小松秀樹のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「医療崩壊」の作者が新書に書いてあるもので、「医療崩壊」の本と内容が重なる部分が多い本。
内容的には、死生観がなくなった現在、医療に対する過度な期待(医療には必ず不確実性やリスクがある)があること、司法が医学的な不確実的なものを法的に裁くことができるのか、医療現場での教育、評価、人事等で改善する点や、実際の現場での取り組み、日本の皆保険制度のメリット・デメリット等を経済思想やアメリカの保険制度等と比較しながら紹介されている。
説明されれば当たり前なのですが、論理的に説明されないと、自分の住む世界の価値基準(司法や一般会社)等で判断していまうのが人間の性なのかもしれないと感じた。 -
Posted by ブクログ
理想と現実,なかなか折り合いをつけるのはむづかしい。ただ理想を追い求めていけば幸せが得られるのかというとそうでもない。そうかといって,現状に甘んじて改善をおこたっていては,何の進歩も得られない。この本を読んでそのことを強く感じた。市民からの過酷な要求に晒され,日本の医療が疲弊し崩潰していくことへ警鐘を鳴らす。
人生なにごとも,思い通りにはいかないもの。自分や家族の生死にかかわることだって当然そう。医療に百パーセントの成功はなく,患者・医者がどんなに努力しても,救うことができない命もある。医学は万能ではないのだ。昔から,さまざま手をつくした上での死という事実を,患者や家族は受けとめてきた。医 -
Posted by ブクログ
日本人を律してきた考え方の土台が崩れています。死生観が失われました。生きる覚悟なくなり、不安が心を支配しています。不確実なことをそのまま受け入れる大人の余裕と諦観が失われました。
慢性的な栄養不足があると、ちょっとした病気で人はすぐに死にます。バングラデシュには、医療援助より、経済援助がはるかに重要だということなのです。
中世、ペストが大流行したヨーロッパでは、短期間に地域の三分の一もの人が死亡するような状況があった。不可避の死を常に意識し、だからこそより良く生きることが求められたのです。
日本にも昔から「無常観」という、長い歳月のなかで磨かれた死生観があります。多くの人が生まれ、それ -
Posted by ブクログ
「医療崩壊」の新書版。医療問題の本というより思想書として興味深く読んだ。特にオルテガの引用のくだりは、医療現場のみならず、現代日本の病理を如実に示しているようで、慄然とした。
大衆は、「文明の利点の中に、非常な努力と細心の注意をもってして初めて維持しうる奇跡的な発明と構築を見て取らない」、故に「自分達の役割は、それを生得的な権利であるがごとく、断固として要求することにのみあると信じる」。
安全も平和も決して当たり前のことではない。自分の知らない所で誰かが汗や血を流し、かろうじて現状が維持されているのだ。そういうことに人々が思いを馳せることができなくなった時、システムは崩壊への道を辿るのだろ -
Posted by ブクログ
『患者はこう考えます。現代医学は万能で、あらゆる病気はたちどころに発見され、適切な治療を受ければ、まず死ぬことはない。医療にリスクを伴ってはならず、100パーセント安全が保障されなければならない。善い医師による正しい治療では有害なことは起こり得ず、もし起こったなら、その医師は非難されるべき悪い医師である。医師や看護師はたとえ苛酷な労働条件のもとでも、過ちがあってはならない。医療過誤は、人員配置やシステムの問題ではなく、あくまで善悪の問題である。』
ここまで書かれたらさすがに誰でも「これはおかしいな」と思うだろうが、実際に大病をすると動転して本性が現れてくる。
著者は「死生観」がなくなったと述べ -
Posted by ブクログ
