佐藤大介のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「ルポ○○」というタイトルの作品が好きでよく読むのだけど、こちらもまたインパクト絶大な一冊。
死刑囚、元死刑囚の遺族、刑務官、衛生夫、教誨師、元法相、異なる立場の人々からの克明な証言をもとに、謎に包まれている死刑制度の現実と実態を知ることができ、とても意義深い内容だった。
改元前にオウム真理教元幹部らが立て続けに死刑執行されたことはまだ記憶に新しいけれど、それも「ニュースで知った」というだけで、どのように異例だったのか等の詳細は何にも考えたことがなかったのだと気づいた。
いわゆる「袴田事件」については、死刑が確定していたのに49年目にしてそれが覆り、釈放が認められたというのだから驚愕するほかない。その間ずっと死刑の執行と隣り合わせの毎日とは、気が遠くなるほど恐ろしい。
冤罪はあってはならないけれど、それでも漠然と死刑制度はあった方がいいのではないかと思っていた。世論調査でも日本国民の8割が賛成しているそうだ。
けれど、一概にそうとも言えないのかも、と考えさせられたのは、第二章の「死刑と償い」を読んでから。
被害者遺族の声は、私が想像していたのとは違った。
「更生してほしいとか、そうなったら私も救われるとか、そういうことを考えて手紙を書いてはいません。ただ、彼が謝っているのもわかる。それは事実でしょう。そして、娘が帰ってこないのも事実です。彼は、一度は死んだ人間。そこから、裁判で判決が決まって、刑務所の中で一生懸命がんばっている。そのことは受け止めています」
「いろんな気持ちが起きるんです。仏と鬼の両方の気持ちを持っている。それが人間でしょう」
死刑を言い渡されるほど残虐に誰かの命を奪った者の償いって、本当にあるんだろうか。
そんな相手に対して、死をもって償え以外の感情って芽生えるんだろうか。
そこにどんな動機や理由があったにせよ、人は変わることができるのか、そして変わったとてそれを赦すことができるのか、次々と疑問が湧いてしかたがなかった。
もちろん、更生しようとする死刑囚と、それを受け止めてやりとりができる被害者遺族の関係性はごくごく稀なのかもしれず、ずっと死刑を望み続ける場合もあるだろうけれど、それでも新しい視点から死刑制度を考えるきっかけが生まれた気がした。
死刑囚と日々接し、執行そのものも担わなけらばならぬ刑務官が、模範囚でもあった当該人物の母親に「最期は立派でしたよ」と声を掛けた、というのも、本書を読まなければ絶対に知り得なかったことの一つだと思う。
死刑制度を廃止する国が年々増加しているという国際社会において、日本は今後どうなっていくのだろう。死刑はやむを得ないのだろうか。終身刑は死刑より残酷なのだろうか。
自分はどちらなのか、こうやって本を読んで罪と罰の問題を考えるだけでまるで分からなくなってくる。そもそも死刑制度とは一生関わらず、ずっと分からないままでいたいと願ってしまう。
ただ、死刑執行の密行主義を貫く現状ではそれらの議論は停滞したままだろうし、他人事とし続けることはできない。何でもそうだけど、まず国民がきちんと知ること、知らせることから進めていってほしい。誰がどう考えたところで、正解なんて無いのだから。 -
Posted by ブクログ
病院で働く医者というよりは、公衆衛生や民間企業に腰を据える医療関係者の人たちの対談コラム
私自身病院に来る手前の人たちに医療従事者側が介入するシステムを構築することに興味があるので色々と参考になる内容が多かった。横文字が多くてちょっと読みづらかったけど。
医者としての将来に不安はつきないが、同時に変化していく未来が楽しみでもある。何でもできるし、何者にでもなれる。多分。
✏少子高齢化や人口減少で社会保障費の負担がどんどん大きくなる中で、サステナビリティだけを考えれば、医療費を抑えるために治療を「諦める医療」にシフトすればいいという話になりがちである。しかし、質を担保したまま持続可能な医療にするにはどうすればよいのかが、本来解決すべき課題である。
✏医療は病院から始まっていると思いこんでいたが、そうではない。「生きること全て」を支えることが、医療、ヘルスケアになっていく。
✏日本の医療の仕組みは、アクセスという点では公平で素晴らしいものを実現しているので、次は人々に寄り添う形でデータ×AIを用いたダイバーシティ&インクルージョンを実現することを目標にする時期に来ている。
✏外科的治療のデバイスはほとんどが外国製である。つまり、日本の最大産業である医療産業では、日本国民が納めた税金を一生懸命投入しても欧米・中国に医療費という形で支払っていくことになる。
✏多様な意見を受け入れるには、それに影響されない芯になるものが自分にあること、つまり自分に自信と余裕があることが必要である。
多様性に対して不寛容な日本の社会は自信と余裕のなさの表れかもしれない。
✏教育者に求められるのは、利他性・アンガーマネジメント・経験と技術。
✏「何をするかよりも誰とするか」を意思決定の軸に置く方が、結果的に幸せな人生を送れるのではと、様々な人を見てきて思う。
✏2020年から2040年までに生産年齢人口が40%減るのですが、実はAIを導入すると40%の失業者が出ると言われています。つまり、40%の人がいなくなるが、40%の人がいらなくなるということです。
