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堤清二(辻井喬)という特異な経営者を持ち、バブル期に日本企業としては異例の規模で広告や文化事業に資金を投入したセゾングループ。堤清二会長以下、紀国憲一文化事業部長、「無印良品」の誕生に携わった小池一子など、当時の関係者へのインタビューを基に「セゾン文化」が与えた影響を改めて問い直す。
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Posted by ブクログ
渋谷駅で「おいしい生活」のポスターを見た衝撃以来、なんとなくくらしとはビイシキをもっていると気分の良い、素敵なものになるのかも、という直感・イメージを持って早や30年近く。 その直感・イメージの中核でもあるはずの「セゾン文化」とは何か、興味をもって読んだ。 当事者の語る言葉の面白さ、臨場感があ...続きを読むる。その頃感じたかっこよさのにおいも感じる。やはりその結末には答えはなかった。けれども十分。文化なんて語りつくせない。それを感じたにおい、感じる要素がなんであったか、が大事なんですもの。
自分は、バブルの記憶もなく、セゾン美術館閉館の年(1999)に上京した人間なので、直接その時代を知らない。しかし、東京で暮らすうち、セゾン文化を出自とする先人の多さに驚き、本書を読んでみた。 登場するアーティスト・文化人の顔ぶれに、まず、圧倒される。堤清二個人をなしに、セゾン文化は生まれなかったが、...続きを読むセゾン文化自体は様々な思惑を持ったそれぞれが勝手に形成していた、という理解で良いだろうか? また、企業が営利以外で社会に働きかける事の是非についても考えさせられる。企業が文化活動をする事が、いかに困難を伴うか……。「直接お金を生まないものに対する感情──嫉妬と羨望と軽蔑と憎悪」があった事を指摘する記述が印象に残った。
“80年代はスカだった”という言説を聞いたことがありますが、成熟消費社会において、モノからコトへの意識変革がなされたのは、やはりこの時期だったのだと思います。その中でセゾンはその時代のトリックスターの役を果たしたのだと感じました。文化は産業化しうるのか?芸術は経営と対立するものなのか?その問い掛けが...続きを読む繰り返されるのですが、一方でアップルのスティーブ・ジョブスの死のニュースが飛び込んで来た時、「文化産業」という存在は違った形態で実現されてしまっているんだな、とシミジミしてしまいました。
80年代後半からセゾン文化の崩壊は始まっていたとはいうものの、90年代前半学生だった自分は六本木WAVEでバイトをし、シネヴィヴィアンで映画を観、足繁くリブロに通うことでこれまでに経験したことのない何かを確実に吸収した。その時はまったく意識していなかったが、そういう意味で自分もセゾン文化の影響を受け...続きを読むた一人だ。 HMV渋谷の閉店、ミニシアターの相次ぐ閉館、電子書籍の登場による出版・書店への影響が叫ばれる一方で新たな個性を持つ書店が現れていることなど最近の出来事は大きな環境変化下のこととはいえ、何かセゾン文化の終焉の延長および再生のような気がしてならない。(とは大袈裟かもしれないけど、HMV渋谷閉店のニュースを聞いた時は六本木WAVE閉店のデジャヴのような気がした。) しかし堤清二という人は興味深い。経営者にして小説家・詩人、元共産党員。ロシアとの交流のくだりは抜群に面白い。もうあのスケールで文化の情報発信を企業として取り組める経営者は出てこない気がするし、今の時代に同じこと・やり方は必要ないかもしれない。でもこの時代に適した形でセゾン文化的なものの再生が可能ならばもう一度ワクワクしたい。セゾン文化的なものなんてどこにも確かなものなんてないのだけど。
紀国氏の章と辻井喬の章が面白い。◆増田通二(パルコ社長)が亡くなって、紀国、辻井、増田をベースに企画していたことが出来なくなったとあった。◆◆文化事業部という相反する機能について。◆やりたい、やる、やれるの間に隔たりがあること。◆サロン的な場所、それがセゾン美術館・アールヴィバン。◆◆文化に淫するな...続きを読む。
セゾン劇場のジーンズシート、シネヴィヴァン六本木で観た映画、無印良品、NADiff…大学生になった頃にはバブルはとっくに崩壊していたけれど、それでも知らず知らずのうちにセゾン文化の恩恵(?!)を受けてきたんだと知る。 無印良品の章、堤清二/辻井喬氏へのインタビューの章が特に興味深かった。
西武文化とは無縁です。僕の地域には西友があります。西武優勝バーゲンぐらいです。それは、鉄道であり、セゾンではありません。ラジオで紹介されていたので、購入しました。面白かったです。ただし、大満足というわけではありません。焦点を絞るべきではなかったのか。例えば、展覧会に関する部分です。フリーの評論家がコ...続きを読むミットできた唯一の美術館だった。公立の場合、学芸員が独占します。西武の場合、素人でした。そのため、外部の評論家に頼らざるえませんでした。これ自体はいいのです。問題はここからなのです。一つの展覧会に絞ってかけなかったのでしょうか。そうすれば、予算も伝説であることがわかります。入場者数もわかります。堤清二さんのインタビューは長すぎるかな。そんなところです。
今は失われてしまったけれど、たしかにそこに存在していた何か。 そういうものに心惹かれて手に取った一冊。 当時のセゾン文化を知るには私は幼かったけれど それでも、母に連れられて池袋西武をぐるぐると廻った 記憶はあったなぁと振り返る。
辻井喬が消費社会に対する卓越した先見性を持っていたことは本書を読めばはっきりとするのだが、わからないのは「セゾン文化」とまで称されるにいたったイメージ戦略を構築しながら、なぜセゾングループが他の百貨店に先駆けていち早く転落していったのか、だ。無印良品という遺伝子を残したことでよしとするのか。
セゾン美術館付属の書店で働いていた永江朗が書いた自分とセゾンの歴史。バブルの象徴ともみなされ、ニューアカブームなどもあり80年代を席巻した西武の文化事業を内部で働いている人間の視点から、関係者の証言を得て書いている。非常に多くの人間が登場するが、趣旨としては堤清二、パルコの創設者・、西武ニューアート...続きを読むの創設者・の三角関係で西武文化事業が生まれたとの見解。最後は堤清二との対談となる構成。確かに清二の古い価値体系を壊し、新しい価値体系を作りだそうとする意欲、権力への反感、卓越した世界観はコメントからも十分に伺いしれる。清二の元に集まったさまざまな人間がいろいろなものを生み出した。それがセゾン文化ではないかというのが永江の見解のようだ。
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永江朗
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