高井有一のレビュー一覧
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夏に読むべき本。といいつつ、長谷川博己様信者なので映画のビジュアルから入った不純な動機で読み始めました。
戦争末期の物語というと悲惨さが際立つものが多いけれどこれは戦争末期をそれぞれの生き方で行き過ぎる人間模様を描いた小説だった。
妻子を疎開させたアラフォー男子の市毛、母子家庭となり伯母と母の仲を取り持ちつつ生きる里子。裏表紙のあらすじにもある通り二人が通じあっちゃうわけなんだけれど、
それがメインの不倫メロドラマというわけでもなく、ただ、昭和の男女関係という雰囲気は漂う。勝手ともいえず一途でもない。戦時下という特殊な状況でそれでも人の生きる力はすごい。
この関係の捉え方が二人とも全然違って面白かった。
当時の男性にとっての37才と女性にとっての19才は今とはずいぶん違うんだろうな。
里子のこれからが気になった。余韻の残る本だった。 -
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太平洋戦争末期の東京・杉並に暮らす19歳の里子の日常が、淡々と粛々と綴られる。すっかり最近(……というのは少なくとも平成)の作品かと思っていたんだけど、読むのも終盤になってから1983年に発表された作品だったことを知った。それがわかると何となく、小説らしい小説だなと思いながら読んでいたのの裏づけがとれたような気がする。
「小説らしい小説」とは、三人称で書かれていること、情景や心情の描写が多く占めること、「 」(会話)が延々と続くことがないことといったところだろうか。悪く言い換えれば古くさい小説ということになってしまうだろうけど、きちんと練られたストーリーと書きぶりに、淡々・粛々としていながらあきたり退屈することなく、むしろすうっと物語の世界に誘われる。
常々思っていることだが、戦時中でも笑顔はあったし愛も恋も憎しみも羨みもあったはず。とかく最近は、戦時下の人々が時局や軍部の言うがままにされるばかりの清廉で善良な被害者のように描かれがちな気がするけど、そんなこともなかったはず。
と思っていながらも、この小説に出てくる主だった人たちの、ある意味でのみにくさ、ずるさは印象的だった。里子の伯母はもちろんのこと母親も互いにいがみ合うようなみにくさを見せるし、面倒を里子に押し付けているかのような言動がある。里子がひかれる隣家の市毛にしたって、ずいぶん勝手な人物だ。里子だって悶々としたあげく自ら市毛に挑んでいくような大胆さをもつ人物で、市毛にトマトを食べさせるくだりや伝えられた日に帰宅しない市毛を追って彼の職場に電話をかけるところとか恐ろしい。
でも、みにくさと前述したけれど、いってみればたくましさでもある。そんなたくましさをちょこちょこ用いながら戦時下の不自由な毎日を渡っているともいえるんじゃないだろうか。そして物語は1945年8月10日を過ぎたところで終わるけど、まもなく控えている戦後のほうがより過酷な時代のはずで、そこを生き抜くときにもまた、このみにくさ、たくましさが役立つのだろう。
そしてけっして、みんなみにくさとずるさばかりの人々ではない。正直で誠実で善良でお人好しなときもある。そういう両面が描かれることで、人物の厚みが感じられフィクションである小説としての現実感が担保される。上質な小説を読んだ読後感が得られる。
作中で描かれる戦時下の不自由な生活。いろんな物事が制限されたり、お上でもない市井の人の間で自粛を強要するようなことがあったりする感じが、昨今のコロナ下と似ている感じ。 -
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ネタバレ北の河がほんとうに読んでよかった作品だった。言葉にならない部分を情景(東北の冷たい河)が補う。そういう意味で完璧なバランスの上に成り立っていたように思う。起こってしまったこと(戦争によるそれまでの生活の崩壊)をそういうものだと受け取れる15歳の僕と、これまでとは明らかに変わってしまったと考える母。この決定的な違いを話の中に見れた気がした。だから母は息子とふたりで生きていかなければならないこの先について耐えられなく思い、命を絶つ。15歳の僕にはどうしようもできない。そのどうしようもなさが手に取るように分かる。描かれているすべての情景や空気感が、この話の核を包括している。あるべくしてある小説だこれは。
他の作品もとにかく文章に惚れ惚れとする。だが北の河に匹敵する作品はなかった。朝の水と夜の音みたいな作品がずっと続けば間違いなく星5だった。 -
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ネタバレ2017年、5冊目です。
太平洋戦争末期の東京で暮らす一人の女性が、少女から大人になっていく様が、
精緻な市井の暮らしぶりと共に描かれている作品です。
戦争に影響を受けた人々の人生を描いた作品は、浅田次郎作品を、
しばしば読みますが、市井の人々の暮らしを精緻に描いている作品は、
初めて読んだ気がします。
自宅の庭を畑にしトマトなど野菜を栽培しているところで、
畑の土に家の下肥を自分で撒く様は、主人公が女性であるだけに、
情景ばかりか、その時代の匂い空気を震わせてながら伝わってきそうです。
主人公”里子”の心情が細密に、しかし誇張、虚飾されずに描かれており、
人間としての成長と共に女性としての心情の揺らぎを感じることができます。
20歳の女性と妻子が疎開して一人で暮らしている隣人の
38歳の男性の間に生まれた恋。戦争が終わり、二人の関
係はどうなるのか?そこは描かれずに終わっています。
「この国の空」を見上げるように様々な思いを馳せるだけです。
昭和58年作品。谷崎潤一郎賞受賞
この本は、リサイクル本の店を回っていて、偶然出逢って手にした一冊です。
いい作品に出逢えたと思っています。31年ほど前の作品ですが、戦時下を描いた作品であることも影響していると思いますが、作品に劣化を全く感じませんでした。
おわり -
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映画が印象的だったので、すっかりそのキャストで読む。
主人公の二階堂ふみちゃん、素晴らしかった!!
