地震発生からたったの9日で甲子園にやってきた宮城県代表・東北高校。
被災、避難所での現実、そして甲子園での生活・マスコミ対応を通して、「自分たちは野球をやってもいいのだろうか?」という葛藤を乗り越えていく(あるいは、自分なりの折り合いのつけ方を模索していく)選手たちの姿に胸を打たれた。
震災から1
...続きを読む年以上経った今でも、当時日本全体を包んだ「自粛ムード」のことを思い出す。
東北が壊滅的な被害を受けたというのに、花見なんかやってていいのか?
そんな議論が各地で持ち上がったと記憶している。実際に中止になった、中止せざるを得なかった催しも数多くあった。
たとえ知己でなくとも、自分と同じ国に住む大勢の人たちが不幸に見舞われた。
その時、「不謹慎だと思われたくないから」ではなく、衷心から「喪に服したい」と感じた人がたくさんいた。経済活動を停滞させないためにも自粛なんてしないで欲しい、それは解る。でもイヤなものはイヤなんだ。悲しいんだ。今はまだ悲しみをしっかりと受け止めていたいんだ。
これこそが、私の考える「絆」の姿だ。彼らの物語を読み、それを再認識した。
それと同時に、震災直後のセンバツ開催を、そして東北高校の出場を後押しした方々に敬服する。
先に述べた「服喪」とは矛盾するかもしれないが、歯を食いしばって恐怖や不安と戦う年若い者たちを慈しむ気持ち、子どもたちまで絶望に囚われさせる訳にはいかないんだという大人の意地に、復興の原動力を見た思いだ。(高校生だって、避難所で余震に脅える子どもたちにビビッた姿は見せられねえって頑張るのだ。)
私も「大人」の末席を汚す者として、本書で紹介されていた指導者の方々の言葉を心に刻んでおこうと思う。