和辻哲郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
民俗学を勉強し始めて、地理に関する考察も必要とわかってきたところに読んだのが本書。
風土や地理によって歴史を見る、文化の発展を考察する。
自分は民俗学の勉強を深めるために読んだが、どちらかというと比較文化の方が近い。あと哲学的要素も多く、文体も哲学っぽい。認識論とか形而上学とか…。
○自分の住む世界がどういうところなのかという認識は、他の地域・世界を旅してこそ認識できる。→たくさん旅をして最後に故郷に戻り故郷と感じた坂口安吾と通じるものを感じた。
○それぞれの民族部族は、そこに生きる土地、風土でその性格が規定せられる。生き方、文明、文化の生まれる素地もどのような風土で生きているかで決まる。
→私自身としては、部族とか民族とかそういうものに自分が所属しているような認識はないけれども、個人としても集団としても、そこに生まれた土地に縛られるということは今も変わらないと思う。例えば田舎か都会か、など。
○ 風土がその民族の性格を決定するという基礎に基づいているが、ちがう性格の民族から良いところを学び自らに取り入れることはできる。しかし住む土地は変わらない。
性格とは何か。生きるためにどう自然と付き合うか或いは克服・征服するか。寒さをしのぐであるとか、食べ物を求めて遊牧し他国を征服するとか。風土に応じた自然の克服の仕方を通して文明や芸術がうまれる。
○うちとそと 家内とか宅という家と家の外=世間とを分けるのは日本の特徴。家の作りも襖で仕切るのみ。うちとそとの分け方では個人の区別は消滅する。(ヨーロッパは自室に鍵をかけるが家自体の出入りは開放的なので個人という区切りの次は家ではなくもっと開かれた地域)
→外に対しては必ず戸締りをする…と述べているが田舎だと戸締りしないし近所の人も敷地内には気軽に入ってくる話を聞く。戸締りをしない村落は村の中での区別が消滅する単位になるということか?と解釈してみる。
○日本人の性格を表す言葉としてしめやかな激情。と表現している。
→特攻をした兵士、天皇万歳で自殺した人、国歌斉唱を拒んで自殺した人、切腹した武士それぞれに通じるものなのかと読んでいて感じた。
○これも日本人の特徴として、社会のことは自分のことではないのである。公共的なるものをよそものとして感じている。
→日本人の政治への関わり方としてなるほどと思った。けして満足してはいないが投票率は高くない。外国で見られるような大規模なデモは起こりにくい。
○人間だけではなく、大地も生である。地球は絶えず変化し、大地が変わればそれは人の生活にも影響する。
後半では筆致がダイナミックというか人の感情に訴えかける書き方で印象に残る。
結び…民俗学で地理風土の重要性はよく認識できた。文化の規定についてはそれは飛躍してないか?って思ったところもいくつかはあった。 -
Posted by ブクログ
和辻哲郎 「 風土 」風土(気候)が 人間の気質に影響し 文化を形成するとした本。日本人論としても読める。特に面白いのは 「日本人の家(ウチと外の関係)」「気合いの日本芸術」「日本人のモンスーン的な受容性と忍従性」
日本人の家について
*個人と社会の間に家がある
*家(うち)は 外に対して区別→家の内部で室の独立はない→門や垣根が外と区別し 玄関で脱ぐ
*社会のことは 自分(うち)のことではない
気合いの芸術(日本庭園、能楽、茶、歌舞伎)
*無秩序な自然に 自然の姿を見た→人工を自然に従わせる
*我々の感情のバランス(気合い)において 全体が統一→気を合わせるために 規則性は回避
*自然の不規則性、不合理性→自然は征服できないもの→自然とともに生きる
日本のモンスーン的受容性/感情は活発で敏感→疲れやすく持久力がない→疲労は 休養でなく 新しい刺激により癒される
日本のモンスーン的忍従性/あきらめつつ 反抗しながら 気短に辛抱する
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Posted by ブクログ
非常に面白かったです。
風や雨がもたらす恵みや災い、その土地の環境そのものが人類に多様な影響を与えてきた。
砂漠やジャングルや温暖な地域、寒冷地など環境に応じて生活様式や思考方法が培われ、更に発展して宗教や芸術を生み出していく。
ローマの繁栄やギリシャの芸術性、アラブなど砂漠地帯の思考方法などを紹介してくれています。年代的に硬い文章ではありますが、豊潤で濃厚な表現で綴られていて読み進めるほどに興味をそそるいい本でした。
