新型コロナが登場して世の中は大きく変わってしまった。ポストコロナ、ウィズコロナといったキーワードで将来の世界のあり方を社会学者が論じる書籍も多く、概ねどれを読んでも似た様なことばかり言っている。私の身の回りも変わった。コロナ以前から働き方についてはいずれ早晩テレワーク主体になるとは考えていたが、コロナがきっかけで2、3年は早まったと考えている。一時期は部内で感染者が5名程度一気に出てしまい、出社禁止状態にもなったものだ。回線設備の準備やセキュリティ対策など多くは自身の管理範囲にあったため、それこそ昼夜を問わず突貫工事で整備していた事を懐かしく思う。2019年の12月といえば、ちょうど中国武漢で「謎の」肺炎症状が騒がれ始めた頃だが、偶然にも前月の11月中旬から終わり頃にかけて、北欧スウェーデンを訪れていた。勿論当初はマスクをつけると言った習慣もなく、クリスマスに備えたマーケットなどでも、多少厚着をしてコートのフードを口に当てる程度、勿論寒さ凌ぎである。まさかその後の世界がこうなるとは思わなかった。どこの国でも渡航制限が実施され、人々の移動は止まった。そう考えると直前に行って帰って来れた自身の運の良さには驚きだ。
本書は新型コロナウイルスの発症源とされた中国武漢市の当時の緊迫した状況を最前線の現場から伝える内容となっている。問題となった卸売市場は閉鎖され、未だ人々がマスクもつけずに外を出歩いていた状況からリポートは始まっている。筆者はそこから1200キロ離れた北京在住の様だが、難なく行き来できていた。その後は都市封鎖が実施され、日本の報道でも多く流れたが、感染したがために大規模な共同住宅への帰宅を拒否されたり、玄関ドアを板張りで封鎖されるなど、そこまでやるか?といった状態になった様だ。
新型コロナは現在2023年も半ばでほぼ「普通の風邪」の様な状態になっている。今では馬鹿げていると思える様な出来事も、発生当時の未知のウイルスの段階では、人々の間を実際のウイルス以上に恐怖が蔓延する。「パンデミック」という言葉はそれ以前のSARSやMARSの頃から使われ始めていたと記憶するが、コロナによって日常的な用語になった。東京も「自粛」という名の封鎖に近い状態になったし、一人も感染者を出さない事を施策目標に設定した中国では、都市の封鎖などは日常的に実施された。白い防護服を纏い消毒液を散布する風景などは漫画の中にしか無いと思っていた。そのゼロコロナをはじめとする中国の対策については当初の初動遅れだけでなく、WHOとの蜜月関係、サプライチェーン停止への反発など世界中から非難が殺到した。実際は本書に記載されている様に武漢では邦人を国外避難させる為に尽力した中国企業経営者もいたわけだが、そうした良い事実はさておき、世界中から経済の脅威となった中国は攻撃非難の格好の的となった。各国が一定以上に増加させずに経済活動を維持しようとしたのに対して、完全に経済をストップしてゼロになるまで根絶しようとした当局の姿は異常にも映り、民主的な社会と国が全てを支配するような社会の差異を鮮明に映し出す結果となった。中国にとって運が悪かったのは、もう一方の大国アメリカにトランプがいた事だろう。自身の経済政策の失敗すらも中国に押し付けようとする姿は滑稽にも見えたが、中国に対して脅威を感じる他国からすれば便乗しやすかったのも事実だ。
本書はその後の世界の混乱と比べ、当初至って冷静に対応する武漢市民のスマートさとのコントラストの違いがより鮮明に表されている。今となってはワクチンが行き届き世界は冷静さを取り戻した。中国経済はバブルの危険を孕みながらも、元の成長路線へと戻っている。今現在冷静さを取り戻した思考から、改めて当時を振り返るのは面白い。そこにも未知へ立ち向かうジャーナリストの活躍、医師達の努力、市民の感染防止対策など国は違っても、病原菌に立ち向かう人類の姿、強さを見ることができる。