作品一覧

  • 技術とは何か

    技術とは何か

    ビジネス・実用

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    1巻2,530円 (税込)
    ※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 【内容紹介・目次・著者略歴】 たくましい生活力に内的規律を! 原水爆という形で尖端的に現れた科学主義による野蛮化の危機がひしひしと世界に迫っている今日、われわれは深い反省をもって「現代の賢者」オルテガの所論に耳を傾けるべきであろう。文化的荒廃のなかで若き世代の人たちは、オルテガのうちにこそ生の方向決定に、己がよき助言者と導師を見出すに違いない。 『目次』 1 テーマとの最初の小競合い 2 「在る」ことと「よく在る」こと/陶酔の「必要性」/必要としての過剰/技術の相対性 3 努力を節約するための力は努力である/節約された力の問題 創作された生 4 技術の深層地帯をパトロールする 5 自己を製造することとしての生/技術と願望 6 人間の超自然的運命/人間を導いてきた存在の諸プラン/チベットにおける国家の起源 7 「ゼントルマン」という類型/その技術的要求/「ゼントルマン」と「ヒダルゴー」 8 事物とその存在/物以前/人間・動物・道具/技術の発展 9 技術の諸段階 10 手仕事としての技術/技術者の技術 11 人間と技術はいかなる関係にあるか/古代の技術者 12 近代のテクニシズム/科学と仕事場/現代の奇蹟 知識人と他者 訳注 あとがき オルテガ 1883~1955年。スペインの哲学者。マドリード大学で学士号、博士号取得。「生の理性」の思想を提唱。主著に、『ドン・キホーテをめぐる思索』『大衆の反逆』がある。 著書に、『オルテガ著作集(全8巻)』など多数ある。 ※この商品は紙の書籍のページを画像にした電子書籍です。文字だけを拡大することはできませんので、タブレットサイズの端末での閲読を推奨します。また、文字列のハイライトや検索、辞書の参照、引用などの機能も使用できません。
  • 大衆の反逆

    大衆の反逆

    ビジネス・実用

    3.9
    1巻1,595円 (税込)
    近代化の行きつく先に、必ずや「大衆人」の社会が到来することを予言したスペインの哲学者の代表作。「大衆人」の恐るべき無道徳性を鋭く分析し、人間の生の全体的建て直しを説く。

ユーザーレビュー

  • 大衆の反逆

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    NHKの100分で名著という番組で紹介されていたので手に取った。

    ノブレス・オブリージュ。高貴であることには義務が伴う。現代においては過去に比べたらまるで貴族のような生活をしているのかもしれないが、使命感が欠落しているとの指摘による警告。王政において存在した支配者層と被支配者層の構造が崩壊したことによって、野放しになったかつての隷属する側だった大半の人々が、指針を失いまるで原始人のように欲求のみに忠実に暴れまわるようになる時代が訪れるだろうと予測していた。
    これぞまさに昨今のSNSにおける炎上を見れば明白になる。誰しもが自身の信ずるところの正義に寄って濁流のように翻弄し撹乱している。

    かといって大衆自体を否定するというわけではない。人々が寄り集まり、広場で言葉を用いて、より良い集団になるために協議する。その行為自体は太古の都市(ポリス)が成り立った歴史的事実を見れば否定できない とのこと。
    オルデガが本書で最たる脅威として挙げたのは大衆による「反逆」という部分であると思う。隷属的な営みから解放されて勝ち取られた自由をどう扱うのか、という点において啓発しているのだと受け取った。
    何より、現代において享受している様々な道具・機械・サービスも全て、過去において自身すら想像だに出来ない知性ある人々の恒久的な努力によって、生きながらえられていることを忘れてはいけないのだと心に留めるべきことだ。
    しかして本書においてその「知性」においても言及されていたことが印象に残る。知性、あるいは専門性に特化し過ぎるあまり、社会的行為、倫理観などが育たない以上、それもまた前述した「原始」性を発現しうることになる。

    後半には没落したヨーロッパに妥当する存在を求め彷徨う世界を憂いでいるように見えたが、勝手な憶測ではあるが第二、第三の存在が現れては消えていくことを延々と繰り返すのではないだろうか。それこそが人間の営み、あるいは社会的な動物の営みに他ならないように思った。
    だからこそ、ノブレス・オブリージュの精神が必要になるのかもしれない。望み高くあるのであれば使命を果たさなければならない。常に「より良さ」を求めるのであれば苦痛を伴うに違いないのだ。
    なんだか進撃の巨人にも繋がる哲学な気がする。

