小坂国継のレビュー一覧
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ネタバレ我々は何を為すべきか、いずこに安心すべきかの問題を論ずる前に、まず天地人生の真相はいかなるものであるか、真の実在とはいかなるものであるかを明らかにせねばならぬ。
今もし真の実在を理解し、天地人生の真面目を知ろうと思うたならば、疑いうるだけ疑って、全ての人工的仮定を去り、疑うにももはや疑いようのない、直接の知識を本として出立せねばならぬ。
科学というものは何か仮定的知識の上に築き上げられたもので、実在の最深なる説明を目的としたものではない。
物の形状、大小、位置、運動という如きことすら、我々が直覚する所のものはすべて物そのものの客観的状態ではない。我らの意識を離れて物そのものを直覚すること -
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"いわゆる心というのは単に内なるものではなく、いわば内の内なるものであり、同様に物というのは単に外なるものではなく、いわば内の外なるものである。すなわち、物は心の外に超越したものではなく、心の内に超越したものである。"
内の内なるもの、内の外なるもの(内に超越したもの)とある。
心で普通に捉えるものは、これまでの経験で蓄えられたものであると思う。経験(無意識的な経験も含め)を超えたものの直覚はないとすると、よくよく考えるということか?
しかし、考えること(反省すること)とは違うと。ものになりきるのだと。決して経験したことのないようにものを直覚するべく、無心で感じるということ -
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哲学における根本問題を純粋経験によって解決しようという、西洋思想に囚われぬ初にして至高の日本哲学書「善の研究」を、注釈とわかりやすい解説を添えてわかりやすく噛み砕いた一冊。原著を買って、章の一つの節を読むのに数時間唸りながら読んでいた最中に発売されて…もう少し待てばよかった。。。注釈は言わずもがな、見慣れた書体とルビがあるというだけで、かなり読みやすくなるのだから不思議。日本哲学を語る上で、避けては通れない一冊。まずはこの本で予習をして、次こそは原著だけで読み込んでみよう。シーザーを理解するのに、シーザーである必要はないワケで、このような難解な本に対してこそ、理解社会学として意味と説明を構造化
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真の実在を把握するには疑いうるものを全て疑う必要がある。デカルトの方法的懐疑。
しかし帰結は我思うゆえに我ありでなく
意識は必ず誰かの意識でなければならぬというのは単に意識には必ず統一がなければならぬの意にすぎない。もしこれ以上に所有者がなければならぬとの考えならばそは明らかに独断。
意識に先立って意識の所有者の存在を前提しているのは独断。私さえも不確かであるのでただ直接的な経験の事実。疑う私も疑われる対象も直接的な経験そのもの
主もなく客もない知識とその対象とが全く合一している
西田哲学は西洋哲学と東洋哲学の合流点。
いかに生きるかという実在の問題、
世界はこういうものであると -
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わが国最初の独創的な哲学書である西田幾多郎の『善の研究』のテクストに、西田研究者の小坂国継氏による注釈を付したもの。テクストは一段落ずつ切られて注釈が挟まれ、各章の終わりには小坂氏の「解説」が置かれている。
小坂氏はほかにもいくつか西田の論文のコメンタリーの仕事を手がけているが、本書の注釈もそれらに劣らず、手堅くポイントが押さえられている。西田哲学に関する研究書には、解釈者独自の理解が前面に出されたものが少なくない中で、本書の解説は西田自身に語らせるようなものになっている。
また、『善の研究』では、当時流行していた哲学者の思想が参照されて議論が進められることも多く、今日の読者がその内容を理 -
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西田幾多郎の哲学の根底には、つねに「自己が自己を見る」という「自覚」の考えがあり、それが「純粋経験」「絶対自由意志」「絶対無の場所」「絶対矛盾的自己同一」といった志向や論理として展開されているという理解の下、西田哲学の生成と発展の過程を本質的に「自覚」の深化の過程としてとらえ、解説。
これまでにも西田哲学の解説書はいくつか読んだことがある(原書は読破できていない…)ものの、あまりよく理解できたとはいえなかったが、本書を読んで、いくばくか西田哲学はどんなのものなのか理解が進んだように思う。特に、「はじめに」は西田哲学のエッセンスを示すものとして秀逸だと感じた。ただ、それでも本書の議論はかなり難し -
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西田幾多郎の生涯にわたる思想の変遷を簡単にたどり、彼の思索の歩みを一貫しているものについて論じている本です。
『善の研究』において「純粋経験」の立場に立って哲学的な思想を構築した西田は、その後「自覚」「場所」「絶対矛盾的自己同一」と、その立場を変えてきました。しかし著者は、そうした西田の思想にはつねに「真正の自己の探究」という根本課題を追い求めてきたものであるといいます。そして、このような西田の思想は、禅における「己自究明」の精神に通じるものであり、東洋思想の伝統を受け継いだものだと考えられます。
さらに西田哲学には、自己の内への超越をめざす宗教的な性格が見られると著者は述べています。これ -
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言っていることがとても難しいので、一語一語の意味をじっくりと考えながら、外国語を読むような感覚で読み進んだ。
同著は、岩波文庫からも出版されているけれど、岩波版が原文のみを収録しているのに対して、こちらには注釈がついている。用語の解説については、単にそのまま他の言葉で言い換えているだけのようなことが多くて、あまり参考にならなかったのだけれど、各章の終わりにある、その章のまとめには、要点が簡潔に書き加えられていて、原文だけを読むよりはわかりやすかった。
この本は、「純粋経験」「実在」「善」「宗教」の全四編から成っていて、主題は、第三編の「善」にある。一番読みやすいのも、この第三編であるので、こ