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Posted by ブクログ
薄い本です。後半に入っている、他愛もない掌篇のいくつかが、僕は一番好きでした。
軽くてふわふわ、何のムツカシサも無く、のどごしまろやか爽やかで。薄味で腹に貯まらぬ胃にやさしい。
肩の力も腰くだけな脱力感の中に、ほのめいた品位。群れない孤高と、「へ~なるほど」と。何ともくだらなおかしいユーモアだなあ、と思っていたら読み終わる。
読むたびに心地いい谷崎潤一郎さん。そしてこの本を作った編集者さんに、パチパチ。
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谷崎潤一郎さんの、まあ、エッセイ集です。
無論の事、最近になっていろいろな掌編を集めて作った本ですから、編集具合は谷崎さん本人はあずかり知らぬことでしょう。
表題作になっている、「陰翳礼讃」。
「日本的な美っていうのは、陰翳を愉しむ感じの、暗さを愛おしむ感じ。なんでもかんでも明るいっていうのも無粋だよね」
と、いうような内容です。(雑ですが)。
で、このエッセイは、一般の読書好き、谷崎好きという愛好家の枠を超えて、建築の世界でとっても大きな「考え方のよりどころ」というか「考え方の古典」みたいな人気?があるようですね。
この文章は、そういう建築的な提言というよりも、趣味の発表みたいなものとして愉しめました。
あまりはっきり見えないことの喜びというか。悦びというか。ヨロコビ。
現実的な暮らしの実際よりも、「俺はこういう世界観が好きだ」みたいな。
ちょっとこう、暗くって。じめっとして。合理的とか明快さとかで割り切れないぐにょっとした営みというか。谷崎さんですからねえ。
こういう風に言葉で要約されると、ただの変態なんですけど(笑)、それを谷崎さんが文章で小説にしていくと、そこにユーモアもあれば人肌な温もりもあって何だか実にこう、美味しい。
変態さんではありますが、ただの変態ではありません。
この本には「陰翳礼讃」の他に、「現代口語文の欠点について」「懶惰の説」「客ぎらい」「ねこ」「半袖ものがたり」「厠のいろいろ」「旅のいろいろ」の7篇が入っています。
「陰翳礼讃」と「現代口語文の欠点について」の2篇は、エッセイというよりは「説」みたいな文章ですが、ほかはエッセイ、雑文、という類のものです。これがどれも素晴らしい。
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●「現代口語文の欠点について」
明治以降の文章日本語の改革を、一定の評価をもちろん下しながらも。
専門家、人文科学系の学者の晦渋すぎる言葉使いや、文末の言葉遣いの味わいにいたるまで、もう目が眩むくらい素敵に具体的な検証を行います。
それでいて無論の事、谷崎さん。この文章自体が毛ほどの難解さもなくまろやかに軽やかに読み易く進みます。
無駄に難解な言葉使いへの批判など、そのまま2015年の日本語状況にも目が覚めるくらいに当てはまります。
本、文章を読む、書く、などが好きな人には大いにおすすめな一篇。
僕は「陰翳礼讃」よりこっちが面白かった。
●「懶惰の説」「客ぎらい」
なまけたいなあ、ごろごろするのがいいなあ、他人と会うのもシンドイなあ。
というような、それだけのことが素敵な短文。
●「ねこ」
猫好きにはたまらないでしょうねえ。「庄三と猫」の作者ですから。
●「半袖ものがたり」「厠のいろいろ」「旅のいろいろ」
谷崎さんは、東京生まれのお坊ちゃん。都会でモダンで洒落て西洋かぶれで金持ちな育ちです。
そんな谷崎さんが、関東大震災のあとに関西に移住します。
そして、大変に関西が気に入ります。
関西人の着る半袖の着物がいいんだよなあ。色んな厠があるなあ。旅の面白み、こういうの好きなんですよ。
そんな他愛も無い話のそこかしこに、関西礼賛もありつつ、たまに冷静に「こういうのは関西はアカン」というのもありつつ。
このあたりの肩の力の抜けた文章、関西生活がとにかく愉しかった僕としては、にやにやふむふむが止まらない、極上な味わいでした。
これを翻訳ではなく、原文で味わえる。
日本人で良かったなあ、と、僕としてはココに偽らざる愛国心があります。
(できれば谷崎さんが書いた通りの旧仮名で読みたい!というのが趣味としてはありますが…)
Posted by ブクログ
陰翳礼讃
著:谷崎 潤一郎
出版社:KADOKAWA
角川ソフィア文庫 L 203 1
戦後間もない時期に書かれた随筆、日本人であることを意識させられるような内容である
木と和紙によって和らいだ夜の灯りを、谷崎潤一郎は、陰翳と表現しています。
あゝ、日本人は、いつからか、そのような陰翳のある世界から、乾ききった、ゼロ・イチの世界に迷い込んだのか。
気になったのは、以下です。
われわれは西洋紙に対すると、単なる実用品という以外に何の感じも起こらないけれど、唐紙や和紙の肌理を見ると、そこに一種の温かみを感じ、心が落ち着くようになる
日本の漆器の美しさは、そういうぼんやりした薄明りの中においてこそ、始めてほんとうに発揮される
