著者は芸大の彫刻科卒で20年間アーティストだったそうです。
今はアーティストではない著者の「アーティスト」というカタカナ語に対する違和感から本書は始まります。芸能人の箔(伯?)付けの為のツールと成り下がったアート=美術に対する苛立ち、洋楽シーンから移行してきたミュージシャン(職人)ではなくアーティストという言葉への変遷、そして氾濫、吹き上がる自意識への嫌悪。でもロックと美術は昔から親和性があったような気がします。ジョンもミックも美術学校の出身ですし。まあ、それはともかく、著者の矛先は自称アーティストやワナビー・クリエーター、つまりは多くの若者の実存ヘと向かいます。
僕としては「私もアーティストだった」という章が一番おもしろかったです。 ここで著者は最終的に如何にアーティストをやめることになったかを自己分析しています。芸大の受験から地味で真面目な学生生活、そして院生になれずに地元に帰った著者は、美大受験予備校の講師をしながら制作活動に入ります。年に数回の企画でギャラリーに作品を展示しながら、ビジネスとしてのアートに関わりますが、アートで生計を立てていたわけではなく、それでも、作品に向かう態度はまぎれもなくアーティストだった。著者にとって作品とは思想であり、その時点では譲ることのできない世界の見方であったが、「物」としての趣味性(意匠)に傾きながら、「自由の気配」を示し続けるというアートの姿がナンセンスなものに思えてくる。アートがアートでなければやれないこと、ここで著者はつまずいたようです。でも、ここから何かを始められないか。作品というのは作者の「言わんとしていること」と「実際に言っていること」との間で常に股裂き状態にあるものだから、その差異の反復として創造の受け応えが可能なのではないかと思いました。