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「俺が人生で輝いていたのは10歳だった」。41連戦すべて一本勝ち! サンボの生ける伝説・ビクトル古賀はいう。個人史と昭和史、そしてコサックの時代史が重なる最後の男が命がけで運んだ、満州の失われた物語。
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Posted by ブクログ
彼が大陸を独りで渡る姿が脳裏に浮かぶ、そのときの話がとても爽やか。歴史に詳しいともっと楽しめたと思った
日本人である福岡県柳川の旧家柳川藩立花家の名門一家の父と、ロシア帝国最後の皇帝ニコライ二世直属のコサック近衛騎兵を務めたロシア人を父に持つ母、サムライとコサックの混血、白系ロシア系日本人のビクトル古賀のノンフィクション。 41戦全て一本勝ちのサンボの生ける伝説のビクトル古賀の満州からの日本まで...続きを読むの引き揚げを綴る。 満州関係の文献になるとどうしても、陰鬱にならざるを得ない。が、この一冊には爽やかさすら漂う。 もちろん、想像を絶する凄惨な有様を垣間見るが、10歳の少年が戦地を独り生き抜くその奇跡は手に汗握る。 また、一冊を通して、満州の成り立ちから衰退、ロシア、中国、日本の動きも非常に分かりやすい。各国の軍隊の編成、呼び名、同じ河にしても、満州側からの呼び名、ロシア側からの呼び名なども実に飲み込みやすくまとめられている。ロシア人、中国人、日本人、 その中でも革命派、反革命派、保守派、改革派、キリスト教、仏教、小難しくなりそうな題目も、そこに暮らす民の行動が描かれることで、物凄くよく分かる。 ロシア、中国、モンゴル、朝鮮、日本とその周囲を囲まれた満州。1932年に建国し、たったの13年5ヶ月で消滅した満州帝国。 立地的環境ではスイスと同じだが、何故スイスは現在まで存続し、満州は滅びたのか... 知りたい欲を掻き立てられる。 兎にも角にも星5の一冊でした。
異色の視点から書かれ面白い。ロシア、満州、コサックなど、今迄馴染みの薄いことに大変興味をそそられた。
世界大会、ロシア選手権などで優勝し、41戦連続1本勝ちのサンビスト、ビクトル古賀。最後の勝利は1975年40才で監督として遠征した日ソ対抗サンボ国際試合に現役選手の変わりに急遽出場を決めたときのことだ。現役を引退して1年あまり、体重制限のため3日間絶食し相手は世界大会で優勝経験のある強豪選手、それで...続きを読むも開始わずか30秒で跳腰を決め見事な1本勝ち。自由主義国の人間として初めて「ソ連邦功労スポーツマスター」を送られ1977年にはソ連国内でも160人ほどしか受賞者のいない「ソ連邦スポーツ英雄功労賞」も受賞。「サンボの神様」「伝説のサンビスト」と呼ばれた。しかし、そのビクトルは「だけどね、俺が人生で輝いていたのは、10歳、11歳くらいまでだったんだよ。それに比べたらあとの人生なんてとりたてて言うほどのことってないんだよ。」と酔いが回るとそう言って少年の顔で笑う。 10歳の少年がソ連国境近くのハイラルで家族と行き別れ、先ずはハルピンへ、そして満州鉄道沿いに約1000kmをいく爽快な冒険譚だ。もちろん終戦直後のロシアの満州侵攻後でロシアとハーフのビクトル少年は日本人引き揚げ隊から追い出されるなどひどい目に遭っているし、先々で人々が襲われ、殺される所も目撃している。のどかな話ではない。それでも暗さはみじんもない。ようやく日本の親戚の家にたどり着き満州のことを思い出すがその感想は「愉しかったな。」だ。 グーグルマップの徒歩ルートによるとハイラルからハルピンまでは800km(6日と19時間、ただしこの間はは馬と列車で移動)ハルピンから錦州まで763km(6日と10時間)。途中汽車に乗ってはいるが下ろされた所からの鉄道距離でも652km。ハルピンで約1年暮らしたあと、1946年の8月の終わりにハルピンから列車に乗り、新京(長春)までの中間を少し超えた松花江を超える所で荷物を奪われ置き去りにされた。ハルピンでの不良仲間にも見捨てられる。