やはり日本の章には驚きと発見が多く、とても面白かったです。さすがに書かれた年代が古いので読み進めるのは苦労しましたが「こんな年代にこういう考察をしていた人がいたんだなぁ」って、そんな印象が自分にはとても面白かったです。 -
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弟くんのオススメ本。
「日本人の特性がどこからどうやって形成されたのか、知りたい~!」と騒いでいたら、勧められたのがこの本。
気候を3つの類型に分け、そこからそこに住む人の特性を導き出そうという試み。
外的環境が人の特性に影響を与えるというのは、感覚的に納得できる。
特に日本と中国の考察については、とっても興味深く読みました。
中国に対する印象など、「ああ~分かる!なるほど~!」と納得することしきり。
ただ、それだけで全て説明するのは無理があるような…。
的もやもや感は、解説にきっちり指摘してあってすっきり。
全面的に賛同するのは難しいけど、一読の価値アリ。面白かった。 -
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実は読んでなかったが、内容を何となく知っているために読んだつもりになっていた本。
巻頭、フッサールやハイデガーを踏まえた現象学的な記述で始まり、意外と哲学的な本だったか、と思ったものの、そのあとは文化論。
後半のほうに出てくる「うち」「そと」の区分と、「家」を中心とした日本文化の特色を論じた部分が面白い。このへんはその後の大量の「日本人論」の嚆矢だろう。
確かに小集団を「家族」的なものと見なす雰囲気が日本には強い。「学級」から、会社もお役所もそうだ。そういえばこの構造は、『フィロソフィア・ヤポニカ』の中沢新一=田邊元的な「種の論理」に該当するものではないだろうか。良い悪いは別として、アメリカ人などとは明らかに違う文化傾向だ。
この本には各国文化の芸術を論じた箇所があるが、ベルクソンのへっぽこ芸術観などとは違って、なかなかに適切な批評になっていると思う。
戦前に書かれたということを考えると、やはりこれは「名著」と呼ぶべきものだろう。 -
Posted by ブクログ
若き日の和辻哲郎が、奈良の古寺をめぐった際の印象を書き留めたエッセイ。宗教的関心ではなく、美的関心に基づく感想がつづられている。
本書の出版から28年後に書かれた「改版序」で、和辻は本書に認められる若々しい情熱を「はずかしく感ずる気持ちの昂じてくるのを経験した」と述べている。彼はまた、若き日の「美的生活」からの「転向」をつづった文章で、「私がSollenを地に投げたと思ったのは錯覚に過ぎなかった……かくて私は一年後に、Aesthetのごとくふるまったゆえをもって烈しく自己を苛責する人となった」と言う。そこには、美に引き寄せられつつも、美に耽溺してしまうことを倫理的に拒否してしまう和辻の姿を認めることができる。こうした彼の内面の振幅が、本書のもつ奥行きを可能にしているのではないだろうか。
本書の始まりの方で、和辻は次のように書いている。「昨夜父は言った。お前の今やっていることは道のためにどれだけ役に立つのか……。この問いには返事ができなかった。……父がこの問いを発する気持ちに対して、頭を下げないではいられなかった。」厳格な父の前でみずからを恥じつつも、和辻は奈良の仏教美術がもつ美に魅かれてゆく。薬師寺の聖観音と薬師如来について記した文章はむしろ、これらの仏像のもつ艶かしい魅力から眼を背けることのできない和辻の姿を読者に印象づける。
本書で注目すべきもう一つのポイントは、のちの『風土』へと引き継がれてゆくような洞察が示されている点だろう。本書で和辻は、奈良の仏教美術の背後に、遠くギリシア、インドから中国、朝鮮を経て日本に至るまでの文化のつながりを認めると同時に、そうした文化的な影響を取り入れながら日本人が形成していった独自の美的感性に注目する。そこには、後年の和辻が必ずしも自由ではありえなかった偏狭な自国愛は存しない。「外来の様式を襲用することは、それ自身恥ずべきことではない」と和辻は言う。和辻は聖林寺十一面観音像の制作者が中国から来たという可能性を認めながらも、作者は「わが風光明媚な内海にはいって来た時に、何らかの心情の変異するのを感じないであろうか」と述べて、日本の風土によって観音像の与える印象が決定づけられていると主張している。 -
Posted by ブクログ
●自分たちの性格や文化が「風土」にあらかじめ刻まれていることを説く一冊。
