広島と長崎での二重被爆。それがなくても著者の人生は過酷な
ものであった。幼い頃に縊死した生母の姿を見、就職先の
三菱造船所では職工と大卒社員の待遇の違いを見せつけられ、
結婚後は授かった長男を医薬品不足で亡くしている。
戦中、多くの男手が戦地に送られた。広島の造船所で技術者が
足りない。応援に行っ
...続きを読むてくれないか。3カ月の広島出張だった。
それが終わり、長崎へ帰る日、1回目の閃光を浴びた。
避難列車が出る。閃光に焼かれた体を動かして、帰郷の途に就く。
長崎へ帰り着いた翌日、会社へ帰郷の挨拶に訪れた時に2回目の閃光。
原爆に焼かれた広島を、長崎を、詳細に綴っている訳ではない。
凄惨であったろう情景を描き出している訳でもない。それでも、
水を求める人たちが辿りついた川で力尽きる様は、それだけで
原子爆弾という兵器の恐ろしさを教えてくれる。
一瞬にして、人が蒸発する。ブロック塀に影だけを残して。
これほど非人道的な兵器があるだろうか。
戦後、アメリカで核廃絶を訴える教育家の女性が著者を訪ねて来る。
自分の話をするよりも浦上天主堂の首から下を吹き飛ばされたマリア
像を見せに連れて行く。
「こういうことをアメリカはかつて行ったのです。なにも恨みつらみ
で言うわけではなく、実際にそうなのです」
20年振りに訪れた広島で、ハワイから来ていた高校生のグループから
声を掛けられた著者は、自分は二重被爆者であることを告げる。それ
を聞いた引率の女性教師は「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい」。
そう言って泣き崩れた。
アメリカは言う。原子爆弾の投下があったからこそ、日本は降伏
したのだと。しかし、一般のアメリカ人のなかには原爆投下は間違い
であったと感じている人々がいることを忘れてはならぬ。
「ファイティング、戦うとは、人を殺めることや人に勝つことを指す
のではない。困難なことがあってもなお自らを奮い立たせ生きる。
「生きる」ことそのものが戦いなのだ」
こんな人を笑いものにしたBBCは大いに恥じろ。
山口彊氏、二重被爆の初の認定を受けた人。90歳を目前にして、国連で、
コロンビア大学で、原爆の被害を訴えた人。2010年1月4日、胃癌の為、
永眠。幼い頃に世を去った生母に、生後間もなく亡くなった長男に、
沖縄で戦死した弟に、全身を癌に蝕まれ自分より早く亡くなった次男に、
再会出来ているだろうか。