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19世紀にキリスト教の自然観の枠組から離れて誕生した、科学者という職能。危険な一面を持つ、閉ざされた研究集団の歴史と現実、その行動規範とは? 核兵器の開発、遺伝子組み替えの技術、環境問題――科学者は研究に伴う責任をどう考えるのか。自然と人間の相互作用を読みこむ新たな科学観が問われる、転換期の科学者像を探る。
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Posted by ブクログ
近代科学と科学者の成り立ち、現在の科学者の仕事について、つかず離れず、非常にわかりやすく解説された一冊。 僕はこの本を読んで、自分が漠然と「かくありたい」と思っていることが、「科学」の枠内にとどまれないことを知りました。進路を悩んでいた2000年頃のことでした。
科学者の自由主義。研究を進めることだけが彼らに課された課題。 大学出身のインテリ技術者が社会の中に送り出され科学と技術の接近が加速。次第に一体化してそこに社会的価値が生じるとともに反社会的価値も生じた。一般の倫理的価値と行動規範を持ち込むべきでない?没価値的、価値中立的。 医師集団。ヒポクラテス。...続きを読む 致死量は誰に頼まれても投与しない。医師の立場を利用して異性と関係を結ばない。患者や家族について治療の機会を通じて知ったことは決して人に漏らさない。 苦しんでいる人のためにその才能をつかう。救いの手、助けの手を差し伸べる。そこには神の召命という意味がある。ここが医師、法曹、聖職者に異なるところ。 お金がなくても支払う「ふり」は一般の人々の敬意の証。名誉承認のしるし。 18世紀以降はヨーロッパではこれを放棄。現状では身分の高さ、金銭目的が多数。その意味で古い構造が残っているのは聖職者のみ。 本来は倫理観なるものは一人一人が心の中で自由に考えるべきであると思う。しかし、昨今多様化した価値観のためかどうもこの接触点においてコンフリクトが起こっていることが多く、それが職業倫理規定やコンプライアンス問題などとして表出するのだと思う。 ヨーロッパの発達過程では知的職業(聖職者、医師、弁護士)といわれるものは神からその役割を受託し、「困った人を滅私の精神で助けるべきもの」という倫理観が横たわっていたらしい。(医師の例に関して言えば「ヒポクラテスの誓い」など)そしてそういった背景と引き換えに社会的地位や高い報酬が与えられたというシンプルな構図だ。他のものがそうであるように初めは結構シンプルなものなのである。しかし18世紀の聖俗革命を経たヨーロッパでは社会慣習としての「神への誓約」の形式を残している場合であっても、そういった価値からは離れていることが多いし、医師や法曹家も社会的地位や収入を目的としてその職業を選ぶ人がかなりの割合になった。ここで一つ言えることは社会が複雑性を増してくると人は手段を目的とした行動をとりがちである。それは社会の全てを把握しきれるほど単純なものではなくなったためにそうせざるを得ないという部分もある。 しかし19世紀以降に出現した科学者という職業集団には初めからこの神との関わりがない。ここにおける彼らの価値観は自由主義的であり、目的は「研究をすること」、そして研究費にスポンサーが絡んでいる場合にはそのスポンサーに対する間接的責任が生じている、ということだ。しかしこれは形式上のものであることが多く、事実上は巨額の研究費をかけて研究しても責任追及されない。それは研究自体に「賭け」の要素が強いからであると思う。(アメリカのガン研究、日本の核融合研究など)というわけでポイントとしては科学者には初めから医師・法曹家とは違った行動体系をもっているということだ。 ニュートンぐらいまでの時代は(彼は科学者ではなく、哲学者「愛知者」にカテゴライズされる)キリスト教を前提とした自然探究が目標とされた。ガリレオ・ニュートンの知的活動が「科学」へと変化する過程では少なくともキリスト教的枠組みから知的営為が解放される必要があった。 大学とは何か? 本来は「知を愛する人」が行く場所であって、卒業したからと言って就職に関係ないばかりでなく、キャリア作りにほとんど意味がないものだった。それが19世紀後半から様々な仕事に就くためのライセンスを得る場所に変わり始めた。ーー旧来の知識人(医師、弁護士など)から仲間とは認めてもらえなかった。というわけでマイノリティのおきまりの行動パターン「マイノリティ同士で団結する」を発動する。(GDNA・ドイツ自然探究者医師連合、その後イギリスに飛び火BAAS、アメリカはAAAS) 19世紀半ば以降からは科学はどんどん個別化。(数学会、物理学会、.....)ここにおいて学会の会員とそうでない人間に大きな差が生まれた。会員になるために旧来の単なる「知を愛する」哲学者、アマチュアではなく「専門家」である必要が生まれた。1859年のダーウィンの『種の起源』以降は研究成果を書物の形ではなく、論文の形で世に問わなければいけなくなった。ジャーナルは「プライオリティ」確保(他人に先じて何かを発見する)という西欧的文化の名残。コペルニクスやコロンブスは自分の業績が最初ではないと明言していたものも、発表順序によってプライオリティが決まる。Something New-ism. 技術の状況? 日本においてはヨーロッパと違って技術と科学の線引きが明確。 それでここで一つの問題が生じる。キリスト教的世界観の倫理観(いわゆる教養主義)はとても人間的に素晴らしいといわれるものであると思うのだが、そこには強固に横たわる階級思想があるということだ。これがまさに社会を硬直化させて、「倫理なき」人々が「倫理なき」人々でい続けなければいけない原因であったりもする。恐ろしいことには実際その「階級と倫理観が密接に関わっている」という言説が信じられている場所では実際そういうことになっているということである。(ヨーロッパ、関西圏の保守的な場所はこれ)
科学が引き起こした問題,社会や科学の変遷により求められる新たな科学者像を通して,自然科学系,社会科学系の区別なく学ぶ必要性を感じさせてくれる本。
この本は,科学者が考えなければならない,科学者(研究者)としての倫理や価値観について書かれています。内容は,歴史的な変化のなかで,科学者がどのようにして共同体を形成して,そのなかでどのような倫理や価値観が作られてきたのか等が述べられています。 私は,ソーシャルワーカーというアイデンティティを持ち...続きを読むながら,大学の教員であるわけです。以前より,ソーシャルワーカーの倫理や価値についてはその重要性を実感しているところですが,科学者(研究者)としても同様に考えていく必要があります。 ソーシャルワーカーは科学者(研究者)というより,実践者としての側面が強いと思いますが,科学的な方法によってソーシャルワークを捉えていく必要があると思います。そんなふうに思って読んでいると,科学者と技術者(ソーシャルワークでいうと実践者に近いと思います)の違いや関係について述べられていたり,科学と神との関係が書かれており,非常に興味深く読めました。 ソーシャルワーカーという専門職はキリスト教文化の影響のもとに生成,発展してきていますが,そのあたりのことにつながることですので,きちんと理解しておきたいと思いました。
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