波多野澄雄のレビュー一覧
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筑波大学人文社会科学研究科教授(日本政治外交史)の波多野澄雄(1947-)による、戦争犠牲者への国家賠償を中心とした戦後日本国家の歴史観の検証。
【構成】
序章 戦争検証の挫折
第1部 サンフランシスコ講和体制
第1章 東京裁判と戦犯釈放
1 東京裁判 遠ざかる日中戦争
2 講和と戦犯釈放問題
第2章 「戦争犠牲者」とは誰か-「国家補償」と戦争賠償
1 援護立法と「国家補償」
2 戦争賠償への意識-冷戦下の東南アジア賠償
第3章 「植民地帝国」の清算-請求権と国籍放棄
1 特殊な取引-在外私有財産と賠償請求
2 国籍放棄の非情
第2部 1980年代-「公平」と -
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1941年12月8日に,ハワイの真珠湾に奇襲攻撃をかけて沸き立った日本国民だったが,翌年1942年6月6日には,ハワイのそばのミッドウェー海戦で大敗北を期した。
この後,アメリカの優勢は揺るぎないものとなっていく。
前線がどんどんと後退し,本土に迫っていくるにも関わらず,なお打って出ようと作戦を立てたりする指導部。
この内閣の変遷を見ても,戦前・戦中・戦後と,指導部の指導性のなさがよくわかる。
東条英樹内閣 1941.10.18~1944.7. (2年9ヶ月) 戦争内閣
小磯国昭内閣 1944.7.22~1945.4. (8ヶ月ちょっと) 捷号作戦
鈴木貫太郎内閣 1945.4.7~19 -
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和平工作から昭和天皇の「聖断」まで、とのサブタイトル。和平工作の稚拙さというか強力に和平工作を行う必然性をなんとなく感じていない中でのソ連ルートやスウェーデン、ヴァチカンルート検討の本気度の薄さ、根拠のない一撃和平論を信じたがった天皇を含めた日本の指導者たちの悠長さ現実感のなさが終戦を遅らせたのは間違いないだろう。
原爆投下やソ連参戦を「国体」を護持した形での終戦に持ち込むことができる「天佑」と受け止めたという米内をはじめとした指導者たちの気持ちはすべての戦争犠牲者からはかけ離れていたにちがいない。本土決戦の実現を待ち望んでいた国民がいたのかどうかはよくわからないがそれも戦争指導の教育の結果で -
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有識者5人により日中戦争について書かれた本。3部10章から成り、5人で各章を担当している。特に、戸部先生と庄司氏の内容が素晴らしく、勉強になった。
「(日中専門家による共同研究)太平洋戦争の勃発によって中国は、世界大の「反ファシズム統一戦線」の重要局面である中国戦線を一手に担い、日本軍を消耗させたがゆえに、連合国の「世界反ファシズム戦争」の勝利も実現した、という第二次世界大戦像は動かしがたいことを確認することになった。中国以外の連合国が抗日戦争の勝利に貢献したという側面が入る余地は少ないのである。以上のような傾向は、現在の習近平政権になって、さらに強まりつつある」p5
「(リットン報告書)報 -
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上巻に続いて、下巻では大東亜戦争や太平洋戦争と言う名前付けや、戦後の皇族のアジア諸国に対する慰霊の旅や戦争終結に向けての動きなどが書かれています。
大本営と言う存在が上手く機能せず、軍部が勝手に動いて、中国での戦争の場を広めていく。政治家である民が軍をコントロールしないといけないが、それが出来ない国は滅びていく。
今回印象的だったのが、外交の大切さではないかと思いました。長い目で見て、譲るべき所は譲り、機が熟したら、果敢に攻める。しかし、軍隊は短期的な視点でしか見れない、目の前の利益を手に入れないといけないから、譲ることはないという。人の本能の様なものかもしれませんが、戦争ほど非効率的なもの -
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週刊東洋経済の「読書特集号」で、推薦されていたので読んでみた。
一言で言えば、戦後の日本と東アジア諸国との見解の違いがどのようにして生まれたのか、政治史の視点で丹念に追った本だと思う。新書にしては、中味は濃いと思う。
内容は3部にわかれており、一部のサンフランシスコ講話体制では、先般の扱い、国家補償と戦争賠償、植民地帝国の清算の視点から戦後の体制がどのように成り立ったかをまとめている。二部では、80年代の靖国問題、教科書問題、戦後補償をどのような心情として扱ったかをまとめている。三部では、細川政権から村山談話の問題などの歴史認識を扱っている。
戦争のある歴史認識は非常に難しい問題であり、 -
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特別な視点などは無かったけど、1945年に入ってから、何故あれほどソ連を介した工作に拘泥したかが、あらためて理解できた。
それから、ポスト東條に、いわゆる皇道派はじめ陸軍内で傍流となっていた将官を据える構想が、近衛文麿周辺で割と真面目に考えられていたのは、あまり知らなかったことだった。ただ、文中にもあるように、真崎甚三郎は皇道派の大物、二.二六事件の「黒幕」として天皇本人はじめ宮中での忌避感は強かったし、宇垣一成は一般的には皇道派に分類されることはないけど、むきだしの政治性が天皇から極度に嫌悪されているのが、当時からよく知られているので、実現可能性はほとんど無かったでしょう。
なお、些末ながら