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日本独自の発展を遂げ、就職先として盤石の人気を誇る「C A」(ルビ:キャビン・アテンダント)。我々はそこにどんな期待を投影してきたのか。エアガール、エアホステス、スチュワーデス……呼称/役割ともに変遷してきた日本の客室乗務員の歴史を通観し、「接客マナー」と「自分磨き」の技法と思考が独特な「おもてなし」の源流となっていく過程を考察する。
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Posted by ブクログ
航空史の変遷がわかって勉強になった。中盤読むの辛くなったけど、なぜ自分が客室乗務員に憧れたのか、なぜ数ある業界業種の中でも異色な存在感があるのか少しだけわかった気がした。特に最後の章の最後の節の深みが凄くて何度も読み返したけど理解しきれてない。また読みたい
客室乗務員。昔々はスチュワーデスと呼ばれ、 今はキャビンアテンダント=CAです。 就職先ランキングでは常に上位にある職業で あるのはなぜか。「憧れ」か「良いイメージ」 でしょうか。 この本では客室乗務員という職業の歴史を追 うと共に、人々、特に女性が抱く客室乗務員 への世間のイメージと、実際に客...続きを読む室乗務員に なったことによる自身の人生との重ね合わせ た視点が興味深いです。 そこには今も昔も、どんな人にも多少なりと も抱く「自分探し」に繋がっていく過程が非 常に興味深い一冊です。
本書は、「おもてなし」に代表される日本型ホスピタリティーの源流を辿ることを目的とするために、日系航空会社の客室乗務員に対するイメージの変遷を事例とした社会学的アプローチの本である。したがって、本書の主題である『客室乗務員の誕生』はおそらく著者の主張の一部であり、本当の狙いはむしろ副題の『「おもてな...続きを読むし」化する日本社会』にあると言える。 本書の貢献は、こうした企画を岩波新書から出版できた点にあるだろう。これまでも、日本の航空史に関する概説書は存在したが、それらはどちらかといえば、交通関係のジャンルに組み込まれていた。岩波新書として出版するためには、そうした実学的分野が他の学術的分野と結びつく点に意義があるため、著者のフィールドである観光社会学の中に落とし込んだ点は評価できよう。 そういう意味合いも込めて、著者は冒頭で「日本の客室乗務員の歴史を分析の縦糸として、その時々の新聞や雑誌の記事、テレビ番組、広告などに描かれたメディア言説を分析の横糸として用いる」(vi頁)というスタンスをとったのだろう。しかし、それが裏目に出て、時折「横糸」がほつれてしまう箇所が目立ち、縦糸の存在が感じられないところが存在した。たとえば、3章3節の「ディスカバー・ジャパンと鉄道の旅」は、当時の人々が「ノスタルジアのメディアとしての鉄道に乗る」(116頁)ことを主張したかったのだが、そのために、10頁近くを費やす必要があっただろうか?それならば、「本書では十分に詳述できなかった」(202頁)日本エアシステムの企業文化の独自性について触れるべきであった。 こうした社会学を表に出そうとした「横糸の縦糸化」は、他にも、4章2節「『スチュワーデス物語』の世界」での『アテンションプリーズ』との比較や、4章4節「「自分磨き」と「自分探し」の時代」における奥谷禮子『日光スチュワーデス 魅力の礼儀作法』と沢木耕太郎『深夜特急』との対比場面など、随所で見られる。新書のテーマとしては、まず縦糸がピンと張られているのか、そのうえで横糸のシャトルがどのように綾を結ぶのかが重要であるゆえに、こうした「横糸のほつれ」はもう少し割愛できなかったか、その分もっと縦糸の強さを確認したかった。
客室乗務員の歴史本として面白かった。 その観点からいっても日本エアシステムの取り扱いがごくわずかなのは???
