デイヴィドソン 「言語」なんて存在するのだろうか

デイヴィドソン 「言語」なんて存在するのだろうか

ビジネス・実用
990円 (税込)

4pt

3.3

コミュニケーションの哲学へ向けて

言語はあらかじめ存在するものではなく、あるのは人間とわれわれが生み出す文章と音声だけである。そして、われわれがしなくてはならないのは特定の文に対して特定の意味を与えること。――デイヴィドソンの言語哲学を平易に捉えなおし、世界と他者の理解を言語により不断に繰り返す人間という存在/発話という行為を見つめ直す。

[内容]
第一章 言語哲学は意味をどう扱うか
第二章 真理と解釈の第一次性
第三章 コミュニケーションの哲学へ向けて
第四章 「言語」ではなく数多くの言語が存在する
デイヴィドソン小伝

詳しい情報を見る

閲覧環境

  • 【閲覧できる環境】
  • ・ブックライブ for Windows PC(アプリ)
  • ・ブックライブ for iOS(アプリ)
  • ・ブックライブ for Android(アプリ)
  • ・ブックライブ PLUS for Android(アプリ)
  • ・ブラウザビューア

※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。

デイヴィドソン 「言語」なんて存在するのだろうか のユーザーレビュー

\ レビュー投稿でポイントプレゼント / ※購入済みの作品が対象となります
レビューを書く

感情タグBEST3

    Posted by ブクログ

    [ 内容 ]
    コミュニケーションの原理を見通す。
    ことばによって他者を理解するとはどういうことか。
    解釈の賭を通じて生み出される合意。
    それを可能にするのは言語能力ではなく生きることへの熟練である。

    [ 目次 ]
    第1章 言語哲学は意味をどう扱うか(意味とは何か;「ふたり」のコミュニケーション)
    第2章 真理と解釈の第一次性(真理条件という考え方;寛容の原理)
    第3章 コミュニケーションの哲学へ向けて(解釈のプロセス;言語非存在論)
    第4章 「言語」ではなく数多くの言語が存在する(意図と規約;デリダとデイヴィドソン)

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

    0
    2010年07月17日

    Posted by ブクログ

    あとがきにある小文字の哲学者という表現で腑に落ちる。概念的な骨太さがなかったからだ。ブランショの小説が分かり、なぜ日常会話が語学「学習」で習得しづらいかが想像できたのが、収穫か。

    0
    2016年05月12日

    Posted by ブクログ

    デイヴィドソンの真理条件的意味論と、その帰結としての「コミュニケーションの哲学」という発想のエッセンスを分かりやすく解説するとともに、デリダとの共通点を探るという著者独自の視点が提示されている。

    哲学的意味論において有力な立場の一つは、言語表現の意味は、言語を使用できる限りにおいて私たちがそのつど実践的に理解しあっている何らかの能力に基づいているという考え方である。だがデイヴィドソンは、こうした能力の共有を前提せず、そのつど人びとの間でコミュニケーションが成立しているという事実から出発する。

    こうした立場に立ってデイヴィドソンがとった戦略が、真理条件的意味論である。「雪が白い」という話し手の発した発話を聞き手が解釈するとは、「「雪が白い」が真であるのは、雪が白いときでありかつそのときに限る」という真理条件を表わす文(T‐文)を与えることとされる。ただし、聞き手の作り出した真理条件の正しさを確かめるような視点は存在しない。むしろ、解釈とはT‐文を「見越す」ことによってはじめて成立するというのがデイヴィドソンの考えだった。

    本書では論文「碑銘をうまく乱すこと」での議論を紹介しながら、デイヴィドソンの真理条件的意味論がコミュニケーションの全体にまで拡張されていることを解説している。この頃のデイヴィドソンの思想は、70年代の論文「隠喩が意味するもの」に見られるような、「意味」を「文字通りの意味」に限定して理解し、隠喩の持つ意味をそこからの逸脱事例として理解する立場よりもいっそうラディカルな立場に到達していたのである。

    最後に著者は、「碑銘をうまく乱すこと」に見られるラディカルなコミュニケーションの哲学と、デリダの思想との共通点を見いだそうとする。デリダは「署名」の意味作用について考察をおこない、署名が機能するのは、そこに主体の意図が存在することによってではなく、意図を伝えるとみなされる「表現」がしかるべきモデルを「反復」しているからにほかならない、むしろこうした「反復」が可能なのは、それが現前的な意図=志向から切り離されることによってであると論じた。その上で彼は、こうした状況を「透明」な翻訳が不可能な「バベル的状況」として捉え、聞き手は話し手の言語についての「解釈」という「賭け」をおこなうことで他者の方へとみずからを投げ出してゆくすぐれて社会的な営みをおこなっていると考える。著者はここに、デイヴィドソンのコミュニケーションの哲学と共通の精神を見ようとしている。

    0
    2013年02月16日

デイヴィドソン 「言語」なんて存在するのだろうか の詳細情報

閲覧環境

  • 【閲覧できる環境】
  • ・ブックライブ for Windows PC(アプリ)
  • ・ブックライブ for iOS(アプリ)
  • ・ブックライブ for Android(アプリ)
  • ・ブックライブ PLUS for Android(アプリ)
  • ・ブラウザビューア

※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。

この本をチェックした人は、こんな本もチェックしています

無料で読める 学術・語学

学術・語学 ランキング

同じジャンルの本を探す