めざましい医療技術の進展により死は我々にとって遥かに遠い存在となった。死は意識の彼方に追いやられ死生観は喪失。死を静かに眺めることができない甘えの蔓延は、際限のない社会の安心安全要求に形を変え、今、医療現場を崩壊の危機に陥れている。医療とは本来不確実なものであり、治療は常にリスクを伴うにもかかわらず、昨今、医療に過誤はありえないとばかりに医療への理不尽な攻撃が頻発している。メディアや司法はときに十分な責任を果たしている医師までも攻撃する。医療は万能ではない。限界がある。とりわけ救急医療の現場では完璧な準備などありえない。このままの事態が進めば、結果的に困るのは医療を必要とする我々自身である。肝
-
Posted by ブクログ
虎ノ門病院の部長である著者が、現在の日本医療の危機的状況とそれを助長させている環境(生死観、マスコミ報道、医療への幻想、医療訴訟の内実)をまとめた内容となっている。
医療従事者以外の一般の人が是非読んでおくべき一冊と考える。
患者、患者の家族が死生観、医療の実情を知り、結果責任だけを問うことをやめるべき、補償のあり方を変えるべき、裁判が感情的ではなく科学に基づいて行われるべきという意見には賛同する。
ただ、慈恵医大青戸病院事件に関しては、著者の見解と異なる感想を持った。
結果責任ではなく、故意の事例に対してだけ責任を問えば良いとはいうが、慈恵医大青戸病院事件に関しては未必の故意と言えるのでは -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
日本人は死生観を失った。
リスクのない治療はない。
患者は消費者ではない―。
医療の現場を崩壊させる、際限のない社会の「安心・安全」要求、科学を理解しない刑事司法のレトリック、コストとクオリティを無視した建前ばかりの行政制度など、さまざまな要因を、具体例とともに思想的見地まで掘り下げて論及する。
いったい医療は誰のものか?
日本の医療が直面する重大な選択肢を鋭く問う。
[ 目次 ]
第1章 死生観と医療の不確実性
第2章 無謬からの脱却
第3章 医療と司法
第4章 医療の現場で―虎の門病院での取り組み
第5章 医療における教育、評価、人事
第6章 公共財と通常財
第7章 医療崩 -
Posted by ブクログ
購入
「正しい市場とは、競争原理が機能し、情報へのアクセスが平等でふんだんにあると言う前提で、消費者が自ら参加するゲームである。医療では誰もが平等に情報を得て、しかも、それを正しく理解できるなどということはかつてなかったし、未来永劫ありえない。医療はゲームではない。医療は社会的善であり、公平でなければならない。患者は消費者ではなく、純粋に、ただ単に患者なのである」『ランセット05年5月』
医者の気持ちや訴えがよくわかる。
ただ一方で、ミスが起きればそれは誰の責任であっても「患者は死にさらされる」のである。
もしかしたら日本の医療事故はもっと減らすことが出来るのではないかな?
医者に負担を -
Posted by ブクログ
「医療崩壊〜立ち去り型サボタージュとは何か」の著者である小松秀樹医師の著書。
正直、前作より書き散らした感は否めない。でも死生観とか思想とかについて半分近く著述しているのを読むに、どんなに現実に即した制度設計をしても最後は人一人ひとりの考え方が変わっていかないといけないんだなぁと感じた。
新自由主義やらに関する彼の主張には、政治思想なんかをやっている人たちからすると「何を素人が!」と思うようなところもあるのかもしれない。少なくとも僕自身は彼には語ることのできる能力はあると思っているし、現実の本当に第一線にいる人が思想を語ったり思想を学んだりするということは、とても大事なことだと思う。 -
Posted by ブクログ
現在の医療制度の問題点を論じた本。世間が医療過誤を批判する中で、これからの医療がどうなっていくかを危惧し、また、市場原理が医療の世界に働くことによる問題点を論じている。
いわく、アメリカでは市場原理に基づいているため、医療費は驚くほど高く、医療費のせいで自己破産する中産階級も多数いると。日本の国民性や社会の成り立ちを考えれば、市場原理にゆだねるのは好ましいことではないように思える。その中で、医師が自ら望んでよりよい医療を提供できるような社会を作ることが大事なのだと思う。
たとえば、アメリカでは訴訟のリスクはあるが、高額な報酬と見合っている。一方、最近の日本では個人のミスを訴追する風潮があり、病