礒山雅のレビュー一覧
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ここのところよくバッハを聴くようになった。
もちろんこれまでもトッカータとフーガ二短調等小学校の音楽の授業で扱う極めて有名な曲や、ジャズ風にアレンジされたものはそれなりにふれていた。そういえば、トッカータ…は高2のとき吹奏楽部で、家にあった父のコントラファゴットを持ち出して演奏した。譜面は自分でアレンジした。同じく大学1年のとき、吹奏楽の授業でパッサカリアとフーガハ短調もホルンで演奏した。何れも10代ことで、他の作曲家の作品とは全く次元が違う何かを感じながら、目の前の譜面と向き合っていたように思う。ただその後は、特に積極的に聴くことは少なく、多少聴いたとしてもストコフスキーによるオケへの編曲物等いわば亜流の作品ばかりを聴いていた。最近では勤務先の中学生が吹奏楽でシャコンヌを演奏した。生徒たちの純粋な心で解釈し作り上げた演奏には聴く人の誰もが感動した。
私がバッハを聴き始めたきっかけは、「大学院の課題をやりながらBGMにバッハをかけると、なんとなく効率が上がるかも」と思い始めたことだ。一曲の中でテンポが一定で、音の刻みも様々な意味で規則的であり、著者の言葉を借りれば「幾何学的」・「数学的」秩序がある。また転調もそうなく、抒情的・世俗的・ロマンチックでないので、自分と一定距離があると思えた。こうしたことが、多分“集中”に向かわせたのだと感じている。この聴き方を続けているうちに、徐々にバッハの世界観をもう少し知りたくなり、オルガン曲、ピアノ曲、室内楽曲等のCDを購入し、さらに本書のページを読み進めた。
序章から著者のバッハへの思いに共感した。「現代のわれわれがこんなにもバッハ惹かれる理由のひとつは、富裕な社会にいきて刹那の満足ばかりを求めるわれわれに、彼の音楽が、精神にとっての本質的な問題を想起させるところにあると思う。」「いわば魂の福音を与えてくれる人である。人間の小ささ、人生の虚しさをバッハはわれわれ以上によく知っているが、だからといってバッハは人間に絶望するのではなく、現実を超えてより良いものをめざそうとする人間の可能性への信頼を、音楽に盛り込んだ。その意味でバッハの音楽は切実であると同時に、きわめて楽天的でもある。」なるほど、やはりそういうことだったか!随分遠回りしたかもしれないが、人生を通じて聴くべき音楽だと思った。本書はバッハの一生と作品を時代と生活の区切りごとに紹介している。書かれているエピソードを踏まえて聴き直すと、また新たな気持ちで作品を味わうことができる。末永く傍らに置いておきたい文庫本だ。 -
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・礒山雅「マタイ受難曲」(ちくま学芸文庫)を読んでゐる。まだ第2部の途中なのだが、その11章の初めにかうあつた。「長大な受難曲を、バッハがただ平坦に作曲し続けていったとは思えない。《マタイ受難曲》にもおそらく、表現の重点が存在するはずである。バッハは、受難物語のどこに焦点を定めて、作曲の筆を進めたのであろうか。」(377頁)正直言つて、私にはかういふ発想はなかつた。ただ漫然と聴いてゐた。いや、聞いてと書くべきであらう。さういふことは考へずにただ聞いてゐた。内容は二の次、 バッハの音楽だけを聞いてゐた。この少し後に、例のバラバをと釈放者を指名する部分の音楽の、特に通奏低音の「たった三つの音符群にこめたバッハの迫真的な表現を、このように深く感じるとるファンもいるのである。」(392頁)とあるのと比べたら雲泥の差である。私にはそのやうな発想も聞き方もなかつた。 世のバッハ愛好家が私のやうな聞き方をしていゐるのかどうか。たぶん違ふと思ふ。ただ皆が皆、言はば襟を正すやうな聞き方をしてゐるとも思へない。その中間あたりで、曲に合はせてテキスト(歌詞カード)でも読みながら聞いてゐるのではないかと思つたりする。何しろキリスト教とは無縁の人間である。受難曲もミサ曲も鎮魂曲も皆同じやうなものと思つてゐる人間である。私はバッハを、とりわけ宗教曲を「深く感じとるファン」にはなれない。
