山本貴光のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
テレビ、新聞、本の他、ネット、SNSの普及により絶えずして情報の濁流に飲み込まれている現代人にとって、自分の記憶を「世話」することは可能か?
私の実感として、ネットで見たことはほとんど記憶に残らない。インターネット上のどこかのファイルに仕舞い込まれており、自分の目の前に並んでいるわけではないので、思い出すトリガーが限られるからか。また、たまに脳内の引き出しから出てくることはあっても、ではその出典はどこだったかなどは、全くと言っていいほど思い出せない。
その点、紙の本はそれが並んだ本棚を見るだけで、読んだ内容がほのかに甦ってくる感覚がある。例えばジャンルごとや著者ごとといった風に、自分で本を体系化して本棚の中で並び替えられるのも思考を整理するのに便利な気がする。
とはいえ有形のものは収納スペース等に限界があるし、そうした自分だけの体系化された記憶をネット空間で整理できて、見やすく整理できたらそれは便利だろうな。山本さんが考えるような知識OSが早く実現してほしい。 -
Posted by ブクログ
インターネットでいつでも検索できるにしても、それらは巨大な倉庫に格納されている素材にすぎず、人が自らの人生を生きるためには、それらのフラグメントを自己の時間的/空間的にネットワーク化された記憶(五感も組み入れられた自分自身の内なるシステムともいえる)と相関させることが必要であるはず。その際には、自分自身の記憶について、「上手くできたインデックス」を活用できるとうれしい。コンピュータ/通信の技術を役立てるとしたら、このインデックスを洗練・高機能にできるという面ではないか。
と、いうようなことを語っておられるようだ。かっちりした解説書というよりも、ふんわりとしたケーブのような印象のエッセイ。 -
Posted by ブクログ
昔からコンピュータが苦手だった。しかしこれについて知らなければ、今感じているこの気持ち悪さは一生取れないのではないか。
コンピュータとは、コンピュータが当たり前になっているこの世界とは一体何なのか。
それが知りたいと思い読んだ。
質問と、それに対する返答という対話形式で書かれていて、疑問を一つ一つ確認しながら無理のないペースで読み進めることができた。
特に面白かったのは、プログラムの実行を、物理的にはどのように行っているのかという話。
電流のオン・オフによって、二進数の1と0を作る。いくつかの基本回路を組み合わせることで複雑な命令を表現することができる。回路がどういう仕組みで作られるのか、少しわかった。
コンピュータは、様々な用途に使える潜在性を秘めた存在だが、一方ではただの「もの」に過ぎない。ただの「もの」が、どうしてこんなに高度な機能を実現できるのか。その視点が、コンピュータを理解する上では大切だと思った。 -
Posted by ブクログ
良い意味で素朴な文学読解の手引き書。解読骨子は与えてくれるわけではないので文学理論の便利な道具箱としては機能してくれない。だが、道具以前の手の使い方は十分に教えてくれる。シュミレーションをキーワードとする前半部は特に興味深い。文学作品内の事象を再現するためには、どのようなオブジェクトの設定が必要なのか、それによってどのような情景を描けるのか。また、登場人物の心理状態の変化と行動がどのように結びついているか、など基礎的ではあるが、拙速な読書の際に忘れがちなことを思い出させてくれる。文章による省略や感情の動きなど、再現が難しかったり、ブラックボックス化されていたりする部分があることについても無理に自論に押し込めることなく、それ自体が文学作品の面白さであるとする著者の率直な態度には好感が持てる。ただし、後半部の「気」に関する考察はやや冗長なきらいがある。これは本書が題名に「エコロジー」を冠していることの弊害であろう。唯物論的に描出しようというあまり、前半部の緻密さと比較して、却ってシミュレーションやエコロジーの様態を捉え損なってしまっているといえる。
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Posted by ブクログ
文学を読んでいるとき、私たちの頭のなかではどのように作中世界が構築されていくのか。ゲームクリエイターでもある筆者が「文章から読み取れる世界をコンピュータプログラムで作るとしたらどうなるか」をシミュレーションすることで、逆説的に浮かび上がってくる〈文学のエコロジー(生態学)〉を考える。
テッド・チャンと一緒に読んでいたのもあってなぜ例文に「あなたの人生の物語」がでてこないんだろうと思ってしまうくらい、言語コミュニケーションがもつ豊かさと不完全さへのまなざしに共通するものがあると感じた。チャンがあの分量で言ったことを説明するにはこの本ちょっと長すぎるんだけど。
バルザックを扱う前半はウンベルト・エーコの『小説の森 散策』のメタフィクション論にも近いんだけど、語り手の声を簡単に作者とイコールで結んでしまっている感じが気になる。エーコのように「ナレーター(語り手)」と「想定作者」と「実作者」はやはり分けて考えないと、せっかく「エコロジー」「疑似環境」を持ちだしても考え方に新規性があるようには感じられない。文中で言及されているピーター・メンデルサンドの『本を読むときに何が起きているのか』のほうがよっぽどわかりやすいし。
論旨がはっきりするのは最終章で、私たちはそもそも現実世界をそれぞれ勝手なフィルター越しに見ることしかできないし、そのフィルター越しに見た世界から勝手に構築した物語=疑似環境を生きることしかできない。けれど文学を読むことは文字という不明瞭なツールを通じて自分の疑似環境から作中世界という他者の疑似環境をひねりだし、自分の疑似環境を客観視したり、新しいものをそこへ持ち帰ったりする契機になるのだと。
テキスト生成AI(ChatGPT)は文章を読んで設計図を引くことができないというのは結構びっくりというかガッカリだった。謎建築の図面を引くなんてそれこそAIにしてほしいことだよなぁ。身体性をもたないAIにはプログラミング言語と実世界の言葉とそれが指している物質を結びつけることができないという「記号接地問題」もテッド・チャン作品とリンクしていたりして、並行して読んだのはよかったかも。 -
Posted by ブクログ
記憶を自然、技術、社会、精神の4領域の観点から語るエッセイ
現在を情報の濁流と表現しており、まさにそうだと思われる
その中で適切に記憶するにはビオトープ、つまり安定した池のような環境形成が大切だと語られている
まさにその通りで、流れる情報をそのまま受けていたら処理しきれない
ビオトープを作るには工夫が必要であり、情報の遮断というのも一つ
また書籍での情報というのも一つの形
書籍は開かない限り情報として入って来ないが、置いてあるだけでもタイトルや物理的な形から漏れ出る情報は拾える
暗知的な情報取得の手段となる
普段、明確に言語化できていなかったことを文章として明示してくれて有り難かった