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    2019年05月10日
  • 大衆の反逆

    Posted by ブクログ

    大衆の連帯は加速している・・・
    ネットやスマホの存在で、大衆は見えない形で連帯している。選挙やデモや集会でしか反逆できなかったオルテガの時代とはずいぶんちがう。そして無自覚であれば、容易にそのような、ネットやスマホの大衆の連帯に巻き込まれてしまいかねない。くだらないネットニュースにくだらないコメント合戦・・・距離をおいて高潔にあることが求められているのだろう。ということは、ここなるレビューもまた大衆的ということか。自虐。

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    2018年10月16日
  • 大衆の反逆

    Posted by ブクログ

    タイトルから受け取るイメージとは裏腹に大衆というものがいかに無責任で無知であるか、そしてその大衆が今国の中心になってしまっていることの恐ろしさを指摘した書。1930年に書かれた作品なのですが、驚くほど現代そのものだと思った。

    権利や自由があらかじめ用意された世代に生まれたわれわれはそれが空気と同等であるかのように扱い、感謝するということをせず(自然物であるかのような扱い)、義務も遂行せずに、ただひたすらに権利権利を叫びたてる。

    現時の特徴は「凡庸な精神が、自己が凡庸であることを承知の上で、大胆にもその凡庸なるものの権利を主張し、これをあらゆる場所に押し付けようとする点にある」とオルテガは主張する。

    その延長線上に、「サンディカリスムとファシズムの相の下に、はじめてヨーロッパに、理由を述べて人を説得しようともしないし、自分の考えを正当化しようともしないで、ひたすら自分の意見を押し付けるタイプの人間がでてきたのである」

    この二点だけとってもオルテガが主張する「大衆」というもののおろかさが分かると思う。

    なんだか最近のニュースを見ているととってもうなずける。

    更に、現代のほうが前世紀よりも技術も環境も整備されているのに幸福感が少ないのは、「時代は他の時代より上だが、自分自身よりは下だ」と書かれている「時代の高さ」という章に大きくうなずいた。

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    2012年08月06日
  • 大衆の反逆

    Posted by ブクログ

    19世紀のヨーロッパが、まさにいまの、21世紀の日本の状況に酷似しているという衝撃。僕たちはこれから、どんな未来を選択してゆけばいいのだろう…。

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    2012年02月17日
  • 大衆の反逆

    Posted by ブクログ

    大衆とは、みずからを、特別な理由によって、よいとも悪いとも評価しようとせず、自分が「みんなと同じ」だと感ずることに、かえっていい気持ちになる人々全部。
    そのため、社会を大衆と優れた少数派に分けるのは、社会階級の区分ではなく、人間の区分であり、上層階級においても大衆が支配的であるのが、現代の特色。
    また、凡庸な精神が、それが凡庸であることを承知の上で、凡庸の権利を確認し、これをあらゆるところへ(政治的にも社会的にも)押し付けようとする。

    大衆の支配=歴史的水準の全般的な上昇。かつ、昔は崇高なものと思われた個人の権利が、広く当たり前のものになった時代。

    ここにはじめて、すべての古典を無視する時代、過去の中に手本や規範の存在する可能性を認めない時代が誕生した。しかし、現代は他の時代より上であるが、事故の運命に不安をいだき、自らの力に怯える時代だ。
    われらの時代は、全ての過去の時代よりもすぐれ、過去に還元されない、新しい生であるとみなしている。いまだかつてないほど資産、知識、技術を持っているのに、途方に暮れている、かつてなかったほど不幸な時代。

    【大衆について】
    大衆は、世界各国が民主主義と技術の発展により、人口を急激に増加させることにより、発生した。
    生を受けたときから、世界は完全であり自分の前に障害は無いものとして認識しており、それが過去から続く偉い人々の不断の努力の結晶であることを忘れ、まるで空気を吸うように、自然の権利として要求している。

    大衆的人間は、自分のうちにあるものを無意識に肯定し、自分以外のいかなる権威にもみずから訴える、という習慣を持っていない。高貴な身分は不断の努力によって手に入れ、手に入れた後は義務を伴うのに対し、「人権」、「市民権」のような共通の権利は、受け身の財産だ。そうした惰性の生を大衆と呼ぶ。

