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Posted by ブクログ
文化人類学の本を読むのは初めてだったけれど、非常に楽しく読んだ。知らないことを知れて楽しい反面、あまりにも自分が今生きている日本や令和と掛け離れた部分が多く「そんな世界もあるんだ〜と」豆知識を得るような読み方になってしまった。
なんでマイナーな地域ばっかり取り上げるんだろう、と疑問を持っていたのだが、それが後半に解消されたのが良かった。すでに社会やコミュニティが形成されている地域の風習や文化を取り上げ、比較・考察するのは「社会学」らしい。文化人類学とはそもそも未開の地(のような場所)を研究するものなのだそうだ。全く知らず、なんとなく手に取ったのだがそれを知れて良かった。
細かいことを言うと、家族、贈り物、宗教、呪術、日本人の章が面白かった。
Posted by ブクログ
本書は、世界の異文化事例を紹介し、私たちの日常にある「常識」に問いを投げかけ、文化人類学的な視点を与えてくれる一冊です。既知の事例であっても、改めてその背景にある理論的解説を読むことで、より理解を深めることができました。
特に興味深かったのは「アノマリー(境界にあるもの)」についての記述です。空間や概念の境目にあるものは、しばしば「不安で危険なもの」とみなされます。例えば「汚れ」という感覚は、物質そのものの成分による問題ではなく、それが「身体の内と外の境界をまたいでしまう」ことによって生じます。人間にとって「自分であって自分ではない」という矛盾した存在は、既存のカテゴリーに分類しきれない気持ち悪さを抱かせ、それが「汚い」という忌避感情に繋がるのだと理解できました。
こうした現象を、フィールドワークを通じた身体感覚として体験する文化人類学者たちは、安易に他者を分断することはありません。彼らはあくまで各社会の特徴を捉えた上で、
①「人間の文化がいかに多様であるか」を問い、
②その多様性の深層にある「人間としての共通性」を探求し、
③「文化的な多様性がどのように変容していくのか」を記述しようとします。
一度、慣れ親しんだ自文化の世界から切り離され、異なる言語空間で生活する。そのプロセスを経て初めて、これまで当たり前だと思っていた世界が決して自明ではないことに気づかされる。文化人類学とは、知的な刺激に満ちた、実に興味深い学問であると感じました。
Posted by ブクログ
【書名と著者】
自分のあたりまえを切り崩す文化人類学入門
【目的】
自分のあたりまえ、みんなにとってのあたりまえではない。当然のことだけど、日々自分の主観で過ごしていると、自分のあたりまえに埋没してしまう。
なので、あたりまえ自体があたりまえじゃない、という認識を持ちたくなり、ライトに読めそうな本書へ向かった。
【読後感】
アジア社会の集団の違い、文化の違いから、自分のあたりまえって本当に硬直化してるんだなと感じた。
人間ひとりひとりが環世界を生きている、くらいに、大前提として相互理解に対する諦念を抱いて暮らしていきたい。そのほうが、ストレスフリーな気がする。
【印象に残ったポイント】
・家とJTCは似たり
共通項をもたない集団として、価値観や考え方を共有しているかチェックされる。
JTCの飲み会行ったり、プライベートな話を出さないと、なんかよくわからん奴として扱うカルチャーはまさに家的だなと感じた。(好きではない)
・贈り手の権威化
仕事の発注をする人、認可を出す役人、金をまく政治家、ぱっと思い浮かぶだけで確かに贈り手が権威化する事象が思い浮かぶ。
この権威化する作用はうまく使うと人間関係の維持発展に生かせそう。
・民族、家族は全く一様ではないし、境界線も異なる
昔の商家が婿をもらう、位は知っていたが生物学的な父が子育てに関与しない事例など、日本とはかけ離れた家族形態の存在、家族の範囲の違い。
個人的に、何も考えず暗黙のあたりまえだった観念が切り崩された感覚がある。
【要点】
1.あたりまえって本当にあたりまえ?
