島内裕子のレビュー一覧
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徒然草の全文を読むという夢が遂に叶った。
予想していたがそれ以上に内容は素晴らしく。
身の回りの自然や季節の移り変わり、人として生きる心得に加えて宮中内の有職故実についてなど、内容は本当に多岐に渡っていて面白い。しかも全てが現代に通じることばかり。
読んでいて逐一、今の自分にそれができているかと自省したり。また、季節ごとにあらわれる自然への想いが思いがけず兼好と同じであったりして、嬉しい瞬間もあった。
哲学、図鑑、面白い漫画、史実を記録、といった要素も含んでいて、最後まで飽きることがなかった。
全ての段の最後にオチがあるのも良かったし、何より兼好の穏やかで優しい眼差しに癒された。
もちろん鋭い観察眼も。
何度も読み返したい名著。長い時間を超えて読み継がれてきた文学の真骨頂だと思う。 -
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人生初の枕草子読破に挑戦!
冒頭からめちゃくちゃ素晴らしい。
ずっと枕草子を読むことに憧れていた。教科書に載っている箇所だけでも好きだったので。いつか自分に合う現代訳が出れば、、と願っていた。
ちくま学芸文庫のこちらの構成は、本当に読みやすい。私の理想に近いものだったので即購入。
ひとつの段ごとに、まず本文、次に訳、そして評と3つに分けられて細やかに易しく読ませてくれる。
各段ことの島内先生の評が特に良い。清少納言の伸びやかで清々しく、少し中性的な文章に呼応するように島内先生の温かみのある説明が続く。どちらの文章にも癒されて、こちらまで楽しい気持ちになる。
きめ細やかな清少納言の自然への観察眼。王朝期の雅な雰囲気も目の前で見ているよう。
これが1000年も前の話だとは。信じられない、清少納言凄すぎる。 -
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島内裕子先生による、北村季吟の『春曙抄』を底本にした能因本系統の本文、現代語訳、解説。
先生は、枕草子 の「連続読み」を提唱されている。章段の前後の関連を意識しながら、文章の流れに沿って読解を進めていく枕草子読書法である。
前書きにあるように、清少納言の自由闊達で機知に富んだ精神の律動を、この「連続読み」によって感じながら、「春は曙」の冒頭から、最後の「物暗う成りて」の跋文までを、現代の幅広い人々に通読してもらいたい、という先生の願いがこの本には込められている。
先生の評には、この段は何年何月何日の出来事であるといった史実に関する解説があえて無い。それは、枕草子をそこに書かれた順序で最後まで通読することが大切であり、枕草子の内部に流れている時間は、時系列ではなく、清少納言の心に浮かび上がってきた順に書かれており、それがと大きな魅力であるからだ、と先生ご自身が述べられている。
先生は、「枕草子文化圏」を提唱されている。枕草子の影響は、鎌倉時代末期の『徒然草』に見られる。しかし、枕草子の本格的な註釈研究が始まったのは、江戸時代初期の北村季吟による『春曙抄』であった。源氏物語などに比べるとずいぶんと遅れをとっている。それでも、明治時代には、枕草子への関心と共感が高まり、その水脈は現代文学にまで流れている。先生の解説では、そうした「枕草子文化圏」についても随所で言及されていて、興味深い。
本文が、『春曙抄』を底本としていることも、それゆえの先生のこだわりとして、面白い。
さらには、現在広く流布している三巻本系統との本文比較も紹介されており、いま、あらためて能因本系統で原文を読むことの意義が、解説によって言外に感じられる。
ところで、定子は父道隆の薨去、さらには兄弟の伊周、隆家の左遷により、悲しみのどん底にあった。枕草子をいつの時点で読んだかは知らないけれど、これを読んだ定子は笑ったと思う。
第二八段は、女のもとから恋人が帰る時の憎たらしい態度、理想的な態度が奔放に書かれている。これを読んだ定子は、可笑しくて吹き出しただろう。そして、一条天皇との逢瀬を思い出し、涙しただろう。この段が笑いで終わらないところが素晴らしい。清少納言は、定子のことを思いながらこの段を書いたに違いない。
四九段「貴てなるもの」で先生は、パステルカラーの色彩が浮かんでくると言われた後に、ローランサンの絵に言及されている。先生によるとローランサンは枕草子のフランス語訳を読んだことがあるとのこと。先生の筆の赴くままの評が本文共々、読む者の想像をさらにさらに拡げてくれる。 -
