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はじまりは、株式市場でどの銘柄も軒並み暴落した1920年。その後、関東大震災、昭和恐慌に直面し、戦争へと突き進む中、日本の株式市場、金融システムは様々な政策のもと、揺れ動いていくことになる。戦後復興、高度成長、バブル、「失われた30年」といま続く流れはどのように導かれていったのか。経済・金融政策と人々の思惑はいかに影響を与え合うのか。歴史の教訓を見誤らないためにこの百年を振り返る。
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Posted by ブクログ 2021年09月13日
著者は金融論・経済史専門の名古屋市立大学大学院准教授。僕と同年代で親近感が持てる。本書は昭和恐慌前夜からコロナ禍下の現在に至る百年間の金融政策を概観するもの。同種の書籍はあまたあるが、本書は以下の2点で差別化を試みている。まず当時の金融政策に影響したファクターとして、各時代で人口に膾炙した「ナラテ...続きを読むィブ」にフォーカスしている点。ここでいう「ナラティブ」は当時の人々に共有された噂やビジョンを指しており、一般に訳として用いられる「物語」や「逸話」に比べより同時代性を強く意識した概念として使用されている。そしてもう一点は、一見金融・経済とは関連が薄い2名の有名人が狂言廻しとして登場することだ。 ただ、有り体に言ってしまえば、この二つの試みは必ずしも成功しているとは言えないと思う。前者に関してはまず「ナラティブ」の使われ方が多義的で一貫していない。例えば金融恐慌の発生と拡大を説明するパートでは、取り付け騒動という短絡的な行動に影響を与えた「噂」として使用されているが、金本位制度離脱(金禁輸)後の深刻な不況においては、デフレ政策を正当化する井上準之助の「プロバガンダ」を形容している。無論、前者は自然発生的、後者は意図的に拡散されたものであり、同一の語用に収斂させるのには無理があるだろう。確かに、「成金」「もはや戦後ではない」「所得倍増」「三種の神器」などのキャッチフレーズが一人歩きして語義以上のモメンタムを形成する、ということはありこの点に対する著者の指摘は当を得たものと思う。しかしそれだけでは単に時代のキーワードを列挙したにとどまり、そこで発生していた物語の生成というダイナミズムの描写からはまだ距離があるのではないか。 一番残念なのは、おそらくは著者が本書を執筆する契機となったであろう、住専処理をめぐる論争を説明するくだりだ。著者は、大蔵省(当時)銀行局長の寺村信行が住専への公的資金注入を逡巡した理由として、昭和金融恐慌時における国民の公的資金注入への反発を挙げたことに対し、歴史の教訓に答えを求めようとする態度は誠実であるものの、事実認識にバイアスがかかっていることを問題視している。しかし、本書で最も重要な提言であるこの部分に対する「ナラティブ」の関与度合いが明らかに弱いのだ。単に「過去の経験から誤った結論を導いてしまった」ということの指摘にとどまってしまい、わざわざ「ナラティブ」を持ち出した意図がぼやけてしまっていると思う。また、狂言廻しの役目を担う2人の有名人も、どうしてもこの人でなければという必然性がいまひとつ見えてこなかった。 しかし、以上の不首尾を差し引いても、本書は読まれるべき価値を十分に備えたものだ。純粋に金融政策のクロニクルとしてコンパクトにまとまっており、複雑な金融政策のロジックを整理するツールとして非常に優れている。特に、昭和金融恐慌時にテクノクラートとして実務にあたりデフレ政策の失敗を目の当たりにした岸信介•池田勇人の両氏が、戦後の拡大的財政政策を担うこととなる因果の指摘は鋭いと思う。また、巻末の参考文献の多さも特筆に値する。メジャーとは言い難い業界研究誌や社史にまで丹念に目を通す著者のエネルギーに敬意を表したい。
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