森本恭正のレビュー一覧
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この本は批判精神に満ち溢れていて面白い。井口さんの話とか、彼はまあ西洋圏では知られてないとか、そういう雑多な内容もあるんだけど、個人的に興味深いなと思ったのは、この本が断章のような形式を採用していること。批判的考察、というタイトルからもわかるように、ニーチェのような思想を意識した面もあったかもしれない。ドイツでは50年遅れて出来事が起こる、という話を印象深く覚えている。批判の多くは日本の音楽や、日本での西洋音楽の受容に向けられたものであり、日本音楽の閉鎖性に対するその批判精神には目を見張るものがあるが、とはいってもそれは私には著者の持つ西洋的なものの見方である印象は拭えなかった。重要な示唆に富
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例えば日本に西洋音楽を持ち込んだ明治人の批判とかはおれにはわからないんだけど、とにかく音楽に関していろんなことに気付かせてくれた。
楽譜の忠実な再現してを求めた一時的な新即物主義の時代に井口基成はヨーロッパに行ったから、それが日本の西洋音楽を形作った。旋法の音楽が調性の出現で変化しバロック音楽が生まれたが、このような音楽は西洋音楽だけ。音楽で話すためには、西洋の言語を知らないとわからない、それはドイツでドイツ語でドイツ時から長唄を習うようなもの。当道座という盲人の集団のみが音楽を作ってきた日本の特殊性。黒人の音楽性が寄与したのはリズムではなくハーモニー。君が代は世界で唯一の非西洋音楽の律旋法で -
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「クラシックに狂気を聴け」というタイトルは『狂気の西洋音楽史』を思い起こさせる。またかという気持ちとともに、森本恭正なる作曲家、しらんなあと呟きつつ手に取る。この著者、Yuki Morimotoなる名前でヨーロッパで活躍しているという。それなら、CDを見たことはある。森本氏、日本の音大を出てプロの指揮者となっても、ある「もどかしさ」につきまとわれていた。それは単純化すれば、日本で西洋音楽をやるということの違和感であろう。彼はそのもどかしさに駆られてアメリカに渡り、そしてヨーロッパに移り、以来、ウィーンを活動の場としてしまったのだ。
その森本氏が西洋音楽とは何かと考えてきたことを綴ったのが -
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新書だし、休日にパッと読もうと思って実際にパッと読んでしまったが、もう一度ちゃんと読もうと思える内容。西洋音楽、特にクラシックの呪縛はイイ意味でも悪い意味でも根深いものともともと感じていたが、それを論理的に明かしてくれていると思う。サッカーと政治の本というのも多数出ているけど、この本で語られている音楽と政治の関わりも非常に興味深い。どのような音楽を政治に用いたか(例えばワーグナーとナチス)みたいなことではなく、クラシックという音楽の構造自体が、支配という考えに裏打ちされている音楽だということが分かりやすく語られている(決してそれを批判しているわけではない)。それとともになぜ現代音楽というジャン
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現役の指揮者による西洋音楽論。ただし、技術に関することのみならず、音楽というフィルターを通じて、音楽とは直接関係がなさそうな政治・文化に関する考察に進んでいくところが、非常に興味深い。
一例を挙げると、
(1)西洋音楽は、実は裏拍の方が強い。それは、ロック等のカジュアルミュージックと共通的な特徴である。
(2)西洋音楽は、階級社会と親和的である。それは、和音の進行法やオーケストラの構成に象徴される。それ故、西洋音楽は、資本主義と帝国主義の伝播に少なからず貢献したのではないか。
こんな話が出てくると、クラシックを殆ど聴かないような人も、本書を読みたくなる筈。 -
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ヨーロッパで活動している森本ならではの、クラシック音楽とは何か?、これから進む道は?という素朴ながら重要な疑問・問題に、専門家としての、というより作曲家としての立場から見据えた音楽論の言える内容で、最近の新書が向かっている「啓蒙書から専門的知識も持ち合わせたオタク向け」的な内容といえるだろう。
例えば、モーツァルトが16分音符を4つ書こうとした場合、非常にしばしば8分音符1つと16分音符2つを書き初めに書いた8分音符に装飾音をつけたのはなぜか。日本の管楽器ではタンギングをしない。後者は邦楽との比較という点では面白い内容だが、前者を例にして西欧音楽論を展開する必要があるのかは疑問のあるところ。
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ネタバレXで面白いという投稿を見て。
はじめて音楽の歴史についての本を読んだため、ほとんど言われるがまま「ふんふんなるほど知らなかったなぁ」と読み進めたが、批判9歌の翼ではかなり自分ごととして勉強させてもらった。
「歌うように弾く」これは昔ピアノを習っていた私も先生に言われたことで、技術はあまりなかったが歌うように弾くことは得意なほうだと思っていた。発表会の後には先生から「他のスクールの先生が、あの子は聴かせるピアノを弾くねと言っていたよ」とよく聞いたものだ。
そして最近またなにか弾きたいと思い十数年ぶりにキーボードである曲をゆるゆると練習しており、完璧ではないが一通りなんとなく弾けるようになったため -
Posted by ブクログ
日本人にとってクラシック音楽を受容するということはなにを意味しているのかということを、著者自身の体験と考察を交えながら、エッセイのようなスタイルでつづった本です。
日本人という観点から、ヨーロッパの音楽はアフタービートが基本になっているという指摘をおこなったり、クラシックとジャズを貫くスウィングについての独自の考察をおこなったり、さらには、日本人と西洋人で右脳と左脳の使いかたにちがいがあるという、角田忠信の『日本人の脳』(大修館書店)における疑似科学的な議論までも引用しつつ、西洋音楽が日本において「クラシック」として受容されたことが生んだ「ねじれ」のなかで考察が展開されています。
若干議論 -
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西洋音楽は基本裏拍、1拍目にアクセント記号があるのは「(例外的に)ここを強拍にしなさい」という意味、という裏拍の話は面白かった。
確かに休符で始まる曲って、多い。そう思って聴くと、ジャズやロックはもちろん、クラシックも基本アフタービートなのがよくわかる。
以前ジャズコンサートに行ったとき、裏拍が取れない人が少なからずいた(ジャズファンなのに???)ことに驚いたし、70代以上で裏拍とれる人は本当に少ないと思う。(日本で)
日本人が西洋音楽を身につける苦労の大本はここにあるのかもしれない。
モーツァルトの装飾音や音の撓みの話も興味深かった。
しかし、右脳左脳の話のところでは、ちょっと納得しかねる部