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世界暦と黙示的文学が終末意識を突き動かすとき,ヨーロッパの歴史は大きく躍動した.古代末期に源流をもつ地中海=ヨーロッパの歴史を,人びとを駆動し「近代」をも産み落とした〈力〉の真相とともに探究する.「世界」を拡大し,統合した〈力〉とは何か.ナショナリズムと国民国家を超えた,汎ヨーロッパ世界展望の旅.
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Posted by ブクログ
2024年12月27日、イスタンブールへ向かい機上にて、コンスタンティノープルやビザンツ史について学びを深めるために読んだ。 本書で大月先生は、国民国家史ではなく、汎ヨーロッパ史として、ヨーロッパ社会の歴史を規定的に動かしてきた文化的伏流水について展望する。これは、本書でも引用される増田四郎先生の「...続きを読む事件」や「出来事」に関心を集中させることなく、人物や出来事の舞台となった社会の構造(プラットフォーム)にまで掘り下げて検討することの重要性を説いた歴史学の流れを継承するものである。 余談ではあるが、今回、後半の章では、近代ヨーロッパの文化的素地や人間関係観について増田先生の中世都市論を再び引いているが、2024年の一橋世界史で増田先生の書籍が引用されたことは、なんとも色々と邪推してしまう。 ちなみに、私の祖父は増田四郎ゼミの出身であり、私自身も同じく歴史学の阪西先生のゼミであった。そんな世界史における広い視座、社会経済を通底する観念への飽くなき探求という歴史観、学問観には、私もどっぷり浸かっており、なんともこの考え方については、日ごろのビジネスの世界においてもなんとか活用したいと努めるものである。 本書で印象的であったのは、古代~中世における人々の時間意識、もっと言えば長らく信じられてきた終末論である。 今にしてみると全く想像がつかないことであるが、我々が慣れ親しんでいる西暦というものは、勿論古代よりずっと使われてきたものではない。西暦400年~500年の人々は、世界暦(世界創造暦)を使っていた。これは、私たちが知る西暦1年を世界暦における5509年とする年代の考え方であり、これは人間の1000年は神の目には1日に映り、1週間である7000年を全体とする観念である。なお、キリストは神における6日目の半ばに生まれたと認識されており、また、主(神)が眠りにつく6日目の番がくる前に人類に半日のための猶予を与えるとされている。そして、聖書に書かれた「最後の帝国」は、その力が後退すると、反(アンチ)キリストが登場するとされている。そして、この世界暦におけるまさに6000年目が西暦491年であり、当時の人々はまさに反(アンチ)キリストが登場するという終末への恐れの中で、ペスト禍やササン朝ペルシャとの攻防、大地震を捉えていた。そして、ユスティニアヌス大帝時代に、「最後の時」に向かって「善き人」であろうと現世で善行を積む行為(例えば、教会への寄進、聖堂・修道院の建設等)が増大していったのもこの時期である。ユスティニアヌス大帝は就任直後より、こうした人々の寄進を財政基盤とし、貧民救済等を行い、社会経済的な再配分機能を担う政策を担ってきた。まさに、帝権として、<神の恩寵>としての<慈善>を担保してきたのである。大月先生は「人々が観念を共有することで、現実も生み出される」とし、こうした時間意識に基づく切迫感というものを伝えている。また、この世界暦が7000年目を迎えるのは、まさに1491年であり、その翌年にコロンブスはアメリカ大陸を「発見」している。この15世紀末のレコンキスタや新大陸の「発見」も例外なくこの世界暦の中での出来事であり、もっとも、想像の範囲と断ったうえではあるが、中南米でヨーロッパ人が邂逅した現地人が、その生活様式や習俗の異質性から、アンチキリストとみなされ、言葉通り非人道的な行為を行ったと考えることもできないかとしている。 そしてもう一つ印象的であるのは、当時の人の世界観、敷衍すると空間意識である。 ビザンツ帝国の皇帝は、まさに世界暦の切迫感の中で、生きていた。そして、帝国の統治は「天上の唯一存在する全能の神に相当した地上の唯一の全能の皇帝が世界を統治する」「皇帝の臣民であるローマ人は天上の帝国の秩序の模倣たる、キリスト教化されたローマの法秩序に守られ、その保障する平和のもとで、文化の名に値する唯一の生活を送る」とされている。 