東日本大震災が起きた日、自分は愛犬の待つ家に早く帰りたくて
職場から歩いて帰りました。
携帯のバッテリー消耗が不安でセーブしつつ使って、帰宅してからはテレビをつけっぱなしでずっとTwitterを見ていました。
だから、糸井さんが「ぼくはテレビをつけっぱなしにして、ツイッターに一日中張り付いてました。
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なにが本当なのか、自分には知識がなさすぎてわからない。
いろんな人がいろんな立場からいろんなことを言っている中で、
冷静に事実だけをツイートしているというのは心強く感じます。
「安心して」というのではなく事実をひたすらツイートするというところが信頼されたのでしょう。
震災後から、原発についての話も政治と近いタブーさや派閥の様相を呈してきました。
早野さんが勉強会で話すときにも、「原発に反対なのか、賛成なのか。まずそれを明らかにしてくれないと話は聞けない」という方がいるそうで
なんだか複雑な気持ちになります。
早野さんがご自身のご病気や実験の経験から被ばくのリスクについて真剣に考えたことがあったというエピソードに
説得力がありました。
核分裂で降ってくるフォールアウト(放射性降下物)は、広く薄く散らばるのではなくごろごろと地上に粒で残る、しかし洗い流せば落ちるというのは知りませんでした。
医療被ばくと事故による被ばくは同列には扱えないけれど、体にとってはどちらも同じ被ばく。
確かに全くそのとおりです。
だからこそ被ばくのリスクを個人の事情に合わせて考えることが重要、というバランス感覚が素晴らしいと思います。
当時、大学の物理学科の学科長をされていて、授業をどうするかというときに
校舎が壊れて授業ができないという東北大生を
東京近辺の人は4月は東大の授業を受けられるように手配するというのも先生の人柄や感覚を表わしているのだろうなと思いました。
東大の工学部が4月は授業をしない、理由ははっきり言わないけれど、原発でさらによくないことが起こった場合に、首都圏が混乱に陥る可能性がゼロではないという認識を持っていたから、というのはぞっとする話です。
当時東大の工学部がそういう認識を持つような状況だった。自分はただ不安に思いながらも日常を送っていたときでした。
ショッピングセンターで内部被曝を計測してその結果を記者会見しようとしていたとき、
その結果の数値がおかしいと気がついて止めたというのが本当にすごいです。
止められて待ってくれたというのもすごいです。
もし誤った数値のまま被爆してるとして発表されていたら、福島への風評被害ももっと恐ろしいものになっていたことでしょう。
早野さんが文科省に「給食まるごとセシウム検査」を提案したとき、文科省が「測ってみて、もしも給食からセシウムが出たらどうするんだ」と拒否したというのも
とても怖い話です。
それで諦めずインターネット上でアンケートをとって保護者の大多数が検査に賛成だということを証明して、
まずは自腹で始めたというのも早野さんのすごいところ。
5万円の財布のたとえは目からウロコでした。
6000円使って残り4万4千円。
使いたければ使ってもいい。
一年5万ベクレルは被爆しても良いという考え方。
確かにこれは全員に「5万ベクレルまでは食べて安全」と伝えるものではなくて
アルコールを控えろと医者に言われた患者が
「晩酌のビールをコップに1杯だけなら?」
と訊いてきて、医者が
「薦めないけどまぁそれくらいならしょうがないね」
というような、医者と個人の間の話というたとえに
とても納得しました。
その人が親しんできた食文化を否定するほどの量じゃない、という考え方が
本当にそこで生活している人のことを考えています。
山菜や野生の猪を食べるなというのではなく
「ここまでなら食べていい」というやり方。
とてもそこで暮らす人たちに寄り添っています。
いままままでの生活を続けたいという欲求と、今事故が起きてしまってそこに危険物があるということとの間でどうやって折り合いをつけるか。
「マーケットバスケット」というやり方で食料を検査していて数値がかなり低かった。