●和辻の代表作『風土』を読み、そこに示される思想を一片でも読み解く。→自分なりの言葉にまとめられた。
●「寒さを感じる」という身近な体験すら、人間が環境と一体である証拠だという 。本書が明かす「人は風土の中でしか存在できない」という解釈から始まる風土論は興味深かった。三つの類型は、腑に落ちる部分も多く、人間の構造を風土から捉えるという試みは非常に斬新に感じた。西洋が自然を制御する技術を発達させた理由や 、東洋の受容的な気質が 、すべて気候という土台から紐解く発想と感性に驚きを禁じ得ない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ高校生時代の「倫理社会」の先生が、”和辻哲郎の「風土」を読む”という課題を我々に与えたことを思い出した。先生の意図は全く覚えていないが、難しくて途中で投げ出したのは事実。それで今回リベンジのつもりで読みだしたものの、やはり今回も第三章まででリタイヤした。
章立ては次の通り。
序 言
第一章 風土の基礎理論
一 風土の現象
二 人間存在の風土的規定
第二章 三つの類型
一 モンスーン
二 沙 漠
三 牧 場
第三章 モンスーン的風土の特殊形態
一 シ ナ
二 日 本
イ 台風的性格
ロ 日本の珍しさ
第四章 芸術の風土的性格
第五章 風土学の歴史的考察
一 ヘルデルに至るまでの風土学
二 ヘルデルの精神風土学
三 ヘーゲルの風土哲学
四 ヘーゲル以後の風土学
著者は、この「風土」に関する考えを、ハイデッガーの「存在と時間」から発展させたようだ。同書を読んだことがないので、本当のところはよくわからないが、ハイデッガーは人の存在の構造を「時間性」として把握したのに対し、著者は「空間性」として把握することを試みたようである。
本書で「風土」の定義は、「土地の気候、気象、地質、地味、地形、景観などの総称」とされており、これが「時間性」に対する「空間性」を意味しているのだと思う。
第一章からやや難解に感じた。「風土の基礎理論」であるから、これが本書の前提なのだろうと思うが、著者の個人的見解のようにも思えるし、理論というには一面的なとらえ方のようにも感じた。
「寒さ」の感じ方を例にとって、人によって「寒さ」の感じ方が異なることを述べていたように思う。「寒さ」はデジタルに気温などで表現可能であるが、人によってその感じ方が異なる。しかし、同じ土地で暮らす人々=複数の人)に共通の感じ方(=共有できる感覚)があるということを述べる。
自然科学的な実験結果として明らかになった「寒さ」というよりも、その土地の地味とか地形とか景観などが影響して、すなわち「風土」が影響して、その土地の人々に共通に感じられる「寒さ」である。このことを、本書では「風土における自己了解」と言っているようだ。
ある地域の人間の「寒さ」に対する自己了解は、家屋の様式に現れたり、着物の形に現れたり、火鉢や炭焼きなど「道具」の形として現れるという。道具というのは、複数の人の感覚の共有の証明であるという。
そして道具に見られるような「風土の影響による人間の自己了解」はさらに、文芸、美術、宗教、風習、あらゆる人間生活の表現のうちに見出すことができると述べている。
ハイデッガーの考えも踏まえ、人間の存在構造を時間性のみならず空間性からも把握することを、「歴史と離れた風土もなければ、風土と離れた歴史もない。」と表現している。
この考えを前提として、次章では、著者が主だった風土をもつ地域として3つのエリアを選定して述べている。
それが「モンスーン」「砂漠」「牧場」のエリアである。これらの三つの風土から生まれる「人間の自己了解」とはいかなるものかの著者論を展開している。どのような文化が生まれ、どのような美術が生まれ、どのような宗教が生まれるのかをロジカルに述べている(ように思えるが、ロジックをとってつけたように感じる部分もあるのは私だけだろうか)。
本稿は、昭和3年の執筆であるが、当時著者がこの代表的な風土を持つエリアを実際に訪れながら、人間学的観察をしたことをまとめたものと思われる。紀行文+地理学的な発想+民俗学的な発想をミックスして、エッセイに仕上げたという感じである。第一章よりは読みやすかった。
モンスーンとは、夏に南西から、冬に北東から吹く季節風のことで、日本を含むその季節風の影響を受けるエリアの風土論を展開する。その特徴は夏の湿気に含まれる耐え難い不快感と、さらに一つは、台風、大雨、または洪水、旱魃などの人間が対抗できないような自然災害の多さである。