自分自身を相対化する作用が文化人類学にはある。
異なる言語空間に身を置くことで、自分の文化を再発見する。
文化とは、無意識の行動パターンや意味づけ。暗黙のルールの共有。
これを可視化するために、フィールドワークとして参与観察し、民族誌をアウトプットする。
2.集団と親族
親族とはウチ/ヨソを分ける出自による集団の形成。(父系、母系、双系と3つある)。
クランとリネージ、キンドレッドという見方がある。
クランは出自を辿った先が神話や伝説に行き着く集団、リネージは具体的ないつどこの誰と辿れる単位の集団。キンドレッドは私から見た親族の範囲(日本の場合だと、合理的に解釈可能なのは6親等くらいか?)。
たとえば、日本の天皇制は父系の集団であり、クランかつリネージ。
事例:タイとラオスの屋敷地居住集団。男が婿として妻の実家の近隣に住んで共同生活をする集団がある。
中根千枝氏によると、集団を決める基準は資格と場の共有であるそう。日本は場の共有を優先する傾向がある。とくに家(生活共同体かつ経営体)。
家という観念は場、なので共通項をもたない場合において価値観や考え方の統制が必要。だからプライベートに立ち入りあう集団。
資格と場の原理はどう集団の中の優劣がつくのか、優劣が変わるのかを説明可能なアプローチかもしれない。
3.家族と血
まず大前提として世界的にも日本の歴史を振り返っても、血縁は家族の必須要件ではない。
実際、日本の場合には商家には外からちゃんと経営できそうな婿を取ってた時代もある。
核家族を普遍的な単位として世界の家族を説明しようとした学者もいたが、ちょっと強引。
東南アジアの事例、フーヤル。父なしの母系家族形態。生物学的な父は家庭におらず、母方の叔父が子供を育てる。生殖した父≠教育する父。
生物学的な父親と、法的な父は必ずしも一致しない。
4.贈り物と負い目
トロブリアンド諸島のクラ交換。2つのアクセサリーを島間で時計回りと反時計回りで贈るもの。いつ何のために始まったかは定かでないものの、作法が細かく規定されている。
第三者から見ると、贈り物というよりは時間差の交換のようにも見える。
贈り物をもらう側には負い目が発生する。このため、贈る側を権威化しない取り組みをしている人たちも存在する。
ムブティという人たちは獲物をとったら分配するが、このとき獲物を獲得した人が権威化しないように成果をディスってから、分配する。
トゥルカナの人たちは、とにかくクレクレ攻撃する。もらう側に主導権がある。
こんな風に、与え手の権威化を回避する風習がある。当事者ではその時々の贈与だが、文化人類学者という第三者の視点からは、時間差の交換とも解釈可能。
5.穢れと禁忌
唾液。体の外に出したら汚いものと認識されるのはなぜなのか。
汚さとは場違いなもの。言い換えると、キレイにすっきり分類できないもの。分類から逸脱したもの。
境界は時間だったり(黄昏時には何か出るとか)、空間だったりとか、人生の節目だったりとか。(厄年とか?)
禁忌には神聖へのタブー、穢れへのタブーいずれもある。
たとえば、王は人と神のあいだ。生理中の女性の血は、など。タブーはあいだにあり。
6.儀礼と境界
つらい就活、儀礼。儀礼の分類は3つある。強化儀礼、通過儀礼、状況儀礼。
いずれも、状態の移行のために行うもの。(就活であれば、学生から社会人へ)
儀礼のプロセスは日常からの分離、過渡の非日常、日常への統合からなる。
葬式を例に出すと、お通夜→四十九日→忌明け。
7.宗教と宗教心
日本人は無宗教と言われるが、お守り捨てるとバチあたりなんて言ったりもする。
NHKの調査によると2018年時点で日本人の6割が無宗教を自認する。
では、宗教とは?
①教義と教団を持つ、唯一神への信仰。
②超自然的な力への信仰。
日本の信仰形態は色々。神・仏・超自然のミックス状態。
宗教への帰属はないが、信仰心はありそうなのが日本人といえそう。
8.呪術と科学
不運なとき、どう解釈するか?
管理の努力、神の加護が足りない、妖術による、など。これらの解釈は社会によって異なる思考のバリエーション。
なぜ、この時に限ってこんなことに?という疑問に対する、神秘の因果関係。
西洋人は宗教>呪術と、呪術を馬鹿にしがちだが、信奉している科学と呪術は似たようなもの。
精度はさておき、自然への働きかけと因果関係を示すものであるため。
科学と呪術の違いは、この因果関係を解き明かす大前提となる、背後の世界観が異なる。
科学は自然の因果、呪術は神秘の因果関係に着目しているだけ。
9.民族とエスニシティ
日本人とはなにを共有する集団なのか。国籍?言語?民族?文化?
ラオスの事例。ラオスという国づくりの段階で、いろんな民族を再分類した。
低地ラオス、山地ラオス、その他ラオスと、住んでる場所ごとの分類。
また、生まれではなく育ての親のカルチャーにより民族を自認するケースもある。
また、異なる民族だが文化的に酷似しているケースもある。
境界があるから民族がある。かつ、この境界は流動的で可変的。
タイのイサーン地域、たった10年の間に通用する言葉がラオ語からシャム語へ変わった。また、この地域の人はイサーン人を自認する。
こういう集団に対して、エスニシティという言葉が便利。
エスニシティとは共通の文化をある程度共有する集団、またはその文化的な特性を指す。
中国人≠台湾人、なんかもエスニシティ。また、定義は変わるけどカテゴリとしての呼称は残る。また、エスニシティは複数に属することができる。
日本人かつアイヌ人、など。
10.人間と文化
文化人類学とは、多様性を明らかにしたうえで共通性を探求する学問である。
多様の度合いがどこまであるのか(犬食OK/NG、納豆OK/NGとか)、共通性はなんなのか、これらがどう変化するのか。
例えば日本では、江戸期までは犬を食べていた。
探求に際してはフィールドワーク。ともに生活することで、よそ者の目線で暗黙の行動パターン・意味づけ・ルールを見つける。
外から見るとみんな仲良し、と見せてる村でも当然中に入るとそうでもないことがわかる。中に入らないとわからないことがある。
中に入ってすぐわかるものではなく、長い時間をかけて信頼関係を気づき、日々得られる断片的な情報を認識し分析を重ねる必要がある。
ここで得た事実からの学びより、描写を通して得られた洞察を学ぶのだそう。
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