ただ、バルフォア宣言の最終文言自体はロイドジョージ首相、バルフォア外相、アルフレッド・ミルナー無任所相の戦時内閣の強力なトリオのイニシアティブによって一九一七年一〇月に閣議決定されることになりました。もっとも強く主張したのはロイドジョージ首相だったと最近の研究は明らかにしています。というのも、ロイドジョージ首相はユダヤ人こそが歴史の歯車を回すのだという反ユダヤ主義的な誤った見方に基づいて行動していたからです。ロイドジョージ首相の誤ったユダヤ人観は、フランス嫌いという感情とともに、イギリスの支配層に共有されており、幅広い支持者を見出すことができました。イスラエルの歴史家トム・セゲヴはイギリス人の愛憎相半ばするユダヤ人に対する感情を次のように指摘しています。すなわち、「英国人がトルコ人を破ってパレスチナに入った。英国人はフランス人をパレスチナから引き離すためにパレスチナに留まった。それからシオニストにパレスチナを与えた。なぜなら、英国人は『ユダヤ人』を賞賛し同時に軽蔑しつつ、嫌っているにもかかわらず愛していたからだ。……バルフォア宣言は軍事的あるいは外交的利益の産物ではなく、偏見、心情、そして手練手管の産物だった。宣言を産ませた父親はキリスト教徒であり、シオニストであって、多くの場合、反ユダヤ主義者だった。そんな人びとはユダヤ人が世界を支配していると信じていた」とセゲヴは述べています(Tom Segev, One Palestine, Complete: Jews and Arabs under the British Mandate, New York: Picador, 2001, p.33)。