奉天(瀋陽)までたどり着き、やっと列車に乗れたと思ったのもつかの間錦州までの半分を超え遼河を超えたあたりでまた降ろされ見捨てられる。列車に乗ったのはざっと250kmほどで少なくとも500kmはほぼ一人で歩いている。錦州についたのは恐らく10月末から11月頭。2ヶ月以上も毎日歩き続けた。錦州では大人達がここまで来るのに3週間以上かかった、ずいぶん歩かされたなどとグチを言うのを聞きながら何とも言えない気持ちになり後でそれが弱い日本人の大人達への優越感だと気がついた。「日本人ってとても弱い民族ですよ。打たれ弱い、自由に弱い、独りに弱い。誰かが助けてくれるのを待っていて、そのあげくに気落ちしてパニックになる。」 ビクトル少年はどうやってここまで逞しくなったのか。ビクトルの祖父フョードルは帝政ロシアの近衛騎兵でコサック騎士団の一員だった。日露戦争では当時世界最強と言われた騎士団を秋山好古の騎兵第一旅団が破ったのは有名な話だがフョードルは日本軍の捕虜となるが丁重な扱いに感激しすっかり日本びいきになった。ソヴィエト革命政権後弾圧を怖れたコサックは満州へと逃亡し、大興安嶺の西の三河という一帯に最後のコサック村をつくりすみついた。フョードルとともにビクトルの母クセーニアも3歳の時にここに移り住むことになる。 ビクトルの父古賀仁吉は柳川藩主立花家の流れをくむ武士の家系で兄の石橋袋城が冒険家大谷光瑞の弟子だったことから西本願寺の末寺を建てるためハイラルに渡った。仁吉は兄に呼び寄せられ軍服用に毛皮を調達する会社を作りそこで優秀な猟師のコサック村に出入りしクセーニアと出会った。フョードルもサムライと親戚になれると喜んだが長男の正一=ビクトルだけはコサックとして育てさせた。コサックは若者が子供達に馬の乗り方を始め、ナイフの使い方、森での食べ物や飲める水の見つけ方、草原での方向感覚など生きる知恵を教える。手製のパチンコでクルミの実を落とすのも得意だ。意外と後で重要だったのが三角巾の様な布を靴下代わりに使う方法だろう。このおかげでビクトルはマメを作らずに歩き通した。薬がなければマメとは言え感染症になると命取りだ。かたい武家の作法になじまないビクトルだがコサックの知恵で生き延びたと言える。しかし、コサックとして育てられてなければそもそも独りではぐれたりはしていないかも知れないのだが。 ビクトルの知恵は自然の中のものだけではない。人間が怖いことを知っているので線路そばは歩かず、線路が見えるぎりぎりを歩く。街を見つけると煙突から出る煙を見てロシア人の家を見つけ助けを求める。そして家に入れてもらうと最初にイコンに向かって十字を切る。これ一発で信頼されるのだ。死体を見つけるとせめてとうつむけにしてやるところは母親ゆずりのようだ。ハイラルに残された母親は殺され棄てられた日本兵を独りで埋葬していた。母親に会えるのは7年後の日本で連絡がついたのもビクトルが日本に帰ってからのことだった。 あとがきでビクトルはありがとうを繰り返す。引き上げ時が夏でよかった。独りで出会った兵隊はどこの軍も普段はいい人だった。「辛かったこと、悲しかったこともありましたが、そんななかでも「今日もアリガトウ」と感じていたことは今でも鮮明に覚えています。少し前に骨折して満足に字が書けないビクトルの最後の言葉は。 「そして、まだ生きています。感謝を込めて。」「ここまで書いて手首イタイ・・・」年をとっても子供の様なじいちゃんなのだ。
戦後の混乱期に、満州から日本への約1000kmの道のりを、たった一人で旅した少年の実話である。 士族の血を引く父親と、コサック騎兵隊の子孫である母親を持つハーフの少年が、10歳のときに満州で終戦を向かえるところから物語は始まる。 満州からの引き揚げについては、恥ずかしながら本作を読むまで詳しい事...続きを読むは知らなかった。侵攻してきたソ連兵の略奪や、日本人に恨みを持つ中国人民の襲撃により、途中で命を落とした日本人は少なくないらしい。少年も実際にそんな場面を数多く目撃している。 ソ連軍侵攻時の混乱により、不幸にも母親と離れ離れとなった少年。しかし少年は幼い頃からコサックの厳しい訓練を受けており、持ち前の精神力を発揮して、ついに一人で日本への引き揚げを果たしてしまう。 しかも、日本に帰国したところで物語は終わらない。 少年はやがて大人になり格闘技で世界的に活躍する事となる、ビクトル古賀という名前で。ソ連の国技であるサンボで公式戦41連勝、しかもオール一本勝ちという不滅の記録を打ちたて、当時西側諸国民としては異例の、ソ連邦功労スポーツマスターを受賞してしまうのだ。 ここ数年、ノンフィクション作品を年間数十冊のペースで読んでいるが、年に1~2冊は心が揺さぶられるような良書に出会う事がある。本書はまさにそんな作品であった。
