カエサルのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
ネタバレ塩野七生氏が著書の中で絶賛していたので試しに読み始めてみたが、読み始めた時は「それほどか?」という印象。
塩野氏が歴史家でも研究者でもないのに歴史書のような装丁、引用でミスリードしながら嘘混じりの誤解・勉強不足の内容を平気で書くことや『ローマ人の・・』の書き方への嫌悪を差し引いても、
1) 原文で読んでいないこと、
2) 私が日本語・英語の優れた報告書(= より進んだ時代の洗練された形式)に慣れていること、
3) 同時代のローマ人のレベルを知らない(日本書紀を読んだ経験から、同時代人はかなりの野蛮人であり、簡潔に系統的に書けるのはかなりの知識人、才能であろうことは想像できるが・・)こと、
の3つの要素がネガティブな印象に影響している可能性は大いにある。
巻末の解説や用語集から先に読んだ方が時代背景や当時のローマの制度などを知ることが出来て戦記の内容が理解しやすい。
解説にある、カエサルの書いた原本はこの世にもはや存在せず、残る複数の写本は10世紀以降の物であることや、写本にかなりな差異があることは考えてもみなかったことで、驚くと共に納得した。
戦記中ではガリア人が極めて薄弱に記述されているが、それも社会体制の変革期であったことなどが細く解説されておりこれもわかりやすい。
8年間にわたる遠征の経路やガリアの部族の地図もあって、内容を理解するのに役立つ。
カエサルとは別の著者が補足的に書いた8,9年目の部分については、解説では「泥沼に入り込んだような・・」と酷評しているが、訳者の力量か、そこまでひどくはない印象だった(ただ、それ以前の文章よりも"劣る"感じのする部分は何カ所かあった)。
解説込みで読み直すと、
(写本で多くの人が手を加えていることを勘案しても)これだけの文章を極めて短時間でまとめ上げるのは驚異的であると感じた。ましてや、手書きのため時間がかかり、紙(羊皮紙)も貴重で推敲も十分に出来ない時代であろうから、その点を含めて恐ろしいほどの才能を持っていたのだと感じる。
最後まで読んでみて「内乱記」も読んでみたいと思う内容だった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレローマの将軍カエサルが、ローマ人から見た蛮族(ガッリー人・ゲルマーニー人)たちを帰順させるために転戦奮闘した記録。著者が自分のことを三人称で「カエサルは・・・」と書くのが特徴的だが、これによってカエサルは自分の感情を書き込まないという制御と、客観的な報告の体裁を得ることに成功している。ただ、行ったことや起きたことの記録なので、読み物として面白いかと聞かれると微妙なところである。無味乾燥なつまらなさはないが、『史記』のようなグイグイ惹きつけて忘れがたい、というエピソードには乏しい。
ところで現実世界において私は断固戦争反対であるが、それでもこうした戦記物を読むと、戦争は人間にとって究極のエンターテイメントでもある(あった)と思わざる得ない。戦場で戦う兵士やそれを指揮する司令官はもちろん死と隣り合わせだが、自軍が負けたら弄ばれ奴隷にされる女子供も命懸けである。それを思えば、戦争の報告に接する一般平民たちの興奮も、オリンピックのニュースどころの騒ぎではないだろう。まさに戦争は全国民(部族民)の血をたぎらせる、大スペクタクルだったのだ。
軍事以外でローマがギリシャを凌いだのは、土木工事だけだった、と何かで読んだ気がしたが、それを裏付けるように、この本ではローマ軍の工事の話がよく出てくる。「あっという間に作業小屋が街へと押し寄せ、攻城用の土手をかけられ、櫓が組まれるという工事の大がかかりさ(ガッリー人には見たことも聞いたこともないほどの工事だったのである)とローマ人の手早さに動転して」(p.84)相手部族は降伏交渉してくる。他にも、森を伐採したり、橋をかけたり、堀や落とし穴を掘ったりと大忙しであるが、この辺りの細かい記述で当時の戦争の実態がうかがえるのが『ガリア戦記』の大きな魅力だろう。
他にも古代の戦争について教わることは多い。たとえば、冬は戦争どころか行軍もできないので、ローマ軍は軍団ごとに冬営する。迅速な行軍が戦争の勝敗を大きく左右する。講和の条件として人質を取るのが一般的、などである。また、司馬遼太郎が『項羽と劉邦』で書いていた「この時代の戦争とは食糧争奪合戦である」(引用不正確)というのは、このガリア戦役にも当てはまるようだ。
それから、やはり注目してしまうのがカエサルその人の言動である。本人が書いたものだからすべて鵜呑みすることはできないが、兵糧不足や地理的不利から士気が鈍っている部下に対し、「そのようなことはカエサルが心配していればいいのだ」(p.57)と言い放ったり、最前線へ躍り出て「小隊長たちには名指しで声をかけ、ほかの兵士たちにも檄を飛ばしながら」(p.94)奮闘したりするのだから、実に惚れ惚れとするリーダーである。
兵士たちも、カエサルが来ればいいところを見せたいと思って猛烈に頑張る。それは戦功が見出されて出世につながる、ということもあるだろうが、それよりも敵方にもその名が鳴り響き、彼が来れば必ず勝つ、というような大将の下で戦うことの喜びのなせる業だと思う。
カエサルもそうした兵士たちに応えて、彼らの奮闘ぶりを本国ローマへの報告書(つまりこの『ガリア戦記』)によく盛り込んでいる。そうしたつながりから、彼らの間に麗しき信頼関係が生まれているのだ。過度の兵糧不足に苦しんだ戦闘で、「カエサルが作業中の各軍団に呼びかけてあまりに困窮がひどいようなら攻略をやめるつもりだと言ったところ、全員がそのようなことはしないでほしいと頼んできた」(p.260)というエピソードなど(真偽はさておき)、こういうのいいなぁと思ってしまう。それから「皆がカエサルの名誉のためにはいかなる危険をも顧みないつもりでいてくれるのはわかるが、それならカエサルも自分の安全より皆の命を大切にしなければ不公平きわまりないではないかと言って兵士をなだめ」という話も(出来過ぎの観はあるが)たまらない。
もうひとつ、カエサルがすごいと思ったのは、抜群の能力と実績を持っていた人なのに、それに頼り切らずに運の力を直視したことである。「万事そういうものであるが、軍事においても運の影響は大きい」(p.231)。内面が描かれない『ガリア戦記』においてカエサルの人となりを推し量るのは難しいが、この一文をもって、何か幸運が起こるのではというような期待と無縁な、ある意味で冷めた行動家としての人間が窺えるような気がする。
最後にこの本の学問的な評価について思うことを少々。歴史はあくまでも人間が書くものだから、研究が進めば新たな光が当てられ、書き替わっていく。中国史では、遊牧民族から見た視点によってかなり歴史が書き換わったと思う(たとえば、戦ったら遊牧民が勝つことが多いし、歴代の王朝にしても異民族の血が混じってない方が少ないなど)が、ローマ史も逆側からの視点で新たな知見が得られているのだろうか。
この本だけを読んでいると、やられてもやられてもローマに反旗を翻すガリア人は、過去の敗戦から学ばず、ただの懲りない野蛮人に見える。しかし実はガリア人もそこそこ勝ってもいたし、ローマにとっては無視できない脅威となっていたのではないか。そう考えると、『ガリア戦記』も大本営発表のようなプロパガンダ的な側面があったのかもしれない。この辺りの謎に答えるのには、別の書を紐解く必要があろう。