美というものは、常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やげては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った
われわれ東洋人は何でもないところに陰翳を生じせしめて、美を創造をするのである
美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える
他
「客ぎらい」はおもしろかった
「厠のいろいろ」は直接的で、ちょっとNG
「旅のいろいろ」は、有名な観光地にいくよりも、風光明媚な田舎ですごしたほうがいいというものです。
目次
陰翳礼讃
現代口語文の欠点について
懶惰の説
客ぎらい
ねこ
半袖ものがたり
廁のいろいろ
旅のいろいろ
注解
ISBN:9784044094713
判型:文庫
ページ数:190ページ
定価:480円(本体)
2014年09月25日初版発行
2020年09月15日7版発行
Posted by ブクログ
インテリアや照明に携わる職業の方々に幅広く読まれている本書。日本家屋についてだけではなく、すぐれた日本人論としても読める珠玉の一冊。
日本人が好む美しさとは、省略の美であるということ。空白を持って画面を構成する日本画もそうであるし、無駄な言葉や描写のない小津安二郎、北野武の映画も実に日本的な美と言える。宮崎駿さんが「アニメーションは三歩あるいて十歩あるいたように見せなければ意味がない」というような主旨のことを何処かて語っておられたが、それも日本の美なんだなあと強く思った。また、世界で評価されているのはまさにそれら省略の美そのものなのだ。
その点では若者の流行言葉の略語なども日本独自の文化なのだと思う。一から十まで説明過剰というのは西欧文化なのだろう。しかし、現在の日本では行き届いたサービスや過剰な説明などが多くなり、かなり文化は変化してきている。もちろん外国文化を取り入れることで快適になり、発展するのはうれしいことだ。一概に善し悪しを言えることではないが…。比較文化論としても興味深い内容だった。もっと谷崎を読んでみたい。
いつ読んでも…
いつ読んでも飽きない。和紙を眺めるときのように心が和むし、示唆に富んでいて、読みながら様々なことに思いを馳せらせてしまう。私ごときが言うまでもないことですが、名著です。
Posted by ブクログ
日本が欧化したからこそ、谷崎は陰翳の愛すべき性質に気付いたのではないかと思う。
肌の色と光の関係にまで及んだことは、成る程と思わされた。陰翳の中にある色香、であったり、見えざるものの持つ怪しさ、であったり。
谷崎は、その陰翳を文学としてみようとする。
日本文化肯定論というよりも、私たちが本能的に愛してきた闇の淡いに踏み込んでいて、読んでいて頷ける読者は多いのではないか。
夏の夜に、蝋燭の灯りだけで過ごすイベントは、エコロジーの観点だけで好まれるのではないように思う。
もう一題。
「現代口語文の欠点について」も、非常に面白かった。
「のである」体の気持ち悪さ、主格不在の文法の欧化による、煩わしさ。
短く、端的に述べることと文学性の相違。
なるほど、現代国語で指摘される欠点は、それが美になり得るものらしい。
分かりやすさと、利便性は科学である。
けれど、文学の持つ魅力はむしろ、そうではないように思う。谷崎の目から見る日本は、なかなか鋭い。
面白かった。再読前提。
Posted by ブクログ
「むかしは良かった」みたいな話かなぁ?と思って読み始めたら、まさにその通りだったので笑った。電灯の普及により明るすぎる座敷、無粋な家電のコード、白く無機質な西洋トイレ…。清潔で効率よく便利なのは確かだが、そのために失われていく暮らしの中の風雅や花鳥風月を、谷崎は縷々嘆くのである。
しかし、それだけで終わらないのは、さすが文豪である。京都の料亭「わらんじや」が登場するあたりからグッと文章がノッてきて、暗い座敷における吸い物椀について語る時などはこうである。
──まずその蓋を取って、口に持っていくまでの間、暗い奥深い底の方に、容器の色とほとんど違わない液体が音もなく澱んでいるのを眺めた瞬間の気持ちである。人は、その椀の中の闇に何があるかを見分けることは出来ないが、汁がゆるやかに動揺するのを手の上に感じ、椀の縁がほんのり汗を掻いているので、そこから湯気が立ち昇りつつあることを知り、その湯気が運ぶ匂いによって口にふくむ前にぼんやり味わいを余覚する。──
吸い物を食する体験ってこういうことだったんだ!って、ちょっと興奮してしまった。すごい表現力。
建築物の陰影についても書かれている(というより、こっちが主なのだろう)。わたし自身、京都のとある塔頭で陰翳礼讃したくなるようなものを見たことがある。仏間の奥にある小さな座敷で、あまり日が差さず薄暗いところだったのだが、襖の水墨画に蒔かれた金砂子がぼうっと鈍い光を放っていて、描かれた風景が幻想的に浮かび上がってきたのだ。
あれは美術館の展示ケースの中では決して観ることのできないものだった。谷崎が後半生を関西で過ごした気持ちも、ちょっとだけ分かるような気がする。
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