日本の客室乗務員に焦点を当てた社会史。『スチュワーデス物語』ブームの社会的背景やスチュワーデスからCAに改名した意外な理由など、興味深かった。
客室乗務員の誕生 ~「おもてなし」化する日本社会 著者:山口誠(獨協大教授) 発行:2020年2月20日 岩波新書 キャビン・アテンダントというのは、和製英語の一種らしい。英語では、Flight AttendantやCabin Crewだそうだ。日本では長らく、女性の客室乗務員をスチュワーデス、...続きを読む男性をパーサーと呼んでいたが、ANAが1988年にキャビン・アテンダント(CA)に、JALが1996年フライト・アテンダントに変更したが、現在、日本全体ではCAと呼ぶのが一般的らしい。 日本初の客室乗務員が飛んだのは、1931年の春。「エアガール」と呼ばれていた。10か月先行したアメリカでは「スチュワーデス」だった。しかし、エアガール募集の段階から読売新聞は「エロ・ガール」と報ずる。誤記でも揶揄でもなく、女性によるサービス、女給のイメージからそう表現したようだ。おそらく、今日ほど「エロ」に変な意味はなかったのだろう。 実際、会社が採用したのは、フェリスなど高等教育を受けたエリート女子3名で、初めての客は「いれずみ議員」「又さん大臣」と呼ばれた小泉又次郎。つまり、小泉純一郎元総理の祖父だった。しかし、あまりの安月給のため、搭乗1か月で3人とも辞職を決意。話しあったが、1人は翌月に、あとの2人も1年足らずで辞めた。 ・二代目エアガールは1936年に誕生。こちらは定期便ではなく東京~軽井沢のエアタクシー。こちらも3年余りで消滅。 ・三代目エアガールは、日本航空輸送という国策会社が1938年に募集。民間のエアガールの3倍から10倍の待遇だった。 ・1941年、日中戦争と外交の悪化で燃料や機材が枯渇したため、エアガールは廃止。 ・1951年、日本航空が新生エアガールを募集。条件の一つに「英会話可能」がついた。「英語、容姿、態度」が採用時の評価軸。 ・1953年の4期生から「身元確実」という条件が加えられた。この時、李香蘭こと山口淑子の実妹、山口誠子がいた。 ・新生エアガールでは、すぐにエアホステスと報道する新聞、さらにはスチュワーデスと表現する新聞があった。日本航空は1953年の募集広告からスチュワーデスと言った。 ・1961年、日本航空はスチュワーデスからホステスに呼称を改めると発表。アメリカ式のスチュワーデスに対抗するため。しかし、バーやキャバレーの女給のイメージが定着しているので不評となり、1966年にスチュワーデスに戻した。1973年設立のアメリカの客室乗務員組合は、性差別を助長するスチュワーデス、スチュワードの呼称を廃止して、フライト・アテンダントに統一することを連邦政府に働きかけて実現した。 ・第一次オイルショックで採用を辞めていた客室乗務員の募集を、ANAもJALも1976年から再開。応募条件も変更。JALは身長157センチ以上、体重48切り以上という条件がなくなり、「身長、体重のバランスがとれた健康な女性」となった。また、ジャンボを主力にしたことから、反復横跳び、ジャンプ力、上体起こしなどの検査も。体力が平均のC以上でないと、どんなに他の試験がよくても不採用に。 ・70年代半ば、客室乗務員は「英語はペラペラでも、敬語はさっぱり」な新人が増えるなど、新聞報道で厳しい視線が向けられた。 ・80年代半ばになると、スチュワーデス物語の放送も手伝って、客室乗務員のマナーが注目され、彼女たちが出張に行く研修が高額料金にもかかわらずひっぱりだこ。元客室乗務員も会社を作って成功した。また、「スチュワーデスmagazine」という専門雑誌も登場。「自分みがき」に客室乗務員的な世界が注目を集めた。 ・そんなブームが急速にしぼんでいったのはバブルの頃。誰でも海外旅行できるようになり、ハウスマヌカンやモデル、女子アナといった高収入が期待できる職場が続々と現れため。1980年代末には長らく君臨した人気職業ランキング1位から転落した。 ・1994年、「アルバイト・スチュワーデス」と呼ばれる時給で働く客室乗務員が誕生することに。しかも、将来、正社員になれる条件も示されなかったため、亀井運輸大臣が批判。正社員になれる条件だけはつけて採用を再開した。航空会社側は、「アルバイト」と報道されたことで誤解されたと判断。日本航空は1996年にスチュワーデスではなくフライト・アテンダントに呼称を変更したのには、そんな裏事情もあった。 この本、タイトルからすると、日本における客室乗務員誕生までの紆余曲折や、日本独自のおもてなし型客室乗務員サービスを語っている本に思えるが、実際の中身はかなり違う。客室乗務員誕生からごく最近までの客室乗務員の歴史を、社会情勢や経済情勢との関係性で見ていくという、歴史社会学書とでもいうべき内容。日本と外国との客室乗務員の接客やサービスに対する考え方の違いについては、著者の分析には納得できないものがあるが、全体においてはなかなかの良書だった。
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客室乗務員の誕生 「おもてなし」化する日本社会
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