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福徳秀介のデビュー小説にしてベストセラー。
大学2年生の「僕」は、入学前に憧れていた大学生活とはほど遠い、冴えない毎日を送っていた。日傘をさしていつも人目を避け、青春を謳歌している学生グループを妬ましく思う、そんな日々。友人は一人。銭湯掃除のバイトと孤独な大学生活だけの毎日。
そんなある日、大教室で学生の輪を嫌うように席を立つ凜とした女子学生に出会う。その姿が心に焼き付いた「僕」は次第に深く強く彼女に惹かれていく。やっとの思いで近づき、初デートにも成功し、これからの楽しい日々を思い描いていたのだが・・・・・・。
ピュアで繊細な「僕」が初めて深く愛した彼女への想いは実るのか。そして、僕の人生の、その先は---。
著者自身の私小説を思わせるピュアな恋愛小説ながら、「生きる」ことそのものについても考えさせられる、心に刺さるホロ苦恋愛小説です。
文庫化にあたり、巻末には、映画出演の萩原利久さん、河合優実さんの特別対談を掲載。こちらも、見逃せません。
※この作品は過去に単行本として配信されていた『今日の空が一番好き、とまだ言えない』の文庫版となります。
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Posted by ブクログ
心に残った言葉を書き留めます。
人と変わってる方が、簡単に生きられる。だってみんなと合わせて生きていたらちっちゃな違いが目に付いてしまうから。
恥ずかしい時は自分を他人だと思えばいい。
ありがとうとどういたしましてはセットの言葉。
嫌いな人が困ってたら助けてあげること。それから、私に助けられて、ざまあみろと思えばいい。
朝を楽しめる女は1日を楽しめる。
人を嫌いになる時は理由があるけど好きになる時は理由なんてない。助走ないと好きなんて伝えれない。
他人に自分を思い出してもらう時、笑顔で思い出してもらえるように。
笑って頬が痛くなるのはうそ笑いの証拠。本気で笑ってたらどこも痛くならない。
くだらないことは下らないこと。つまり上がり続けるということ。くだらないことはたくさんしたほうがいい。
毎日を一生懸命生きる。明日死ぬかもしれないから。でも多分明日も生きてるから今日は休んでも大丈夫。
Posted by ブクログ
映画を先に見ました。ちょっとピンとこなくて原作で補完しようと思いまして。
原作を読んで良かった。
映画よりも情報量が圧倒的に多いので、物語に厚みがあるように感じます。
読み手の年齢によって、受け取るものは全然違いそうだなぁ。でも、それぞれ受け取れるものがあると思いますので、年齢に関係なく読むといいね。
大学生達の恋愛。
チャートで表すと面白いような恋愛。
矢印の向きや太さで表すとせつないね。
さっちゃんの矢印は永遠にあのままかと思うと
本当にせつない。
その矢印の外にいるさっちゃんのお父さんは、
なかなかのの存在感。手紙にはやられた。
同様に、
主人公はもちろん小西君ですが、影の主役は小西君のおばあちゃんじゃなかろうか?
そう思ってしまうくらい金言連発で、存在感あります。(映画ではおばあちゃんはこんなにアドバイスしてくれない)
原作者福徳秀介は、おばあちゃん子だったのかな
そして、喫茶〝ため息〟のマスターがこれまたいい存在感。いいエピソードを持ってるんだな。
Posted by ブクログ
映画がすごく良くて、監督が原作をどのように調理したのか確認したいという特殊な動機で読んでみた。映画は原作にかなり忠実に作られていて、劇中主演3人の印象的な長台詞があるのだが、これは多少省略はあるがほぼ原作の一字一句そのままだった。やはりコント芸人である著者ならではの台詞の言葉の選び方、順番、テンポなど、魅力を最大限に伝えるならこの原作どおりで映画の台本もいくという判断の正しさを感じる(逆に通常の小説で書かれている台詞は、一見ナチュラルに思えても実際に口に出してしゃべると不自然なもので、そのまま台本には使用できないものなのかも知れない)。映画にくらべると原作は、より主人公の小西徹の物語と言う感じで、主人公が好きになる彼女との関係、バイト仲間との関係、親友との関係だけでなく、回想による祖母との関係の描写のウェイトが大きくなっている。この小説はボーイ・ミーツ・ガールなのだが、原作で描かれる彼女はあくまで主人公が遠くから憧れるような対象としてあまり彼女自身の内面が発露されることがないが、映画ではもう少し彼女側の内面も描かれていて、この2人の男女はより対等に近く描かれていた。それは映画で彼女を演じた俳優(河合優実さん)をより多く見せたい、つまり小西役の俳優(萩原利久さん)とのダブル主演であるという構造になっているからかも知れない。そのため映画では、2人の関係性を示唆する「セレンディピティ」という重要なキーワードが彼女の方から提示されるのだが、これが原作にはないというのが衝撃だった。つまり主役の男女を対等な位置に押し上げるため、小西がどう思っているかだけの原作から、映画では彼女は小西をどう思っているかを描くために、原作にないワードをオリジナルで出してきたのだが、これが不自然でなく上手くはまったのが映画化成功の大きな鍵だったのだと思う。全体的に変えないために大胆に変えるところは変えるということが大事なのかもと思った。この小説では小西の主観が基本なので、小西の思い違いによるミスリードは簡単にできるのだが、映画では彼女側からの視点も描いてしまい、より客観的な視点になっていることで原作よりもこのミスリードが困難になってくるのだが、映画はここを「映像的な詐術」で成し遂げてしまっていてなるほど~と感心してしまった(客観性が原作より高い分よりミスリードが強くなっている)。小説の映画化は数多あるが、本作は台本上の多くの台詞が原作そのまま使われていて、そうことが維持されていると、原作と映画は別物という感じにならないのだなというのも発見だった。
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