小林公二のレビュー一覧
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第二次大戦中、ユダヤ人ら100万人以上が殺された収容所アウシュヴィッツに、自ら捕虜となって潜入した1人の男がいた。ポーランドの軍人ビトルト・ピレツキ。彼の目的は、収容所内を調べて、秘かに外部に情報を送り、ナチスの非道を世界に知らせること。そして、収容所内で抵抗グループを組織し、内部からの収容所解体を狙うものだった。
彼は、どうやって収容所に潜入したのか。劣悪な環境をどう生き延びたのか。その疑問に答えるように、膨大な資料をもとに日本人研究者がまとめたのが本書だ。ユダヤ人収容者とは異なる目線で内情をつづっている点が興味深い。
彼は、収容所内で書いた報告書でこう語っている。「私は、石でも木でも無 -
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ヴィトレト・ピレツキ。その名前を知る人はほとんどいないだろう。
ポーランドの闘志で、自ら選んでアウシュビッツ収容所に入り、収容所の中からその窮状を世界に知らせようとし、約2年半後に脱走をするという驚きの活躍を見せた人物である。その後ナチス配下でのワルシャワ蜂起にも参加している。しかし、終戦後に祖国ポーランドの親ソ連の共産主義政府に抗して反対組織で闘ったために捕らえられ、裁判にかけられて処刑された。
本書はその激動の時代に信念に生きた人生を追っている。
前半はアウシュビッツ収容所の時代。収容者の中での階層があり、管理者であるカポや副カポとなることが重要であったことは実体験も交えて描かれている。 -
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かっこいい男がいたもんだ。
久々に、惚れた。
かっこいい人だわ。
今ウクライナがロシアに侵略されてますが、
ポーランドも他人ごとではないのです。
ポーランドよりもマイノリティなウクライナ、
実を言うとポーランド人はウクライナ人が嫌いで、
ウクライナ人もポーランド人が嫌い、
それより嫌いなのがユダヤ人。
16世紀ポーランドの国王は、税収増を見込んでユダヤ人を優遇、その結果ポーランド周辺にはユダヤ人が多い。
1930年代、ポーランドは、西の全体主義国家ドイツと、東の全体主義国家ソビエト、
どちらも追い払えるほどの国力はない。
独ソ不可侵条約により、ドイツはポーランドの西側、ソビエトはポーランド -
Posted by ブクログ
私たちの実現した社会体制は、それが一見民主的に実現されたように見えたとしても、または、大きな敵から私たちを守るために構築されたように見えたとしても、歪んだ指導者、歪んだ思想のもとでは、独裁制となんら変わることがない悪になりうるということ。
ナチスドイツによるポーランド侵攻に端を発した第二次世界大戦の中で、最も忌むべき戦争犯罪の一つは、アウシュビッツ収容所に代表されるユダヤ人の虐殺。
そのアウシュビッツは、ユダヤ人虐殺の舞台となる前から、ナチスドイツに抵抗するポーランド国民を収監し、打ち殺す場所であった。
その、アウシュビッツにおいて反ナチスドイツの抵抗勢力を組織し、抵抗戦線を構築すること、