このような風土の特徴から、このエリアで生活する人々は、「受容的」であり「忍従的」であると著者は結論づける。日本人やインド人の受容性、忍従性から、どのような文化、どのような建物、どのような宗教が生まれたかについて述べていく。
モンスーンという風土の代表として、日本人も含みつつ、インドの人々の特徴を考察し、戦闘よりも智慧の力を重視する性質、推理的ではなく直感による情的思惟(大乗仏教などに続く)、無抵抗主義的な闘争(つまりは非暴力・智慧の戦い)などが、この風土から生まれた特徴と述べていた。
次に「沙漠」について。desertという言葉が表す「荒れ地的な風土」(必ずしも砂漠に限らず、海や山の荒廃した地形をも含む)を取り扱っている。この沙漠をイメージを著者は「死」のイメージでとらえている。
沙漠(死)の中に存在する生との接点=オアシス的なものの獲得に、人々は命がけであり、その争奪のための部族間での戦闘が始まるという。従ってある部族という共同体に属するという行為は自身の生死を分けることに直結する。つまり、この風土に生きる人々は、その共同体への服従と、対立する部族との闘争という二つの側面をもつという。この風土における人々の性質は「服従的・戦闘的」の二重性格であるという。
この風土の中から生まれたフィフィ教(回教)やユダヤ教は、絶対服従的・戦闘的な性質を含んでいるという。
3つめの「牧場」について。著者は「一般にヨーロッパの人間の文化がいかに牧場的であるかを考察する」と述べている。
著者がいうこの地の特徴は、「湿潤と乾燥の総合である」という。すなわち、モンスーンという風土の特徴と沙漠という風土の特徴の総合であると言っている。この地で暮らす人々は放牧やオリーブ栽培、ブドウ栽培などで、自然と融合しあいながら暮らしている様子を紹介している。その姿は、自然に忍従する必要も対抗する必要もなく、自然と融和しているイメージだ。
ヨーロッパの「湿潤と乾燥の総合である」という特徴かから、古代ギリシャでは静的でユークリッド幾何学的、彫刻的、儀礼的な文化が生まれたといい、近代西欧からは、動的、微積分学的、音楽的、意志的な文化が生まれと述べている。
3つの代表的な風土とそこで暮らす人々の性質、そしてまたそこから生まれた宗教、文化などには異なる特徴がみられるということを述べるとともに、相互の風土の短所・長所を自覚し、学ぶことによって、それぞれの風土の限界を超えて成長していくことができるのではないかと述べている。この目的観は良い発想であると思った。
第三章では、「モンスーン的風土の特殊形態」として日本の風土について述べている。
台風的忍従性として、「生への執着」からさらに「生への超越」の特徴を述べていた。桜のように散るという発想は、「生への超越」からくるものか。
あるいは親のため、家族のために一生を犠牲にするというのも「生への超越」から来た特徴か。
西洋の家の構造と日本の家の構造の違いの話が興味深かった。西洋では家族で住む家において、個室に鍵をかける。すなわち個人主義である。一方日本においては、家の玄関に鍵をかけるのであり、家の中は「うち」、家の外は「そと」という区分である。これは家族に個人が埋没した発想である。
あるいはこの発想の発展系として、日本国民は一同に「うち」、外国は「そと」という発想に拡張することにより、国民を国家の犠牲と考えた時代があった。そういう発想に陥りやすい風土であるということであろうか。
日本の歴史を振り返った記述があった。
①神話・伝説の時代(古墳時代)は、祭司の権力に個人は伏していた。
②大化の改新の時代は、天皇の権力に個人は伏していた。
③封建的組織の再興の時代は、君主の権力に伏する時代であった。
④戦国時代は、支配階級がくつがえされる時代であった。
⑤明治維新は、再び中央集権国家となり、天皇に伏する時代となった。
本稿は、明治維新後、西洋文化を取り入れ、鉄道や自動車が日本で見られる時代となった昭和初期の執筆である。著者は、その光景を見て違和感を感じる。風土の異なる地域から、その風土の産物である道具としての電車や自動車を取り込んだことによる違和感であろう。
しかし時代とともに、電車や車の違和感はなくなった。もはや風土的特徴をもつ道具ではなくなったということだろう。
著者の考察は、一見独断的なように見えるけれども、例えば代表的な3つの風土に暮らす人々の性質は、妥当であるようにも感じられ、しかも現代においても通用するようにも感じられる。国民性といわれるものに近い、地域性のようなものだ。
少々記述が古くて、現代に当てはめて考えることが難しいと感じるが、文化等の発祥の考え方としては面白く読めたと思う。