また、「帝国」秩序の外に置かれた民族は野蛮人とされ、今でこそ「帝国」内にはいないものの、神がその救済計画に織り込んでいるとされている。そうした中で、帝国外にいる諸地域の市民族に対して、皇帝を家父長として、諸民族らを「子供」「兄弟」「友人」とする擬制的親族秩序を結んだと考えられていた。そして、こうした関係性を取り結ぶ儀礼は、帝都の真ん中にある宮殿と現存するハギヤソフィア聖堂で行われた。宮殿や聖堂は、まさにこの皇帝の権威を表象する重要な装置であった。実のところ、ちょうど2024年12月31日の朝に、このハギヤソフィア聖堂に行ってきたが、その姿は大月先生が叙述するような「聖なる神の宿り場としてのイメージを体現」する荘厳な佇まいとしていた。 また、帝国の中での諸民族の共生と共存という視点も非常に示唆に富む。国民国家的な観念につかり切った私たちでは想像が難しいが、このような儀礼を経れば、帝国内の諸民族は自由に活躍することができた。まさにハギヤソフィア聖堂もアルメニア人の建築家であるアンテミオスとイシドロスによって手掛けられた。そして、こうした諸民族の共生・共存の伝統はオスマン帝国でも継承され、同じくイスタンブールで、ハギヤソフィア聖堂の目の前にたたずむスルタンアフメットモスクも、アルバニア人だったセデフカル・メフメトの傑作である。 興味深いのは、オスマン帝国のトップであり、15世紀に帝都に入城したメフメト2世もまた、「ルーム・カエサル」と名乗り、330年以来の「帝国」の首都であり、帝権の座所であったコンスタンティノープルの正式な継承者であることを内外に示した。 オスマン帝国もまた、こうした帝国内での諸民族の共生・共存を様々なメリトクラシーの仕組みや規律から成立させてきたが、こうしたビザンツ帝国の伝統を継承する形で、コンスタンティノープルを拠点都市、モスクへ作り替えたことは、面白い。 本書は、イスタンブールへ行くための副読本として手の取ったが、歴史的建造物が作られた背景や当時の人々の時間的・空間的意識を知る、とても面白い本であった。
題名から想像していた内容と大きく違いました。国別の歴史を俯瞰したヨーロッパの地域史だと思っていましたが、まさにもっと「大きな」歴史でした。何が起こったか?ではなくその時代の人間はどう感じていたか?で語るヨーロッパ史です。なぜ、ヨーロッパという意識が生まれたか?を解き明かそうとする著者のスタンスが感動...続きを読む的です。本書で何度も使われるキーワード「伏流水」という歴史的遺物や国別の歴史には現れない時代の潜在意識を掘り下げていきます。今もウクライナの戦争においても間見えるヨーロッパの究極形態としてのEUの西ヨーロッパ中心の視点ではなく、著者は専門のビザンツ帝国という視座から汎ヨーロッパという視野を拡げていきます。ヨーロッパ史の「重要な出来事」、476年ローマ帝国の崩壊、800年カール大帝の戴冠、962年オットー一世の戴冠と神聖ローマ帝国の誕生、15世紀〜16世紀のイタリアルネサンス、1492年レコンキスタの完成、新大陸発見、1789年フランス革命など教科書に載っている有名な出来事の裏に潜む「伏流水」としての時間意識、とりわけ世界暦6000年という終末への怯えが歴史を駆動していたという指摘に新鮮さを感じました。まさにキリスト教あってのヨーロッパなのだ、と思いました。きっと今、起こっていることもこの流れで意味を理解する日が来るのでしょう。自分にとっての永遠の積読「地中海」、読みたくなりました。
タイトルからは雄大なヨーロッパ通史を想像するが、実際としてはビザンツ帝国やローマ帝国など帝国論に近い。 しかし、当時の人々のアイデンティティなどに思いをはせる見方は面白い。
ヨーロッパ史を事件ではなく、意識や思想を基に拡大と統合の歴史を辿っていく。イエ経済から救済の摂理に進化したオイコノミヤや地中海経済から脱落し独自の経済を創造して主役に躍り出た西北ヨーロッパ(フランク)などを通して、少し難解な解説が繰り返される。 特に白眉だったのはヨーロッパに根強く蔓延る週末観念。「...続きを読む紀元千年の恐怖」による世界の終わりが人々の意識に刷り込まれていて、自然災害、イスラム勢との戦い、レコンキスタ、大航海など人々の行動に影響を与えていた。
話が結構面倒なので先に最後の章を読んでおいた方が楽かもしれない。2度読んだけど、行き先がわかっていたらもうちょっと読みやすかったかなあと。
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