作品一覧

  • 避難弱者―あの日、福島原発間近の老人ホームで何が起きたのか?
    4.0
    東日本大震災時、福島第一原発から30km圏内の老人ホームは、住民の避難から取り残されてしまった。ライフラインもなく、通信手段が遮断された中、職員と入居者は、続けざまに原発が爆発する音を聞く。多くの職員が放射能の影響に関する情報を得ることができず、不安を抱えて一斉に施設を後にすることを余儀なくされる。  取り残された入所者は避難が遅れるに伴い、寒さの中で目に見えて衰弱していく。老人ホームに留まり、なんとか手探りで避難の糸口を見いだそうとする職員の努力もむなしく、高齢者は避難途中や避難直後に立て続けに亡くなってしまう。避難したくてもホームだけの力では移動手段も受け入れ先も確保できない状況。そこには、放射能の恐怖と戦いながら不眠不休で入所者の命を守ろうとした職員たちの奮闘と葛藤、苦渋の決断があった。  レベル6の原発事故に直面し、手探りの中で入所者の命を守るために奮闘した介護士の決断と葛藤を赤裸々につづったノンフィクションドキュメンタリー。世界でもっとも高齢化の進む日本に突きつけられた重い命題へのヒントにあふれた一冊。

ユーザーレビュー

  • 避難弱者―あの日、福島原発間近の老人ホームで何が起きたのか?

    Posted by ブクログ

    相川祐里奈さんは、国会の事故調査委員会で事務局を務めた方。調査報告書を作成後にも、引き続き、福島県の被災地、とくに福島第一発電所の事故により避難した高齢者福祉施設の証言を拾い集めていった、その記録集。
    原発から放出された放射線という目に見えない物質に、高齢者を護らなければならない立場で「逃げる」「逃げない」という判断が迫られたときどうする? 総理からの命令に逆らい孤立することを恐れず「逃げない」ことを選択した「いいたてホーム」の判断が胸に残った。
    そして何より、原発事故が福島県以外の地で起きたときにどうなっていたのか?逃げ場を求めてさまよう中で、福島の人びとの情けが唯一の救いと言っても過言でな

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    2025年03月12日
  • 避難弱者―あの日、福島原発間近の老人ホームで何が起きたのか?

    Posted by ブクログ

    福島第一原発が水素爆発したとき、周辺の高齢者福祉施設ではどのような事態が起こっていたのか。「原発事故で亡くなった人はいない」という失言をした政治家がいたが、実際にはこの事故がきっかけとなって避難や慣れない土地での暮らしを余儀なくされ、結果的に命が短くなった方々が大勢いた。

    デイケア、養護老人ホーム、特養、、普段の自分の生活から聞き慣れない施設名が並び、これら高齢者福祉施設での活動が暮らしから乖離している事実に気づく。そして原発があったからこそ、その地域に多くの高齢者福祉施設が建てられた現実がある。そこにいる高齢者たちは、生活するにも介助や支援が必要である生活弱者であり、さらに緊急時に避難をす

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    2013年11月12日
  • 避難弱者―あの日、福島原発間近の老人ホームで何が起きたのか?

    Posted by ブクログ

    献本で。
    3.11のあの時、福島の老人ホームでは何が起こっていたのか。
    厳しい現実と、東京で右往左往していた自分の無力を感じる。
    筆者は20代半ばだそうだが、よく取材していてると思う。
    貴重な資料になるのでは。

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    2013年09月18日
  • 避難弱者―あの日、福島原発間近の老人ホームで何が起きたのか?

    Posted by ブクログ

    淡々と、偽りはなく、ただ東日本大震災、原発事故が起きた福島の老人ホームで何が起きたか。原発事故に続く避難はどのように行われて、利用者、職員たちはどのような状況におかれ、行動し、そして利用者のなかには避難行動の間に命を落とされた方も少なくない。
    原発再稼動を口にする前に、行政の長は、国会議員はこのレポートを読んで欲しい。告発では無い、淡々と何が起きたかを記したこのレポートを。そして、再稼働した原発で事故が起きた場合でも、決してこのような事態を起こすことはないと、自らの良心に照らして正直に言えるのなら、責任を持ってその言葉を口にして欲しい。そして、万一の事態になったら、すべての仕事を放り投げても、

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    2013年11月18日

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