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  • デイヴィドソン 「言語」なんて存在するのだろうか
    3.3
    コミュニケーションの哲学へ向けて 言語はあらかじめ存在するものではなく、あるのは人間とわれわれが生み出す文章と音声だけである。そして、われわれがしなくてはならないのは特定の文に対して特定の意味を与えること。――デイヴィドソンの言語哲学を平易に捉えなおし、世界と他者の理解を言語により不断に繰り返す人間という存在/発話という行為を見つめ直す。 [内容] 第一章 言語哲学は意味をどう扱うか 第二章 真理と解釈の第一次性 第三章 コミュニケーションの哲学へ向けて 第四章 「言語」ではなく数多くの言語が存在する デイヴィドソン小伝

ユーザーレビュー

  • デイヴィドソン 「言語」なんて存在するのだろうか

    Posted by ブクログ

    [ 内容 ]
    コミュニケーションの原理を見通す。
    ことばによって他者を理解するとはどういうことか。
    解釈の賭を通じて生み出される合意。
    それを可能にするのは言語能力ではなく生きることへの熟練である。

    [ 目次 ]
    第1章 言語哲学は意味をどう扱うか(意味とは何か;「ふたり」のコミュニケーション)
    第2章 真理と解釈の第一次性(真理条件という考え方;寛容の原理)
    第3章 コミュニケーションの哲学へ向けて(解釈のプロセス;言語非存在論)
    第4章 「言語」ではなく数多くの言語が存在する(意図と規約;デリダとデイヴィドソン)

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度

    0
    2010年07月17日
  • デイヴィドソン 「言語」なんて存在するのだろうか

    Posted by ブクログ

    あとがきにある小文字の哲学者という表現で腑に落ちる。概念的な骨太さがなかったからだ。ブランショの小説が分かり、なぜ日常会話が語学「学習」で習得しづらいかが想像できたのが、収穫か。

    0
    2016年05月12日
  • デイヴィドソン 「言語」なんて存在するのだろうか

    Posted by ブクログ

    デイヴィドソンの真理条件的意味論と、その帰結としての「コミュニケーションの哲学」という発想のエッセンスを分かりやすく解説するとともに、デリダとの共通点を探るという著者独自の視点が提示されている。

    哲学的意味論において有力な立場の一つは、言語表現の意味は、言語を使用できる限りにおいて私たちがそのつど実践的に理解しあっている何らかの能力に基づいているという考え方である。だがデイヴィドソンは、こうした能力の共有を前提せず、そのつど人びとの間でコミュニケーションが成立しているという事実から出発する。

    こうした立場に立ってデイヴィドソンがとった戦略が、真理条件的意味論である。「雪が白い」という話し手

    0
    2013年02月16日

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