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卓越した翻訳者である藤本さんは、耳をすますことの達人でもある。
何度この本を開いて、そして撃ち抜かれたことだろう。
黒人の女たちの、生きのびるための英知の言葉に。
そしてそれを引き出し聞き取る、すばらしい耳の仕事に。
――岸本佐知子(翻訳家)
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黒人女性たちの「たたかい」を描く名著がついに文庫化!
名翻訳者による白眉の聞き書き。
朝日新聞、読売新聞、東京新聞、NHKジャーナルなどで紹介の話題作。
1980年代、アメリカに暮らす著者は、黒人女性の聞き書きをしていた。
出かけて行って話を聞くのは、刑務所の臨床心理医やテレビ局オーナーなどの働く女たち、
街に開かれた刑務所の女たち、アトランタで暮らす104歳の女性…。
彼女たちは、黒人や女性に対する差別、困難に遭いながら、
仕事をし、考え、話し合い、笑い、生き延びてきた。
著者はその話に耳を澄まし、彼女たちの思いを書きとめた。白眉の聞き書きに1篇を増補。
解説 斎藤真理子
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Posted by ブクログ
細馬宏通さんのポッドキャストで触れられていたことをきっかけに読みました
印象的なのはその訳のありさま。女性たちのたたかいや人生の険しさが淡々とではなく生き生きと描写する日本語を、彼女らの喋る英語に当てはめている感じがする。
特に「〜でしょうが?」という言い方が何度も出てくるけど、多分原文は「isn't it?」とか「don't you?」などの所謂「付加疑問文」という、共感を求める時に使う表現で、たいていは「そうだよね?」というように訳される。「〜でしょうが?」は「そうだよね」に比べて、より話し手の意識が『語りの中にある』感が強い。だからそのように訳すことで、話し手の発話時の表現を切り落とすことなく、我々の意識を語られる物語に集中させることができる。
訳すという行為は、「言葉の本質を変えることなく、その矢印の向きを調整すること」なのかもしれない
集団に属する誰かが、その集団らしさを失って他集団に同化してしまうことは、「生きる」ことにとって大きな問題になるのだ、ということを現代日本に生きる我々は忘れちゃいけない
つくづくアメリカってのは、金さえあればなんでも出来る国だなあ こんなに大きい先進国でこんななの珍しい
他人を自分の思考の種にすぎないものとして扱うんじゃなく、その人の生き方、考え方に貫かれるように他人に接すること、を目指さないといけない 具体的にどうするのか、わからないけど…
Posted by ブクログ
1980年代前半、アメリカ。著者はウィスコンシン州懲治局の臨床心理医ジュリエットをたずね、彼女が参加する「女性グループ」の会と、仕事で担当する「女たちの家」の受刑者たちの話を聞いた。80年代アメリカの黒人女性たちを取り囲むさまざまな困難を語りながら、それでも語ること、言葉にすることの喜びや力に満ちた〈はじまってもいないたたかい〉の記録。
「普遍性のなかにやすらぎを見出すよりも、他者の固有性と異質性のなかに、わたしたちを撃ち、刺しつらぬくものを見ること。そこから力をくみとることだ、わたしたち自身を名づけ、探しだすというのなら」。本書は黒人女性たちの連帯を語ると同時に、〈黒人女性〉をひとかたまりとする見方をときほぐし、ひとりひとりの言葉に真摯に耳を傾ける。じっさい、ネイティブ・アメリカンの血をひいていたり、親から「白人として生きろ」と言われるほど肌の白い〈黒人女性〉がいる。〈黒さ〉にもさまざまなグラデーションがあるのだ。
第一章では、まず大学を卒業した人たちからなる「女性グループ」がそれぞれの生い立ちを語りはじめる。ここで静かな衝撃だったのは、ジュリエットが語る母の兄と自分への差別教育の違いだ。女のジュリエットは白人に対抗し、進学することを推奨されたが、男である兄は目立たぬことが第一だと教えられていたという。それは母がアメリカのヒエラルキートップである〈白人男性〉から目障りな存在とみなされた〈黒人男性〉の苦難を知っていたからだろうとジュリエットは推察する。創作物にはインテリで優等生の黒人少女と不良の黒人少年の組み合わせがよくでてくるけど、その背景が少し掴めた気がした。
第二章ではジュリエットの職場である〈女たちの家〉へ赴き、そこにいる女性受刑者二人からの聞き書きを収める。〈女たちの家〉は受刑者の社会復帰のために町中に作られた施設で、刑期を務めながらそこから学校や仕事に通えるという試みがまず興味深かった。
麻薬の密輸をしていたブレンダと殺人で捕まったウィルマは、どちらも刑務所に入ってから"自分の言葉を獲得する"ために努力し、その重要性を強く訴える。"以前から今と同じような話し方をしていたか"と問われたブレンダの答えは深く胸を打つ。彼女たちが言語化に見いだす希望を藤本さんはこうまとめる。「なぜなら、『女たちの家』の住人はことばを探している女たちであったから。(略) 自らの生に意味をあたえ、生の輪郭を見せてくれる魔術はないか。混沌や茫洋にかたちをあたえることができるもののひとつがことばであるなら、それは魔術のようなものだ」。語りの力を鋭敏に感じとり、強く信じた人の文章だと思う。藤本さんが彼女たちの言葉を訳すやり方には、上記のような〈魔法〉にも等しいきらめきがあり、個人に対する敬意が溢れている。
エピローグは公民権運動に参加したことのある104歳のアニーへのインタビュー。アニーは政治活動そのものについては多くを語らないが、あからさまな差別が少しずつ減ってきたことについて「愛が勝利するのです。そうでなければおかしい。白人の隣人におはようと挨拶できなければ…」と語る。
斎藤真理子さんが素晴らしい解説で日本と在日コリアンの人びとの関係性に敷衍して考えることを提案されているように、差別との闘いにおける最終目標は、ある人種が別の人種に勝つことではなく、愛の勝利。手にしたいのは隣人に気兼ねなく挨拶できる喜び。〈たたかい〉はいつでもそのためにあるのだ。 自分自身の言葉をたずさえ、隣人を愛するために。
Posted by ブクログ
これはもうタイトルにやられた。かなり前(1980)に出た作品みたいなのだが最近になって文庫化されたようで店頭でタイトル見たら読んでみたくなった。翻訳を生業とし当時アメリカで暮らしていた作者が何人かの黒人女性にインタビューを行ったもの。黒人であり女性であるということは二重に抑圧された存在である、という切り口で刑務所の心理学者、ケーブルテレビ局のオーナー、ソーシャルワーカー、囚人、街で暮らす百歳を超えた老婆、などに対する聞き書き。どういう生い立ちでどういう酷い目にあってそれをどう跳ね返したのか、または、跳ね返せなかったのか、が綴られている。特定の人種と性別にのみ焦点を当てた作品で今なら逆に世に出せないのでは、とも思った。自分たちが少し前までは奴隷であったために劣った存在と思っていたのだがジェームス・ブラウンに代表されるムーブメントでいかに勇気をもらったか、など非常に興味深く読んだ。タイトルにもなっているフレーズは心理学者が昔たまたま耳にして忘れられない言葉ということで少し長いけども引用する。果たしてこんな逞しさが自分にはあるだろうか。非常に興味深い作品。おすすめです。
「ブルースなんてただの唄。かわいそうなあたし、みじめなあたし。いつでも、そう歌っていたら、気がすむ? こんな目にあわされたあたし、おいてきぼりのあたし。ちがう。わたしたちはわたしたち自身のもので、ちがう唄だってうたえる。ちがう唄うたってよみがえる。」
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