作品一覧 2015/06/26更新 アウシュヴィッツを志願した男 ポーランド軍大尉、ヴィトルト・ピレツキは三度死ぬ 試し読み フォロー 1~1件目 / 1件<<<1・・・・・・・・・>>> 小林公二の作品をすべて見る
ユーザーレビュー アウシュヴィッツを志願した男 ポーランド軍大尉、ヴィトルト・ピレツキは三度死ぬ 小林公二 第二次大戦中、ユダヤ人ら100万人以上が殺された収容所アウシュヴィッツに、自ら捕虜となって潜入した1人の男がいた。ポーランドの軍人ビトルト・ピレツキ。彼の目的は、収容所内を調べて、秘かに外部に情報を送り、ナチスの非道を世界に知らせること。そして、収容所内で抵抗グループを組織し、内部からの収容所解体を...続きを読む狙うものだった。 彼は、どうやって収容所に潜入したのか。劣悪な環境をどう生き延びたのか。その疑問に答えるように、膨大な資料をもとに日本人研究者がまとめたのが本書だ。ユダヤ人収容者とは異なる目線で内情をつづっている点が興味深い。 彼は、収容所内で書いた報告書でこう語っている。「私は、石でも木でも無く感情を持つ人間だから、時には生じた事実に対して、思いや感情を率直に記すこともある」。家族との思い出や感情の機微が記された文章からは、彼の人間性が感じられる。 彼は収容所を脱獄し、詳細な報告書を書いて世界を驚かせた。戦後はソ連の傀儡政権への抵抗運動にも参加。彼の歩みは戦中はナチス、戦後はソ連に翻弄されたポーランドの悲しい歴史を物語っている。 Posted by ブクログ アウシュヴィッツを志願した男 ポーランド軍大尉、ヴィトルト・ピレツキは三度死ぬ 小林公二 祖国ポーランドを愛して、自らアウシュビッツに収容されたピレツキ。そこで行われていることを外部に知らしめ収容所の中に抵抗の地下組織を作っていく。一切の自由がないイメージのアウシュビッツで組織を作っていたことに驚いた。 脱走しポーランド亡命政府の将校としてワルシャワ蜂起などに関わっていくが、ソ連に支配さ...続きを読むれたもう一つのポーランド政府によって捕らえられ処刑される。 彼の壮絶な生き方を通して、この時代のことを知ることができました。 Posted by ブクログ アウシュヴィッツを志願した男 ポーランド軍大尉、ヴィトルト・ピレツキは三度死ぬ 小林公二 ヴィトルド・ピレツキ。 この本を読むまで知らなかった。 アウシュヴィッツ強制収容所に潜入し、内部状況を外へ伝え、内部組織をつくり、脱出。 その後、社会主義化していく祖国で罪人として処刑された。 彼の罪が無効なものであると、名誉回復がなされたのは1990年以降のことだった。 大国の思惑によって左右され...続きを読むてしまうという現実が如実に書かれていた。 Posted by ブクログ アウシュヴィッツを志願した男 ポーランド軍大尉、ヴィトルト・ピレツキは三度死ぬ 小林公二 右であろうと左であろうと、全体主義を突き進めていくと似たようなもので、「自由を享受する」という観点から見れば、その理想とは程遠い世界となっていくのだろう。ピレツキは結果的にその両方に抗う形となり犠牲となった。 本人の記述ではないため、客観的な書きぶりとなっていた。 「自由を享受するという理想...続きを読む」については、これからも考えていきたい。 Posted by ブクログ アウシュヴィッツを志願した男 ポーランド軍大尉、ヴィトルト・ピレツキは三度死ぬ 小林公二 ヴィトレト・ピレツキ。その名前を知る人はほとんどいないだろう。 ポーランドの闘志で、自ら選んでアウシュビッツ収容所に入り、収容所の中からその窮状を世界に知らせようとし、約2年半後に脱走をするという驚きの活躍を見せた人物である。その後ナチス配下でのワルシャワ蜂起にも参加している。しかし、終戦後に祖国ポ...続きを読むーランドの親ソ連の共産主義政府に抗して反対組織で闘ったために捕らえられ、裁判にかけられて処刑された。 本書はその激動の時代に信念に生きた人生を追っている。 前半はアウシュビッツ収容所の時代。収容者の中での階層があり、管理者であるカポや副カポとなることが重要であったことは実体験も交えて描かれている。また、収容者から家族への手紙が出され(検閲はもちろんあったが)、収容者へ家族からの贈り物が届けられていたという事実も意外である(ユダヤ人収容者とは違うのかもしれない)。TVのドキュメンタリにもなった収容所の中のオーケストラや、自らの命を身代わりとして差し出したコルベ神父などの話などは胸に刺さる。アウシュビッツからの脱走劇は高揚するものがある。 後半は、ワルシャワ蜂起とポーランド政府との闘いと処刑に至る裁判が続く。「三度死ぬ」は、アウシュビッツ、ワルシャワ蜂起、そしてポーランド政府の政治犯として三度の死が迫ったことを示す。三度目は彼の命を実際に奪ってしまった。ポーランド政府から受けた拷問について「ここでの拷問に比べれば、アウシュビッツなど子供の遊びだ」と言ったとされる。祖国から受けた仕打ちであることを考えると彼の受けた痛みは想像するに余りある。 ポーランドで汚名を着せられたピレツキのその名誉は1990年の共産圏の崩壊による政府交代により回復された。 アウシュビッツを含む絶滅収容所の収容者の心理を描くものとしてはV. E. フランクル『夜と霧』やプリーモ・レーヴィ『アウシュビッツは終わらない』の方が深いが(彼らのものが自伝であるからでもある)、その後も含めた東欧の暗い歴史に対する重みのある本。 Posted by ブクログ 小林公二のレビューをもっと見る