だから政府の委員会で、「別に500ベクレルのままでもいいんじゃないか。規制値を100ベクレルにしなくても、いま流通している食べ物は十分安全」と発言した方が叩かれた、というエピソードも、複雑な気持ちになるものです。
1キログラムあたり100ベクレルというのは、世界的に見てもとても低い規制値です。
でも、国が不正をしようとしているかのように叩かれていました。
実際規定が厳しくなったときに、日本人はそれを真面目に守るというのが、日本人らしく感じます。
基準が決まったなら厳密に守って、そのためにみんなが努力した。
これは本当に、確かにすごいことです。
ガラスバッジの話も詳しく知らなかったので興味深かった箇所でした。
実際にそこで生活している人に1時間ごとの線量がわかるD-シャトルをつけてもらうというのは
大変良い案だと思うのに、線量を空間や地面で測って国が管理するのではなく、個人で管理させるのは
国の手抜きだと当時は叩かれた。
でも、空間線量だけでは原因をつきとめることは難しいでしょう。
例えとして、自分の子どもにつけたガラスバッジの線量が高いと、両親は外が危険だと思い
通学路の線量が高いのではと車で送迎し、外出しないようにと子どもに言う。
しかしD-シャトルで測ってみると、実は家にいるときの方が線量が高いことがわかり
屋根の除染が不十分だったことがわかるという話がありました。
二週間の1時間ごとのデータを見て、数値が高いけれどこのときはどこで何をしていたか、
低いときはどこにいたかをチェックしていくことで
原因を見極めることができます。
このD-シャトルも、開発メーカーに掛け合い、開発されていなかったデータ読み出しソフトを作ってもらい
自腹で50個購入してスタートさせたというのですから
驚きです。
一年間記録できるガラスバッジの代用品として使っている人に、1時間ごとのデータを読み取れるソフトをメーカーの人が渡したけれど誰も使わなかったという話も
怖いなと感じます。結構人間はそんなところがあるものでしょう。
使う人の意識次第なのです。
それと近いもので、
きちんと測定してデータが十分にあるからこそ安全だと断言できる状態と早野さんたちが確信していても
データが嘘だと言う人もいます。
耳を塞いでいて聞こうとしない。そんな人たちにはいくら良かれと思って話しても伝わらないどころか
騙そうとしているとすら思われてしまいそうです。
ベビースキャン稼働時の記者会見で早野さんが「これは科学的には必要のない機械です」と言ったのが
糸井さんの印象に残っているそうですが、確かにそのとおりです。
科学的には子どもは安全なのですから。
ホールボディカウンターって4トンもある鉄の箱で、
その中に赤ちゃんを寝かせて測ると不吉な感じになる。
測るだけならイメージはどうでもいいし、
もっと言えばハリボテでも構わないくらいなのに
この機械が何のために必要なのかをきちんとわかっていた早野さんは
測って、お母さんたちの抱えた心配を取り除くのが理由だから
っていうことが重要。だからデザイナーが必須だと思い
優秀な工業デザイナーを口説いてくる。
行動力と判断力が素晴らしいです。
高校生をジュネーブへ連れて行ったという話も同様です。
外国の人にとっては、「生きている人間が福島から来た」というインパクトがあった点、
そう思われていたことの複雑さと、高校生たちが参加した意義を感じます。
このときの発表を広げていって、「高校生線量計プロジェクト」に発展させるというのも素晴らしいです。
「世界の他の地域と比べて、福島はこんなに放射線量が低いから安心」という結果を導くためのものではなく
同じ装置で同じ測り方で世界中の高校生を測ってみて、そのデータを高校生がどう分析してどう結論づけるか
という未来に向けてプラスになる研究としてのプロジェクトであるところが重要です。
歴史を振り返っても、なにか酷いことがある度に思うことは
人の愚かさと人の素晴らしさです。
とんでもないことをする人もいれば、酷い状況の中でも地に足をつけている人もいる。
早野さんのような人たちがいるからこそ、そこで立ち止まらず人の世界は続いていくのだと思います。
なにかあったとき、自分の専門分野を生かして冷静に動けるような人間で
自分もありたいと感じました。