隣に住む男・市毛役は長谷川博己さんでしたが・・・ちょとやらしすぎですわ。別の人がよかったなー(笑)
戦争末期の東京ー空襲に怯えながらの不安な思いと日々の暮らし。市井の人々には、戦争末期とかわからないですもんね・・・。
19歳の健康な主人公の、自分は愛も知らずに空襲で死んでしまうのだろうかという、やり場のない思い。
隣家には妻子を疎開させ、自分はいつ召集されて死ぬかと怯える38歳の銀行員の男。戦時下にありながら、いや戦時下だからこそ、その思いは切実だったんだろうなぁ・・・。 -
Posted by ブクログ
「渦中にいる」ということは、どういうことだろうか。
それは、この先、自分にとって好ましい方に転ぶのか、それとも不都合な方に運ぶのか、見当がつかないということかもしれない。1つ1つの事柄の評価も定まらない。同じように右往左往している人々の言うことに翻弄され、時には捨て鉢になり、時には高揚感を覚える。自信満々に見える人も実のところ足下は確かではない。今日の価値が明日も同じかどうか、何の保証もない。
本作は、終戦間際の市井の人々を描く作品である。今夏、映画が公開されるということで知った。若い娘と妻子持ちの男の交情という点が、映画の少なくとも宣伝の部分ではクローズアップされていて、何となく安吾の『戦争と一人の女』と同じ匂いを感じて読んでみた。
ある意味、不倫の物語なのだが、しかし、本作はそれだけにとどまらない。「その夏」の、悪い予感を抱えた、どっちつかずの、ささくれた、それでいてどこか絶望しきっているわけでもないような、鈍色の「空気」を丹念にすくい上げた作品であるように思える。「その夏」を知らない身ではあるのだが。
安吾作品にあるような、魔術的で挑発的な姿勢はない。非常に吸引力があるともいいにくい。だが、その分の「リアリティ」がある。この作品が描く世界のどこかに、自分を置くことが可能に思える。状況がもし少し違っていれば、登場人物たちはどうしたか、思い描ける余地がある。緻密に描き込まれた風俗画のような本作には、そうした想像力を刺激するところが確かにある。
主人公の里子は、19歳。母と杉並の家に暮らす。父は戦争とは関係なく、病で早逝した。遺産で何とか食べていける母子だったが、徴用を避けるため、里子は役所で仕事を得ていた。母はなるべく、里子を「二親揃った娘」のように育て上げたいとおもっている。
近くに住む市毛は38歳。銀行に勤め、職務上、自らは東京を離れることは許されなかったが、妻子は田舎に疎開させていた。
里子の家の防空壕が壊れたため、留守がちな市毛は自宅の防空壕を使うように申し出る。
そんなこんなで平時ならば交わらなかったはずの二人の距離は縮んでいく。
メインのストーリーは強いて言えば、そんな里子と市毛の物語なのだろうが、奥行きを深めているのは当時の東京の描写である。
東京大空襲の後、人の心は目に見えてすさんだ。ちょっとしたことでも激しくくってかかり、権利を主張する人もいた。空襲の再来に怯えて、精神を病むとまではいかなくても、情緒不安定になる人も多かった。
肉親の間でも感情の行き違いはままあった。ともに暮らすことを望みつつ、憎み合ってうまくいかなくなる例も多かった。
食糧事情はよくはなかった。けれど闇の買い出しなどで、時折のご馳走もあった。軍需産業など羽振りのよい家であれば、かなりの贅沢も可能だった。
焼け出されなければとりあえずは平穏に暮らせた。けれど、建物疎開の対象になれば、まだ住める建物でも平気で近所住民を総動員して取り壊された。
敗戦色が濃くなっていく中、本土決戦となれば、丙種であろうが九十九里浜で蛸壺に潜んで敵兵を迎え撃たねばならないという噂もあった。
田舎に疎開するのがよいのか、都会に残るべきか、人々は惑い、確信のないまま選んだ道をよろめきながら進んだ。
物心ついた頃からずっと「戦時」にいた里子は、そんな中で少女から娘へ、そして女になっていく。
別の時代にいれば、同年代の若者と普通に恋をして、普通に結婚して、普通に子供を産み、家庭を作ることを夢見ていたのかもしれなかった。
しかし、それは叶わなかった。
誰の身にも、多かれ少なかれ「取り返しのつかないこと」が起きた。
空は青かったかもしれない。けれど、明日、いや、当夜、予測できぬ豪雨がある可能性は低くはなかった。そんな空の青さはどこか、不穏であったのかもしれない。
危険は去った、と告げる声は突然だった。もう少し待っていれば、違う選択をした人は多かったかもしれない。しかし、それは確信を持ち得ないことだった。
現代の空を見上げる。70年前の空を思う。
青さが、目に染みる。 -
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これが母の消える三日前の事であった。それから二日,常と同じ生活があり,三日目,母は在郷の百姓から僅かの米を購った。そしてそれを布の袋に入れ,私の方に掲げて見せて言った。
「このお米,どの位あるか判って」
「二升くらい」
「そうよ,二升。よく判ったわね」
母の口から微笑が拡がり,暫く袋を弄んでいたが,やがてその儘の表情を変えずに言った。
「もう,死ぬわよ。いいわね」
袋は母の手から離れて,畳に重い音を立てた。私の感覚は母と再び親しみ合えたと信じる中に眠って,母の裡にあるものを読めなかった。それにしてもこの時,母が何故柔い微笑を見せたか,私には判らない。
(「北の河」本文p42,43)