オルテガのレビュー一覧
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ネタバレNHKの100分で名著という番組で紹介されていたので手に取った。
ノブレス・オブリージュ。高貴であることには義務が伴う。現代においては過去に比べたらまるで貴族のような生活をしているのかもしれないが、使命感が欠落しているとの指摘による警告。王政において存在した支配者層と被支配者層の構造が崩壊したことによって、野放しになったかつての隷属する側だった大半の人々が、指針を失いまるで原始人のように欲求のみに忠実に暴れまわるようになる時代が訪れるだろうと予測していた。
これぞまさに昨今のSNSにおける炎上を見れば明白になる。誰しもが自身の信ずるところの正義に寄って濁流のように翻弄し撹乱している。 -
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タイトルから受け取るイメージとは裏腹に大衆というものがいかに無責任で無知であるか、そしてその大衆が今国の中心になってしまっていることの恐ろしさを指摘した書。1930年に書かれた作品なのですが、驚くほど現代そのものだと思った。
権利や自由があらかじめ用意された世代に生まれたわれわれはそれが空気と同等であるかのように扱い、感謝するということをせず(自然物であるかのような扱い)、義務も遂行せずに、ただひたすらに権利権利を叫びたてる。
現時の特徴は「凡庸な精神が、自己が凡庸であることを承知の上で、大胆にもその凡庸なるものの権利を主張し、これをあらゆる場所に押し付けようとする点にある」とオルテガは主 -
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大衆とは、みずからを、特別な理由によって、よいとも悪いとも評価しようとせず、自分が「みんなと同じ」だと感ずることに、かえっていい気持ちになる人々全部。
そのため、社会を大衆と優れた少数派に分けるのは、社会階級の区分ではなく、人間の区分であり、上層階級においても大衆が支配的であるのが、現代の特色。
また、凡庸な精神が、それが凡庸であることを承知の上で、凡庸の権利を確認し、これをあらゆるところへ(政治的にも社会的にも)押し付けようとする。
大衆の支配=歴史的水準の全般的な上昇。かつ、昔は崇高なものと思われた個人の権利が、広く当たり前のものになった時代。
ここにはじめて、すべての古典を無視する時 -
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内田樹先生が度々引用されている御本なのでいつかは読んでみなくてはと本棚に用意してあった一冊。立憲主義の破壊に扉を開いた参院選前に読んだというのも何かのお導きなのだろう。いや、俺が求めていたのか?
国家って様々な形があって、生き物みたいにうごめいているもんなんだなぁ~と思った。立憲主義や民主主義って言っても、ある政治形態に名前をつけただけで、実際に営まれている政治過程は複雑怪奇でよくわからない。
僕らが国家の構成要素だということは、否定しがたい事実だけれども、階層性の論理から言うと階層下位にある国民は、階層上位にある国家の活動を制御しようがないのだろうな、とふと思った。
それは、決してあきらめと -
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本書の内容がはじめて発表されたのは1926年、マドリードのある新聞だ。80年以上前に書かれたものであるにもかかわらず、(あるいはそれ故に)これは現在の日本にぴたりと当てはまる分析ではないかと思ってしまう箇所が少なからずあったことに驚きの念を禁じえないとともに、ヨーロッパではじまっていたことが遅れて日本で起こっているのかもしれないとも思った。
(以下引用)
要するにわれわれの時代の高さとはいかなるものだろうか?
現代は、あらゆる時代の絶頂ではないが、しかし、自分があらゆる過去の時代よりも上にあり、知られている限りの頂よりもなお高いところにあると感じている。われわれの時代が自分自身に -
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「俺はもう我慢ならねぇ。もう言わなくちゃ気がすまねぇんだよ!」とでもいう感情があって書かれたのかなという気がする一冊。
そういう気がするので、思想書や学術書という意味合いで書いたというよりも、社会にインパクトを与えようという意味合いで書いたのではないかという気がするので、その意味で政治的な一冊ではないかと思う。ちなみにだから、おそらく、論理的には問題があるのではないかとも思う一冊。
そのように私は思うので、本書が人々に何かしらの衝撃や印象を与えたとするならば、本書の目論見の一つは成功したという事になるのではないかと思う。(2010年1月17日記) -
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大衆とは
?生まれたときから、「生」は容易で豊かであるという感覚を抱いている。
⇒根拠のない楽観主義とそのことへの確信、そしてそこからその「当たり前の状況」を実現させることに対して強い要求が生じる。
?現存の自己を肯定し、同時に自己の道徳や知性も肯定する。
⇒ゆえに、外部からの言葉に耳を傾けけず、自分の意見を絶対視する。しまいには他者の存在を考慮すらしなくなる。
?そればかりか、あらゆることに対して、自己の道徳や知性などを押し付けようとする。
ゆえに現代の大衆は「満足しきったお坊ちゃん」の時代である。
そして恐ろしいことに、その大衆が社会の支配階層となっている。(大衆とはその人物の地 -
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■■レジェメ■■
1)一言でこの本を言うなら?
2)本書のキーワード 『生』『大衆的な人』『貴族的な人』
3)要約 1)時代と生き方の変化 2)大衆的な人ばかりになって大変 3)科学者は始末が悪い
4)感想 –
1)表面的
2)自分の中で反応した知識
3)自分に落とし込んで見る
4)アクションプランにつながるかんがえ
■一言で表すなら?
曇った生き方をする『大衆的な人』が、社会大半をしめ主人公となった と分析した本。
■本書キーワード
○3つある。『生』『大衆的な人』『貴族的な人』である
これらを理解することが大事だと思って、どんな意味で使われているのかをまとめてみた -
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大衆が社会的勢力の中枢に躍り出た。少数の限られた人だけの特権が、大衆に侵食されてきている。気付けば周りは匿名で没個性の無知な大衆で溢れかえっているのである。
オルテガは『大衆の反逆』において、現代における大衆の脅威と危機について語った。しかし、現代について語る前に、此処で言う大衆の定義とその発生の過程についてまず触れておきたい。
まず、大衆とは何なのか。大衆とは漂う波に身を任せ、没個性的であり、匿名性を帯び、無知な非教養人を指す。他人と同じであるという安定感に快楽を覚え、例え知識があったとしても専門化された特定のことだけしか知らない。
そしてまた、それら大衆はどのようにして生産され、