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卜部兼好(1283頃~1352頃)によって書かれた徒然草は十五世紀半ば以降、すなわち、没後約100年後に歌人、連歌師そして武士たちによって脚光を浴び始めた。実は生前から注目を集めていたわけではなかったのだ。
古典作品は初めから古典だったわけではなく、いったん忘れられた後誰かが価値を再発見し、作者の隠された意図を明らかにすることで評価される。だから古典はその時代の価値観によって評価が変動する。
徒然草は初め、洗練された美意識の書物として注目を集め、戦乱の時代では世の中や人生を無常として捉える側面から読まれるようになった。江戸時代になると教訓書として流行した。いずれも、現在の価値観と当時の価値観を比較し、現在と過去を重ね合わせることで物事を相対化している。そうした行いを現代に当てはめるとどうなるだろうか。
科学的合理精神の現代と淳素(まともで質朴な状態)を理想とする兼好の時代を照らし合わせると、「専門知への態度」が興味深い。例えば、第百九十三段で「己が境界にあらざる物をば、争ふべからず、是非すべからず。」とある。自分の専門分野以外のことに関しては、争ってはならないし、相手のことをみだりに批判したり否定したりしてはいけないということだ。
知識(特に科学技術)の細分化、専門家が進んだ現代では、往々にして専門家の意見が重宝される。しかし、そうした専門家を推量して安易にその人の知恵の程度が分かったと決め込み、行動することは身を危険にさらすリスクを上昇させる。そのため、伝染病から自分や家族を守ったり、病気よりもたちの悪い迷信から抜け出すためには、人間が陥りがちな慢心や他者に対する無理解を反省しなければならないと考えられる。
古典を読むという体験を重視した読書を目指した。じっくり読み新しい発見もあったが、背景知識の不足からよくわからない部分もあった。それは今後の課題としよう。 -
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「通読できる徒然草」…まさに、古典を普通の読み物として読むことを叶えてくれました。
嬉しいし、楽しい。
現代語訳の良さはもちろん、注と評が最小限で邪魔しない。
古典は注釈や評などでお勉強感が漂い、
『読書中に先生がしゃしゃり出てきていちいちうるさい』感じがして萎えてしまってましたが(笑)、
通読することを目的としたこの徒然草は、楽しむヒントを与え、背中を押してくれるものでした。
原文の単語の解説などもないので、気を削がれることなく古文のニュアンスを楽しめます。
なので勉強したい人には向かないかもしれないです。
それにしても徒然草、国語の先生が大好きと仰っていましたが納得です。
エッセイとは聞いてましたが、ほんとですね。それもなんて奥深いエッセイ。
遠い昔の、価値観も風潮もまるで違う時代だけど、人間を見ればとても身近で馴染み深い。
人間味に溢れて、感性豊かで思慮深く、かつ気まぐれで変わり者…兼好法師、会ってみたいなぁと思わせる人ですね。
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著者の吉田兼好は無欲恬淡の隠者として語られることも多いところですが、実態は30歳で朝廷を辞して田畑を購入、これを小作人に貸し出して年貢米を得るという理想的アーリーリタイアを成し遂げた人でもあります。
そんな高等遊民としての兼好の思想がにじむもの。
○自分が高貴な身分であれ、ましてものの数でもない場合はなおさらのこと、子どもというものはいない方がよい、と私は思う。…藤原良房の大臣に関しても、「子孫がおられぬのがよい。子孫が先祖より衰退なさるのは良くないことだ」と、『大鏡』には書かれている。聖徳太子が生前にお墓を造営なさったときも、「ここを切れ。あちらを断て。我が子孫は絶えさせようと思うのだ」と申されたとか。(第六段)
○独り、燈火の下に書物を展げて、見ぬ世の人を友とすることくらい、無上の慰めはない。本と言えば、『文選』のあわれぶかい巻々や、『白氏文集』や『老子』の詞章、『南華の篇』、すなわち『荘子』。日本の文章博士たちが書いたものも、昔のものは、しみじみと心に沁みることが多い。(第十三段)
○もうこうなったら、すべての縁をうち捨てるべき時である。私は、約束も、もう守るまい。礼儀も、気にしまい。このような決心が出来ない人は、私のことをもの狂いとも言え。しっかりとした現実感がなく、人情がないと思ってもよい。他人がどんなに私のことを非難したとしても、少しも苦しくはない。逆に、私のことを褒めてくれても、そんな言葉を聞く耳は持たない。(第百十二段)