高井有一のレビュー一覧
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夏に読むべき本。といいつつ、長谷川博己様信者なので映画のビジュアルから入った不純な動機で読み始めました。
戦争末期の物語というと悲惨さが際立つものが多いけれどこれは戦争末期をそれぞれの生き方で行き過ぎる人間模様を描いた小説だった。
妻子を疎開させたアラフォー男子の市毛、母子家庭となり伯母と母の仲を取り持ちつつ生きる里子。裏表紙のあらすじにもある通り二人が通じあっちゃうわけなんだけれど、
それがメインの不倫メロドラマというわけでもなく、ただ、昭和の男女関係という雰囲気は漂う。勝手ともいえず一途でもない。戦時下という特殊な状況でそれでも人の生きる力はすごい。
この関係の捉え方が二人とも全然違っ -
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太平洋戦争末期の東京・杉並に暮らす19歳の里子の日常が、淡々と粛々と綴られる。すっかり最近(……というのは少なくとも平成)の作品かと思っていたんだけど、読むのも終盤になってから1983年に発表された作品だったことを知った。それがわかると何となく、小説らしい小説だなと思いながら読んでいたのの裏づけがとれたような気がする。
「小説らしい小説」とは、三人称で書かれていること、情景や心情の描写が多く占めること、「 」(会話)が延々と続くことがないことといったところだろうか。悪く言い換えれば古くさい小説ということになってしまうだろうけど、きちんと練られたストーリーと書きぶりに、淡々・粛々としていながらあ -
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ネタバレ北の河がほんとうに読んでよかった作品だった。言葉にならない部分を情景(東北の冷たい河)が補う。そういう意味で完璧なバランスの上に成り立っていたように思う。起こってしまったこと(戦争によるそれまでの生活の崩壊)をそういうものだと受け取れる15歳の僕と、これまでとは明らかに変わってしまったと考える母。この決定的な違いを話の中に見れた気がした。だから母は息子とふたりで生きていかなければならないこの先について耐えられなく思い、命を絶つ。15歳の僕にはどうしようもできない。そのどうしようもなさが手に取るように分かる。描かれているすべての情景や空気感が、この話の核を包括している。あるべくしてある小説だこれ
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ネタバレ2017年、5冊目です。
太平洋戦争末期の東京で暮らす一人の女性が、少女から大人になっていく様が、
精緻な市井の暮らしぶりと共に描かれている作品です。
戦争に影響を受けた人々の人生を描いた作品は、浅田次郎作品を、
しばしば読みますが、市井の人々の暮らしを精緻に描いている作品は、
初めて読んだ気がします。
自宅の庭を畑にしトマトなど野菜を栽培しているところで、
畑の土に家の下肥を自分で撒く様は、主人公が女性であるだけに、
情景ばかりか、その時代の匂い空気を震わせてながら伝わってきそうです。
主人公”里子”の心情が細密に、しかし誇張、虚飾されずに描かれており、
人間としての成長と共に女性とし -
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映画が印象的だったので、すっかりそのキャストで読む。
主人公の二階堂ふみちゃん、素晴らしかった!!
隣に住む男・市毛役は長谷川博己さんでしたが・・・ちょとやらしすぎですわ。別の人がよかったなー(笑)
戦争末期の東京ー空襲に怯えながらの不安な思いと日々の暮らし。市井の人々には、戦争末期とかわからないですもんね・・・。
19歳の健康な主人公の、自分は愛も知らずに空襲で死んでしまうのだろうかという、やり場のない思い。
隣家には妻子を疎開させ、自分はいつ召集されて死ぬかと怯える38歳の銀行員の男。戦時下にありながら、いや戦時下だからこそ、その思いは切実だったんだろうなぁ・・・。 -
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「渦中にいる」ということは、どういうことだろうか。
それは、この先、自分にとって好ましい方に転ぶのか、それとも不都合な方に運ぶのか、見当がつかないということかもしれない。1つ1つの事柄の評価も定まらない。同じように右往左往している人々の言うことに翻弄され、時には捨て鉢になり、時には高揚感を覚える。自信満々に見える人も実のところ足下は確かではない。今日の価値が明日も同じかどうか、何の保証もない。
本作は、終戦間際の市井の人々を描く作品である。今夏、映画が公開されるということで知った。若い娘と妻子持ちの男の交情という点が、映画の少なくとも宣伝の部分ではクローズアップされていて、何となく安吾の『戦 -
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これが母の消える三日前の事であった。それから二日,常と同じ生活があり,三日目,母は在郷の百姓から僅かの米を購った。そしてそれを布の袋に入れ,私の方に掲げて見せて言った。
「このお米,どの位あるか判って」
「二升くらい」
「そうよ,二升。よく判ったわね」
母の口から微笑が拡がり,暫く袋を弄んでいたが,やがてその儘の表情を変えずに言った。
「もう,死ぬわよ。いいわね」
袋は母の手から離れて,畳に重い音を立てた。私の感覚は母と再び親しみ合えたと信じる中に眠って,母の裡にあるものを読めなかった。それにしてもこの時,母が何故柔い微笑を見せたか,私には判らない。
(「北の河」本文p42,43)