・本書はマタイ受難曲の総合的な研究書であらう。アナリーゼらしきところはあるが引用譜は少ない。それも最小限である。音楽的な記述はそれほど多くない。 楽譜がないと説明できないとか理解してもらへないなどの部分には楽譜があるが、それ以外には、音楽的記述があつても楽譜のないところがほとんどである。例へばイエスの死の場面、「鳴り響く弔鐘」といふ最初の見出しがくる。「〈ああ、ゴルゴダ〉のレチタティーヴォは、われわれを、まったく新しい響きの世界へといざなう(譜例46) 。前合唱(ト長調)と鋭い対比をなす変イ長調、しっとりとした音色、チェロの奏するピッチカートの響きーーこのチェロのつまびきは、鐘の響きを模倣したものである。」(442頁)ここは譜例がある。「強拍がほとんど七の和音(不協和音)となっているため、この鐘の響きは曇り、くすんでいる。」(同前)といふのも、譜例から分かる。ただし、その響きをこのやうに認識できるかどうか。それでも、この短い楽譜があるだけで分かり易さが違ふ。ここは曲中の「表現の重点」であるからこその楽譜引用なのであらうが、それゆゑに内容的にも重要である。このあたりではその説明も詳しくなる。「覆う暗闇」の部分、ここでは 「昼の一二時」を問題にする。これが「旧約の表象を背景にふまえて」(449頁)からモーゼが出てきて、更に曲中の「三」の象徴に至る。その後の、イエス が私を見捨てたのかと叫ぶ場面ではやはり譜例つき、音楽的な説明も詳しいが、その内容となると更に詳しく、ルターやルター派神学への詳細な言及があり、更 に「なぜ対訳か」などともある。説明も引用も縦横無尽、音楽学だけではとても太刀打ちできない。本書カバーに「本国での演奏にまで影響を与えた」とある。 これほどの書である。これ一冊でマタイのことは分かると言へさうである。私のやうな聞き方の者には思ふだに恐ろしい世界である。これくらゐ書けなければ学問とは言へないのかもしれない。それなればこそ、譜例の少ないのが残念である。本書を読んで、マタイ受難曲のスコアでも買つて1度くらゐはまともに、そしてまじめに聴きたいと思ふことであつた。そんな有益な、正に古典的名著であつた。 -
Posted by ブクログ
礒山雅氏が選ぶ、バロック名曲名盤100選である。
順番は作曲家の生年順ではなく、楽曲の年代順に並べてあり、1曲目は、カッチーニ:歌曲「アマリリ麗し」。100曲目は、ラモー:歌劇「レ・ボレアード」となっている。
1曲当たりのページ数は2ページ強である。特に有名な曲や重要な曲であっても多く紙幅を割くことはなく、どの曲も均一な文章量となっている。
内容は、さすが礒山氏と思える説明である。限られたページ内で、要点を押さえている。やはり専門のバッハの解説が一番うまい。推薦盤は、文章の中に盛り込んであり、枚数は概ね1枚~2枚である。CDだけでなく、DVDの推薦盤も多いのが特徴である。バロック音楽の名曲名盤ガイドとして役に立つだろう。
構成は、講談社学術文庫特有の硬さがある。すべて文字だけで、作曲家のイラストや写真、推薦盤のジャケット写真などは一切ない。そのため、とても地味に感じる。類書に、皆川達夫氏の『ルネサンスバロック名曲名盤100』(音楽之友社、1992年)がある。あちらは、推薦盤のジャケット写真があった。レイアウトも、見出しがわかりやすく、1曲2ページで区切られ読みやすかった。
本書もそのような、名曲名盤スタイルのレイアウトであったなら、もっと一般受けしたのにという感じがする。本のタイトルも、『バロック音楽 名曲名盤100』のような、ストレートなものであった方が売れたに違いない。
惜しい点もあるが、バロック音楽の格好のガイドであることは間違いない。