✏人間としての医療職がやるべき仕事は、何がベストの治療的介入の組み合わせなのかということを、日常生活の聞き取りの中から導き出して、相手を説得し、さらに最後は責任を取ることだと思います。
✏「地域包括ケアシステム」
システムというものは、柔軟性がありません。想定外の事態に対して非常に脆いのです。システムによらずとも高齢者が暮らしていけるように、地域や家族の底力を高めていかなければなりません。それは、個別性とか多様性というものを容認して居心地よい場所をつくっていこうとする地域文化(カルチャー)です。
✏病院の患者は、感染管理を始め細かく運用されるシステムによって守られています。しかし、地域で暮らすお年寄りはカルチャーによって支えられているのです。
✏日本の介護現場は、技術や日本語を一生懸命教えたら、ずっと定住してくれるのではないかという幻想を抱いてますが、そんなはずはないのです。彼らはお金を稼ぎに来ているのです。
✏外国人労働者が、何を求めて来ているのか(ビジネスの基本、接客etc)をフォロー・サポートしていく、夢を一緒に追っていくという姿勢が必要だと思います。
✏自分がやっている医療がなぜ大事なのかを社会に対して説明する必要があります。なぜなら、税や保険など公的なお金によって運営されている事業だからです。
✏常に万人にとって完璧な発信はなく、不完全な情報発信の成果と、自分自身の限界に真摯に向き合う必要がある。 -
Posted by ブクログ
死刑をめぐるさまざまな立場の意見をまとめた新書。
筆者の書いているとおり、普段、私たちは死刑がどのように行われているのか、死刑囚がどんな生活をしているのか、彼らの刑の執行までどのような人が関わっているのか、知ることはない。法務省の役人から被害者遺族、教誨師、世話係まで、いろいろな立場の言葉を読むことができ、勉強になった。
筆者の立場は明確に死刑廃止で、文章の切り取り方からもそれが見える。関係者の言葉を読む限り、死刑についてもっと議論し、廃止も含めて検討すべきなんだろう、ということに対して疑義はない。
だが、一般市民としては、被害者のことをどうしても考えてしまう。被害者は命を奪われて口がきけないので、このルポには当たり前だが出てこない。被害者遺族も登場するが、最初はやはり死刑を、と思っていて、長年の加害者の努力により、感情が変わって来た遺族だ。被害者となった人は、ほとんどの場合、ごく普通の生活を送っていた一般市民で、命を奪われるようなことをしていないのにも関わらず、加害者の意志により落命している。もし自分が被害者で、もし死後も自意識みたいなものがあるとしたら、私は許せるだろうか。もっと生きていたかった人生を理不尽に奪われて、加害者は(幸せとは言えないけれど)生きているのに、なぜ、と思ってしまうのではないか。事故や災害の場合は諦めもつこうが、殺人で、恨む対象がいる場合はそうもいかないのではないか。
反発心かもしれないが、読めば読むほどそう思えてしまって、筆者の主張に素直に頷くことはできない自分がいる。(だからといって、今誰かに自分が殺されたとして、その誰かに死刑になって欲しいとも思えないのだけれど。)
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Posted by ブクログ
死刑囚の執行までの日々の生活、執行を行う法務省や拘置所の人々、教誨師、犯罪被害者の心情など、タイトルどおり、死刑に関するリアルな内容を提供してくれる。本書内で明らかにしているように、著者は死刑反対という立場であり、そのせいか、世論調査の数字の見方などでは若干バイアスがかかった表現のように感じられる部分もあるが、全体的には冷静な筆致で、分かる範囲で事実を書いている。死刑囚に対して行われたアンケートや、犯した罪を深く反省する死刑囚やその被害者家族の話を聞くと、凶悪犯罪に対して応報刑を科すべきとか、犯罪被害者の気持ちは他人には分からないと主張する死刑容認論者の意見のみが正しいとは言えないように思えてくる。
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Posted by ブクログ
インドのトイレ事情についてのルポルタージュ。
中国に次いで世界最大の人口のインドだが、トイレがない人たちが約半数ぐらいいる。日本の常識から考えると信じられない話だが、トイレは不便と考えるのがインド人の常識になっているようだ。モディ首相は、トイレ設置による衛生状態の向上を施策に挙げて推進しているが、実態はトイレがあっても使わない。後の処理が面倒だから、費用がかかるから、という人も多いようだ 農村は野糞が当たり前で、そのために犯罪が起きる(特に女性子供)こともあるらしい。またトイレがあるところでも、下水の清掃で命を落とす人たちもいる。カースト制の悪影響の問題を技術で問題解決を目指す人たちの話等々、トイレ事情の信じられない実態のレポートとなっている。 清潔すぎる日本のトイレ事情は、逆に言えば世界の非常識なのかもと思った。
ちなみにインドには一週間ほど行ったことがある。仕事だったので、空港ホテルと会社のトイレしか使わなかった。特に不自由した覚えはなく、インドのトイレについて考えたこともなかった。ホテルに宿泊するビジネスマンは同じ感想を持つと思う。その国のことは住んでみないとわからないと言うが、まさにその通りだ。インドは好き嫌いがはっきり分かれる国だが、生活事情を見ると判るような気がする。