    大衆は愚かだということではなく、反対に、現在の大衆的人間は利口であるが、それを所有しているという漠然たる感覚は自己の内部に隠れ、それを使用しないことだけに卓だっている。言い換えれば、凡人が自分は卓抜であると信じているのではなく、凡人が凡庸の権利を、宣言し押し付けているのである。

    今日の平均人は、世界で起こることに関して、ずっと断定的な思想を持っており、聞くという習慣を失った。その思想は、真理や原理を欠く、とうてい思想とは呼べぬ野蛮なものだ。
    思想を持つとは、思想の根拠となる真理を所有していると信じることであり、それを議論する対話にある。しかし、大衆的人間は議論をしない。かれらの思想は、他人と対話をしようとせず、言葉を吐き出したいという欲望以外の何物でもない。

    平均人が科学から受ける恩恵と、科学に捧げる、感謝との間の不均衡。

    今日では、人間が自分たちの文明自体の進歩についていけていない。文明の進歩は問題の複雑化であり、その解決には、その背後にたくさんの歴史を持つことである。
    しかし、過去全体を圧縮して自分の中に取り入れることが、過去全体を凌駕するための不可欠な条件であるにも関わらず、それをやらない。

    科学者は、科学者が専門分野に特化していく(特化せざるを得ない社会的枠組みができた)中で、総合的教養を失い始めた。また、科学の発達による機械化によって、非凡な者に仕事を与えることが可能となった。
    専門家は、自分の知らない問題に対して、自分の特殊な問題では知者である人間として身勝手にふるまう。これが大衆の支配の象徴である。


    支配とは、世論による力であり、世界を支配するというのは、思想、願望、目的などの体系が世界で優越していることだ。支配とは、誰かに命令することと、何かを命令することであり、誰かに命令することは、結局、何かの事業に、大きな歴史的運命に参加せよということ。

    人生とは、ある目標に向かって自分の生を賭けるものであり、現代人は、何かに生を捧げることはなく、緊張も形もなくなっている。
    ヨーロッパに内在する支配の夢(科学、芸術、技術による発展への緊張した目標)が無くなれば、ヨーロッパと、そのあとの全世界が、野蛮状態に陥るだろう。

    衰退、無力の感覚は、現在ヨーロッパが持つ潜在力の規模と、その力を発揮すべき政治組織の大きさの間に釣り合いが取れていないからだ。
    議会の非能率を叫ぶ人に、何に対して非効率なのか、現代の公共問題の解決とは何かを聞いてみても、はっきりした答えは帰ってこない。
    議会の権威失墜は、政治的な道具としての欠陥とは全く無関係な原因であり、ヨーロッパ人が、この道具の使い方を知らないこと、伝統的な社会生活の目的を尊重しないこと、結局、自分の属する国家についての夢を持っていないことだ。

    まとめ
    今日の世界は、大衆の無法な反逆が目立ち、退廃している。退廃の原因は、ヨーロッパが、世界でふるっていた権力がどこかに行ってしまい、支配しているということに自信がなくなっているからだ。
    時代の充実は、明確な、前もって定められた、間違うことのない未来が前提とされるのに、今はどの方角に向かっているか分からない。どれもこれも生の本質的な根底からの想像ではなく、根無し草だ。
    今日の国は限界を迎えており、生の新しい原理を打ち立てねばならぬが、ここで台頭するのは国家主義だ。
    国家主義は排他的であり、既に固まっているヨーロッパを立て直すのには役立たない。ヨーロッパ大陸の諸国民を1国家とする超国家を建設する決意だけが、ヨーロッパを蘇らせる。
    現在流行している共産主義に、ヨーロッパ人が逃げ込むことを抑えているのは、臆病だからではなく、ヨーロッパ人が、共産主義の組織によって人間の幸福が増すとは思わないからだ。
    しかし、ソビエトの断固とした改革と、彼らの信条と緊張した生き方は、ヨーロッパの人々に強い影響力を与えうるだろう。それに打ち勝つためには、西欧にも新しい生の計画への意欲を打ち出さねばならない。

    大衆的人間は、こうして他の人が建設し積み上げてきたものを否定しながら、その否定するものによって生きている。

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    2020年06月01日

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