こんな10歳いるのか…。 自分の10歳なんて 親あり祖父母ありで 自分では何もできないくせに 見栄だけ貼ってわがままだった。 それぞれの国の人柄や 時代の雰囲気も勉強になる。 それに対してこのビクトルの野生力・生命力。 そして何よりめげないメンタル。 これはかっこいい。
ビクトル古賀氏は、子供の頃に護身術の本を買って以来のファンである。あの、人の良さそうな写真のおじさんに、こんな強烈な過去があったとは、考えもしなかった。 今の我々には、想像もまねも出来ない。 文体が、淡々とし過ぎてて、そこがどうかね。
地図と拳の参考文献から読んでみた コサックだから強いのか、10歳で歩き通せたからその後格闘技強かったのか、、昔の人はすごいなぁのレベルじゃなかった ちょっと背景説明長めだったので星マイナス
サンボの元チャンピオンであるビクトル古賀の少年時の話。機転をきかせた判断、自然を読む能力などにはびっくり!戦後の悲惨な描写もあるが、彼の人間味が描かれてて、後味のいい作品でした。
満州からの引き揚げの物語と言えば、藤原ていさんの「流れる星は生きている」が強烈な印象があるが、これは全然違うパターンの引き揚げの話。 満州でコサック出身の母と日本人商人とのハーフとして生まれ、草原で馬を乗り回し、コサックとしての誇りを抱いていた少年が、たった一人で徒歩で引き揚げてきた話。その後、「ビ...続きを読むクトル古賀」として格闘技で有名になった主人公に取材して、その生い立ちや生々しい終戦前後の満州の様子、引き揚げのときの様子を描いたルポルタージュの大作です。 一応、正規の方法で引き揚げ隊に入り、父親の知り合いと行動をするつもりだったが、引き揚げ列車は出発した瞬間から殺伐とした感じになり、大人たちは誰も一人ぼっちの子どもに手を差し伸べようとはせず、皆自分が生きて帰ることだけで精いっぱい。(それは、藤原ていさんの「流れる星は~」でもしっかりと描かれていた)。コサックとしての訓練を受け、どんな状況でも自分で生きる力が備わっていたビクトルが、余裕の表情で鼻歌を歌っているのが気に食わなかったらしく、「お前ロシア人だろ!」と大人から蹴り飛ばされ、列車から降ろされる。 しかし本人はまったく恨んだりはせず、「あのまま日本人の大人たちと行動していたら死んでいたかもしれない」と振り返る。 弱りはてた引き揚げ隊一行は実際、盗賊たちの格好の餌食になっているし、線路わきには行き倒れになった人達の死体がごろごろと転がっていた。ビクトルは必要になったら死体から靴やベルトなどをはぎ取り、中国語やロシア語を駆使して通りかかった町のロシア人に助けてもらったりしながら、本当に、徒歩で!引き揚げてきたのだ。 ご本人は、昨年(2018年)11月に83歳で亡くなった。格闘家として有名だったようだが、その少年時代やコサックというものに注目が集まることはなかった。彼の物語を掘り起こしたことで、最後のコサックの人々にも光をあて、教科書ではなかなかわからない、終戦前後の満州やシベリアの実態も人々の暮らし目線でわかる物語になっていてとても興味深かった。
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たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く
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石村博子
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