ドイツ第七代首相ゲアハルト・シュレーダーは、ドイツのエネルギー史で重要な役割を果たした首相だ。
ドイツではその前任のコール政権(一九八二~九八年)時代の一九九一年、再生可能エネルギ―普及を目指す重要な法律が施行されている。再生エネ事業者が発電した電力を、電力供給事業者が買い取るよう定めた「再生エネの公共送電網への供給に関する法律(通称・電力供給法)」だ。
この法律により、風力や太陽光などで発電した電力を、きちんと電力会社に「売る」ことができるようになったため、分かりやすく言えば一般市民の間にも「発電はカネになる」との意識が生まれたのだ。だがこの法律では、買取価格が一律ではなく、発電する人々の収入は不安定だった。
シュレーダー政権が着手したのはこの法律の改定で、二〇〇〇年には新たに「再生可能エネルギー法」を施行した。新法では、買取価格を固定化しているところが重要だ。これにより、再生エネを発電すれば「安定収入」が見込めるようになったため、ドイツの風力や太陽光発電は一気に普及した。太陽光パネルを屋根に設置する家庭などが爆発的に増えたのだ。
さらに同年に、大手電力会社との間で、将来的に原子力発電から撤退するという歴史的な「脱原発合意」を取り付けた。確かに画期的な決定ではあったが、具体的な期限は二二年ごろと曖昧で、それまでには原発の減価償却も進む。つまり逆にその頃まで原発を運転させてもらえれば、電力会社として採算は合う。そんな計算があったとの指摘もあり、「シュレーダー政権は電力会社側に配慮した」という批判も起きた。このため、強硬な脱原発論者や緑の党の一部からは必ずしも評価されなかったが、とにかくこの合意に基づき、ドイツはようやく二〇〇二年には脱原発を法制化し、二二年ごろまでに原発を全廃する方針を決めた。
シュレーダー政権は二〇〇〇年、反対運動の絶えないゴアレーベン最終処分場計画についても一つの決断を下す。地下探査活動を一○年間、凍結することを決めたのだ。
ドイツでは、エネルギー転換の大きな柱の一つである「省エネ」も日常風景の中にある。もちろん、限りある資源の有効活用については今やどの国でもその重要性を認識しており、日独ともこの点は同じだ。ただ、ドイツで明らかに「日本とは違う」といわば皮膚感覚で体感するのは、
例えば「明るさ」だ。空港も駅もオフィスの照明も、日本では考えられないくらい暗い。建物も節電が徹底しており、集合住宅の廊下では照明が一定時間で自動的に消える仕組みが定着している。
夜間でも二四時間営業のコンビニが煌々と明かりを灯す日本から見ると、ドイツの店の営業時間の「割り切り」にも最初は戸惑う。ドイツでは一九世紀に起源をもつ法律「閉店法」があり、商店の営業時間を制限している。法改正を経て最近は規制がかなり緩和されたものの、今も病院や駅を除いて原則として日曜に商店は営業していない。このため、小さな町では日曜がまるでゴーストタウンのようになる。もちろんこれは労働者の長時間労働を防ぐための法律で、省エネを第一の目的としたものではないが、それでも「節電」意識はおそらくドイツ人にはかなり定着している感覚ではないか。日本に滞在した経験のあるドイツ人はたいてい「日本は便利だが、明るすぎる」と口をそろえる。世界の照明事情に詳しいデンマーク・オーフス大学のヴェルナー・オスターハウス教授(照明学)は「大事なのは、夜は遅くまで仕事せず早く寝ること。何をノーマルと思うか。節電は結局、人生観の問題です」と話す。
ドイツでは全エネルギー消費の四割が暖房など」「建物」に使われており、住宅・建築分野での省エネの取り組みも進む。たとえば窓ガラスを三重にしたり、壁や床に断熱材を使って熱を逃がさない工夫をしたりする断熱効率のいい「パッシブハウス」などの導入にも熱心だ。だが単純に日本と比較できないのが、ドイツでは築年数がかなり長い住宅が一般的だということだ。地震がほとんど起きないドイツでは、度重なる地震で家屋が傷んだり、倒壊したりする不安ともほぼ無縁で暮らすことができる。
ドイツ交通・建設・都市開発省のライナー・ボンバ事務次官は、ドイツの住宅について、「二○世紀の二度の大戦にもかかわらず、ドイツには築一〇〇年を超す建物が珍しくありません。ドイツでは今も新築の際、一〇〇年以上持続可能な家を想定して建てています」と話した。ドイツでは頻繁に家の建て替えはせず、むしろ部分的なリフォームが盛んだ。
ドイツでパッシブハウスを建てた人に実際に聞いてみると、「家が数千万円と高くても、十分に元は取れる」と話すが、根拠はだいたいこの持続可能な期間の長さだ。日本のような地震国では、いくら近年は耐震性に優れた建物が増えているとはいえ、さすがに築一〇〇年以上が一般的とはならない。自然・気候条件の違いもあり、建物の単純比較は難しい面もある。
興味深かったのは、「情報・教育」の討議で、市民委員から「なぜ最終処分場問題は十分報道されないのか」という質問が出たのに対し、壇上に上がった「リベラシオン」紙、「エスト・レビュブリカン」紙、インターネット紙「メディアパート」の各記者が答えた場面だ。確かに福島事故当時の、この世の終わりであるかのような報道とは対照的に、フランスで最終処分場に関する問題が新聞、メディアで大々的に取り上げられるのは、まれだ。
折しも日本では、フィンランドの最終処分場を見学した小泉純一郎元首相が、日本に最終処分場がないことなどを理由に「原発ゼロ」を主張し、都知事選で「脱原発」を訴える細川護熙元首相を支援し、連日紙面を賑わせていた。
メディアパートの女性記者は「報道が少ない二つの要因」として、一つ目に「問題が専門的で複雑である点」、二つ目に「事件、事故の発生と比べてニュース性が乏しい点」を挙げて説明した。だが、もちろん、これは納得できる理由ではない。
専門的であればあるほど、分かりやすく伝えようと努力するのが報道機関の役目であり、また一〇万年にわたる巨大プロジェクトの動向にニュース性がないなら、ニュースなどなくなってしまう。フランスの記者もそんなことは分かっているはずだ。おそらく、せっかく進みつつある最終処分場計画を、世論を刺激して頓挫させたくないとの思いが、どこかにあるのではないか。そう感じた。