰義認論を言い表していると感じている.

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    2017年06月27日