以前住んでいた東京北部で「お富士さん」と呼ばれるお祭りがあった。
小さな山に登ると、富士山に登ったのと同じ御利益があるとのことで、縁日も出て、ずいぶんと賑わっていた。
その後、ほかにもこうした「擬似富士山」があるらしいことを知った。
その名は富士塚。江戸時代の富士信仰を背景に、信仰母体である各地の
...続きを読む「富士講」という集団が、地元に「富士山」を「作った」のである。小山状に土を盛り上げ、富士山の溶岩で覆い、富士山のように、「奥宮」や「小御嶽神社」を置く。富士名所の「烏帽子岩」や「亀岩」、「胎内(山裾の洞窟)」を配したり、猿や天狗の像を置いたりもする。
富士塚は関東地方に集中している。東京23区内に約50基(富士塚は1基、2基と数えるのだそうだ)。関東全域では300基を優に超え、1000基に達するという説まである。
本書は、そんな富士塚の基礎知識から、現在、登拝(「とはい」と読む)可能な富士塚のガイド、お祭りの様子などを紹介している。
これがめちゃくちゃおもしろい。
著者は美術家とのことだが、「富士塚」愛は相当なもののようだ。
厳選された36基の富士塚には、地図・見取り図に加えて、富士山がどちらの方角か、登拝体験、その歴史などがコンパクトにまとめられている。
江戸時代は富士山に限らず、登山や参詣を目的とした「講」が多くあり、よく知られているところでは大山講、御嶽講、伊勢講などといったものがあった。1人の人が複数の講に属することも稀ではなかった。信仰だけでなく、親睦や互助会的な意味合いもあったもののようである。
富士には参りたいが、旅には金が掛かる。講を作って金を貯めるが、毎年、全員が参れるわけではもちろんない。危険も伴う。そこで流行ったのが富士塚というわけだ。
富士塚の多くからは本当に富士山が望めたものだという。今はビルの谷間となり、富士が見えない富士塚も多いようだ。
富士を思い、江戸の人々の信仰を思う。生き生きとした庶民の息遣いが感じられる気がしてくる。
写真も豊富なのだが、残念ながら巻頭以外は白黒。新書であるし、いたしかたないのだろうが、やはり見にくい。そこだけがちょっと惜しい。
*残念ながら、自分は現在関西住まい。この本、もっと前に知っていたら、富士塚めぐりをしてみたかったなぁ・・・。